おめかし


 手折ったニナツメの緑色した茎の先から汁がじわりと染みだす。無造作に割かれた茎の繊維を辿って寄り集まった雫が、ほとりと少女の手の中に落ちた。
 一粒、一粒――てん、てんと掌に雫が落ちる度に、爽やかな香気が沸き立つ。
 紅はニナツメの草を手にしたまま、汁の溜まりゆく掌にうんと鼻先を寄せた。
 心ゆくまで息を吸い込めば、すぅーと香りが鼻から身の内へと抜ける。
「よい匂い」
 今年もまた、よい匂いだ。
 ぱっと彼女は立ち上がる。途端、草原を吹き渡り、結わえた髪すら攫っていった風に紅は両手を高くかざした。
 風を伴って、少女の掌から、雫が、一つ二つと離れて飛び立つ。
 それでも、ほんのりと掌に残った湿り気を、紅はぐいぐいと己の手首に、手の甲にと塗りつけた。



 ただいま、と、今日はやたらと上機嫌な笑声を喉の先で震わせて、少女が家の中へ駆けこんでくる。
 矢じりの具合を調整をしていた実己は、声に惹かれるがまま、作業の手を休めた。
「おかえり」
「遅くなった?」
「そういえば、いつもよりは少しそうだな」
「実己、お腹空いた? 大変?」
「いや、大丈夫だ」
「ご飯作ってくる。お腹空いたね」
 頬を丸く火照らせて、息を弾ませたまま、紅は玄関から部屋を突っ切って、厨へと向かう。
 その忙しなさに、実己はふとわだかまっていた室内の空気が緩む思いがした。
 少し戸が開いていたのだろう。隙間から風が入りこむ。
 室内を巡った微風にのって、ふわりと横切った嗅ぎ慣れぬ香りに気を取られ、実己ははたと何もない天井を見上げた。
 たちまちに風に紛れた香りの元を実己は辿ることはできず――たが、思い至って少女の消えた厨へ目を向けた彼は、手際よく並び始めた鍋の音を聞きながら、首を傾げたのだ。