手折られた片羽


 旋律が聴こえなくなった。
 弦を弾く指。力強く、弱く、音が五つの弦の上で踊っているのが見えた。音が、刻まれる度に歌に変わるのが見えた。
 流れ込むようだったのだ。身の内に。まるで、彼が奏でる音楽そのもののような人だった。
 イリアナは、肩を震わせる。
 両腕で自身を掻き抱いても、護衛官であるオレオに肩を支えられても、寒気が消えることはなかった。
「――どうして」
 こんなことになってしまったのか。
 拭いとられた血の痕。替えられたらしい衣は、致命傷だという腹部の傷を見事に覆い隠していた。
 だが、サクレが目を覚まさないのは、硬い瞼を見れば明らかだった。
 慟哭する余裕すら、彼女にはなかった。頬を雫が伝ったことさえ、彼女は気付かなかった。
 ただ、音が消えてしまったのだ。それだけが、分かった。
 それをより象徴するかのように、音楽を弾きだしていたはずの恋人の指は、見るに堪えぬ程に潰されていた。
「サ、クレ」
 消えてしまった何もかも。
 連れてきてはならなかったのだ。こんな国に巻き込んではならなかったのだ。こんな場所へ。ずっと。ずっと自由だったアノヒトを閉じ込めて。一緒に。周れない。マワリタイ。歌いたくて。あの人のオンガクと。行けない。イケナイ。だけど。穏やかで。ノビヤカデ。ヤサシクテ。ガンコデ。イッショニ。ダメナノニ。
 ――一緒に、いきたい。

『イリアナ』
『僕を一緒に連れて行ってくれないか。君の旅の終わりまで』
『それが終わったら、そうしたら君の旅をするんだ』

「う、あ、」
 塞いだ耳の奥で、淡い微笑が蘇る。けれど、崩れ落ちるのも一瞬だった。
 喉を嘔吐くように、悲しみが溢れ落ちた。
 失くなってしまった指に、縋りつく。
「サクレ……、サクレ! ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私が。どうしたら」
 どうしたら、一緒にいけるの。

『その歌』
「え?」
 イリアナは、動かぬサクレに向かって、首を傾げた。「イリアナ様?」と、彼女に付き従っていた護衛官が、怪訝気に眉根をひそめる。
『イリアナが、好きなのがよく分かるよ。とても豊かな物語だね』
「こ、れは、道を示す歌なのよ」
「イリアナ様!?」
「――歌う?」
『歌って。君の声が聞きたい』
 おぼろげな記憶が、目を閉じた彼に被る。
 イリアナは、微笑んだ。もう一音ずつしか聴こえない澄んだ歌を自身だけで弾きだす。
 オレオは、驚愕の眼差しで、歌を紡ぎ出した主君を見下ろした。かろやかに繰り出される音調。まるで悲しみを知らぬかのように、恋人の手を握って彼女は歌い始めた。
 そうして彼女は選んだのだ。歌の中に見つけた道の終末を。