世界の終わりを夢見る


「ねぇねぇ、ロシュ。あのね、耳かして?」
「どうしたのですか、フィシュア様」
 小さな手が手招きをする。深い藍の瞳を持つ少女は、くすくすとはにかんだ。
 いまだ少年の域を完全に脱してはいない青年は、彼女に言われた通り、傍により、膝をついた。
 少女は背伸びをして、屈んだ青年の耳に手を当て、口を寄せる。内緒話をするように、彼女はとても小さな声で、彼にだけに聞こえるよう囁いた。
「あのね、あのね、ロシュ。わたし、好きな人がいるのよ」
「へぇ、どなたなのですか?」
「サクレ様。わたし、サクレ様のことが大好きなの」
 皇宮に出入りしている吟遊詩人の名を上げた少女は、彼の耳元から顔を離して、誇らしげににっこりと笑う。
 青年は、そんな少女の様子を、微笑ましく思った。
「そうなのですか。サクレ様が聞いたら、さぞ喜んでくださると思いますよ」
 サクレとフィシュアは仲が良い。サクレが、彼女のことをとても可愛がっていることは周知の事実であり、それはもちろんロシュの目から見ても同じだった。きっと、このことを知れば、あの穏やかな吟遊詩人は、ほんの少し驚いた後、普段から柔和な顔をさらに打ち崩して礼を言うことだろう。
 けれども、少女は首を横に振った。口に人差し指をあてて、彼に告げる。
「だーめ。これは、ないしょの話なの。だって、サクレ様はイリアナ様が好きだもの。だから、ひみつなの。だって、きっと二人とも、こまってしまうでしょう?」
 ロシュは苦笑する。七歳にしては、多少大人びすぎた発言だ。それでも、彼女は真面目な顔で言うので、青年は「分かりました」と首肯した。
「秘密にしておきましょう」
「うん、ありがとう、ロシュ。ずっとね、だれかに言ってみたかったのよ。だけど、これは、ないしょにしておかないといけないから、だれにも言ったことがなかったの」
「そうなのですか」と青年が微笑すると、少女はこっくりと頷く。
「わたしは、ロシュの“あるじ”なのでしょう? ロシュは“あるじ”の言うことにはしたがわなければならないのよ。だから、ぜったい、ないしょにしててね。これはね、ロシュ、“めいれい”なの」
「はい、確かに」
 胸をそらして宣言した少女に、青年は恭しく頭を垂れる。
 少女は、「ありがとう」と礼を告げ、彼の額に祝福を授けた。
 もうそろそろフィシュアと出会ってから三か月がたとうとしていた。それでも、まだ慣れぬ主のねぎらい方に、この時のロシュは困ったように笑みを浮かべていたのだ。


 

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