お菓子をください【前編】



「あのぉ……お菓子、頂けませんでしょうか?」

 黒のワンピースに、同じく黒の大きな帽子。
 有馬は魔女の姿に勢いよく玄関の扉を閉めた。
「うわっ! ちょっと待って下さい!!」
「うちはセールス、勧誘お断り」
 ガンガンと音を立て始めた玄関へと容赦なく断りを入れる。それでも鳴り続ける騒音は止みそうになかった。
「お菓子をくれなきゃ悪戯しますよ!」
「やれるもんなら、やってみればいい」
「カエルに変えられてから、文句言っても無駄ですからね! 私、カエル語なんて分かりませんから」
 それはちょっと困る。少しばかり扉を開くと、魔女はパッと顔を輝かせた。
「お菓子くれるんですか?」
「何で」
 魔女が頬を膨らませる。
「だって、今日はハロウィンですよ」
「だから?」
「だから、お菓子下さい」
 有馬は盛大な溜息をつく。
「ここは日本。ハロウィンはイギリスとアメリカだけのお祭りなの。残念だったね」
「そんなこと私には関係ありません」
「大体まだ昼でしょう。回るなら夜。そこから間違ってる」
「イギリスならもう夜ですよ?」
「その代り、日付は一日前だね。つまり、まだハロウィンじゃないわけ」
 おわかり? と肩を竦めてみせた有馬に、魔女は眉を寄せた。
「だから、早く貰いたくて、こっちに来たんです」
「そう。でも僕の知ったことじゃないし、迷惑」
 再び扉を閉めようとした有馬に、けれど魔女は食い下がった。完全に閉じられないよう隙間に足を入れ、扉を手でがっちりと掴む。
「い、痛いーーー!」
「なら、足離しなよ」
「だめー、だめなんです! お菓子貰えないと私、帰れないんです!!」
「帰れないってどこに?」
「ま、魔界?」
「何で疑問形」
「とにかく、帰れないんです!」
 痛さの為か、切実な願いの為か、焦げ茶の目に涙を溜め始めた魔女に有馬は仕方なく扉を開いてやった。
「ま、いいけど。お菓子ぐらい」
「本当ですか!?」
 魔女は両手を組んで顔を輝かせた。有馬は頷く。
 だが、両手を差し出して待っている魔女を無視して、有馬はアパートの廊下に出るとガチャリと鍵を閉めた。
「お菓子……」
 項垂れている魔女を横目に見ながら、有馬はトントンとつま先を地面に打ち付けて靴を履いた。
「うん。でも今、家にお菓子なんてないから買いに行くよ」
「え? いいんですか?」
「自分から押し掛けてきておいてよく言うよね」
 有馬の言葉に、魔女は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます! えっと、名前は……?」
「有馬」
「有馬さん! 私はですね―――」
「はい、じゃあ行くよ、魔女子さん」
「魔女子さんって! 私にはちゃんとした名前が―――ってもう行ってるし!!」
 有馬のネーミングセンスのなさに愕然としつつも、魔女もとい魔女子は有馬の後を追いかけ、ぎしぎしと鳴るアパートの階段へと向かったのだった。



 道を行き交う人々は商店街に突如現れた魔女の姿に魔女子を振り返った。黒のとんがり帽子に、丈の長いこれまた黒のワンピース。箒を持っていないだけまだマシだが、やはりかなり目立つ。
 けれど、時期的なおかげなのだろうか? 人々の目に奇異は映っていなかった。誰もが皆、ハロウィンの催し物、または呼び込みだと思って疑わない。
 彼女の隣を行く有馬はというと、彼もまた気にしてはいなかった。というよりは、大してそのことに関心が無かったと言った方が正しいだろう。気にも留めていなかったのだ。
 とにかく二人はとりあえず駄菓子屋へと歩を進めた。

「で、何のお菓子がいいの?」
 駄菓子屋の前に立った有馬は魔女子に問いかけた。
「何でもいいんですか?」
「何でもいいよ」
「なら、ケーキがいいです」
 有馬が魔女子をじとっと半眼で睨む。
「何でもいいって言ったじゃないですか!」
 反論する魔女子に溜息をつかずにいられようか。いや、いられない。
 盛大な溜息と共に有馬は駄菓子屋に背を向けた。
 その後を、ちょこちょこと魔女子が追う。
「ちょっと、どこ行くんですか?」
「君は遠慮ってものを知らないの?」
「もしかして、ケーキ屋ですか?」
「駄菓子屋に行って好きなものいいよって言われたら、普通駄菓子の中から選ぶでしょう」
「あ、チーズケーキが食べたいです! でも、イチゴのタルトも惹かれますね。どちらも捨てがたい!」
「……もう、いいよ」
 キラキラと瞳を輝かせ始めた魔女子の横で、有馬は財布と相談するはめになった。



「ふっわぁ! おいしい!!」
「そう、よかったね」
 満面の笑みでタルトを頬張る魔女子を前に、有馬は珈琲を一口飲んだ。
 魔女子の皿の前には、宣言通り、チーズケーキ、イチゴのタルトに始まり、チョコレートケーキ、洋ナシのミルフィーユ、モンブラン、ティラミスと色とりどり、様々な種類のケーキが並ぶ。
 下手なケーキ屋に入るよりも、ケーキバイキングへ行った方が安上がりだと有馬は考えたのだ。一つおよそ三百円はするだろうケーキをいくつも買わされたらたまらない。それなら、初めから千円払って思う存分食べさせた方が得策である。
 そして、魔女子の皿に載せられているケーキの数を見てやはり自分の判断は正しかったのだと、有馬は実感していた。この勢いなら皿に盛られるケーキは更に増えるだろう。
 それにしても、おいしいそうに食べるものだ。にこにこと幸せそうな笑みを湛えながらケーキをぱくついている魔女子を見る。
「欲しいんですか? これは、あげませんよ? 食べたいんなら有馬さんも自分で取って来てください!」
「いらないよ、別に」
「どうしてですか? こっんなにおいしいのに!」
 フォークにモンブランのかけらを突き刺した魔女子は、「食べてみろ!」 と言わんばかりに有馬の方へと差し出した。
 さっき自分が言ったことに反しているにもかかわらず、だ。
「いらないって」
 ものすごく迷惑そうに有馬は自分の方へと突き出されたモンブラン付きの魔女子の腕を下ろした。
「何で!」
「何でって、別に食べたくないし。甘いもの嫌い。どうせ食べるなら、煎餅の方がいい」
「もったいない!!」
 何とも悲しそうな表情を浮かべながら、魔女子は有馬に受け入れられなかったモンブランのかけらを自分で口にした。食べた途端、ふわあと効果音がつきそうなくらいの笑みを広げていく。
 有馬も珈琲を口にする。少し冷め始めた珈琲は、それでもちょうど良い程の苦みと香ばしさをふわりと広げた。
「有馬さん、絶対損してますよ!」
「別においしいと思わないから、食べられないことが損だとは感じない。というか、フォークを振りまわすのは止めようね。行儀悪いから。ほら、小さい子も見てる」
 向かいの席では二つ結びの女の子が興味しんしんで魔女子を見ていた。明らかに浮いている魔女子の姿に店員をはじめ、客の大人たちが目を合わせないようにしているのとは対照的に、女の子は話しかけたくて仕方がないといった感じだ。
「残念、これはフォークだから魔法はかけられませんよ」
「じゃあ、杖があったら魔法使えるの?」
 女の子の目がキラキラと輝く。
「こら、梨絵ちゃん!」
 母親らしき女性が慌ててソファの上から体を乗り出している女の子をいさめた。しかし、女の子は聞く耳を持たず、首を傾げる。
「そうですねぇ。簡単な魔法なら杖が無くても使えますよ。ほら」
 魔女子はテーブルの端に置いてあった入れ物を一つ手前に持ってくると、蓋を開け、スプーンで白い粉を三倍すくい自分の紅茶へと入れた。かき混ぜながら呪文を唱える。
「アブダ・カタブラ、チチンプイプイのプイ!」
 いまどきその呪文はないだろう、と思ったが、有馬はあえて何も言わなかった。
 魔女子が女の子の前へとティーカップを差し出す。
「飲んでみてください。きっと甘くなってますよ」
 女の子は素直に紅茶を飲んだ。
「甘い……けど……。魔女さんが魔法をかけなくても砂糖を入れたら紅茶は甘くなるんだよ?」
 女の子の言うことは全くもってその通りである。
 魔女子は満足そうに頷いた。
「そうです。この世の中には魔法がいっぱい溢れているんですよ。砂糖も甘くする魔法の粉の一種です!」
「そうなんだ! すごいね! じゃあ、私も魔法使えてたんだね!」
「そうだったんですよ。よかったですね!」
「うん!!」
 女の子の母が苦笑いを浮かべながらも、「すみません」と頭を下げて、自分の子を席へと座り直させた。
 何も突っ込まず魔女子と女の子の会話を聞いていた有馬は半ば呆れながら、珈琲を口にした。
「よし! じゃあ、もう一回行ってきますね」
 皿を持って立ち上がった魔女子を目で追う。
「はいはい、行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振る有馬に見送られた魔女子は新たなケーキを求めて、宝石のようなケーキの並ぶショーケースへと嬉々として向かったのだ。



「どれがいい?」
 会計をする為にレジの前に立ったところで有馬にそう問われた魔女子は首を傾げた。
「何がですか?」
 有馬がレジ横のショーケースに並ぶケーキを指差す。
「これ。お菓子貰わないと帰れないって言ってたから。証拠の為に、一応お土産ね」
「いいんですか?」
「別に今更遠慮はいらないから。何人分?」
「えっと、二人です」
「わかった。じゃあ好きなの選んで」
「あ、はい……。じゃあ、これとこれで」
 戸惑いながらも魔女子が指さしたリンゴのタルトとガトーショコラを店員が箱の中へ丁寧に詰めていく。
 最後に手提げ袋に入れられたケーキの箱を魔女子は受け取った。

 カランコロンと、どこか寂しげに響くドアベルと共に店を出る。
「それじゃあ、魔界だっけ? 気をつけて帰ってね」
「はい……。また、来年のハロウィンに」
「来年は他の人の所へ行ってよ。むしろ本場に行った方がいいんじゃない?」
「でも、有馬さんとの方がきっと楽しいですよ? すごく楽しかったから」
 だんだん小さくなって消えた魔女子の言葉に有馬は苦笑する。
「それなら別にいいけど。じゃあ、機会があったら、またね」
「はい、機会があったら」
 有馬はアパートへと続く商店街を戻っていく。

 次第に小さくなっていく有馬の背中を魔女子は立ちつくしたまま見送った。

「有馬さん、本当にありがとうございました。あと……すみませんでした」

 とうとう見えなくなった有馬の姿に魔女子は一度ぺこりとお辞儀をすると、自身も一歩を踏み出し、商店街の雑踏の中へと消えた。