立場が逆になった時




「あああああああ有馬さん!?」

 どんな時でもカランコロンとドアベルは鳴る。
 開けた扉。ふわりと入り込む風の柔らかさは花の香りのせいなのか。
 だが、扉を開けてしまった奏多はと言うと、近頃すっかり春めいた外の空気に感じ入る暇もなく、愕然としながら口をわななかせた。
 さてさて。
 目の前に突如現れたるは、緑色のシルクハット。これでもか、と言うくらい大きなそれを彼は被っておりました。これはもう、被っていると言うよりも、頭で抱えているんじゃないかと言うそんなレベル。おまけに隣には、茶バーニーなお耳のお兄さん付き。
「やぁ、魔女子ちゃん、奇遇だね! あんまり口開けてると、その内、顎が外れちゃうよ」
 お兄さんが、片手を上げて、にっこりと笑いかけてくる。彼に肩を抱かれてここまで歩いて来たらしい有馬は、見るからに疲れているようだ。胸元には二人して、やはり大きな蝶ネクタイを付けている。ちなみにお兄さんがどっピンク。有馬が赤色である。
 このお兄さん――確かリョウさんと言ったか。去年のハロウィンに押しかけて来た人だよなぁと、思考が至ったところで、奏多はぽむと手を打った。
「ああ、ハロウィン。ハロウィンですか」
「はい?」
 お兄さんは、首を傾げる。
 奏多はと言うと、お兄さんの様子にはお構いなしに、自分のバッグの中を漁くり始めた。
 何を待てと言うのか、「ちょっと待っててくださいね」と制止を求めてきた奏多の袖を、有馬は引っ張った。
「魔女子さん、さすがにもうそろそろ喫茶店の出入り口を陣取るのは止めようか。中のお客さんが、困ってる」
「あ、すみません」
「いや、有馬。……突っ込むべきところはそこなの?」
 確かにそうだけどさぁ、とお兄さんはあきれ顔でぼやく。
 奏多は、ぺこりと頭を下げると、素直に扉の前から退いた。すぐにカランコロンとドアベルが鳴り、主婦らしき集団が出てくる。互いになんとなくお辞儀をしあいながら、彼らは主婦集団を見送った。
 がさごそとバッグの中をかき回していた奏多は「これで全部ですね」と、両手を差し出した。
「ささっ、どれでも好きなお菓子をどうぞ」
 奏多の掌には、飴玉に、クッキー、ガム、みかんが載せられている。
「魔女子さん、言っておくけどこれハロウィンじゃないからね?」
「さすがに、じゃないだろうなと思いましたが、ぽいので」
「うん、ぽいかもしれないけど、違うから」
「なら、罰ゲームですか?」
「僕の場合は罰ゲームだけど、こっちの場合は新歓」
「シンカン?」
「新入生歓迎にちなんだサークルの呼び込みだよ。今日入学式だったから」
「ああ! なるほど。早いんですね」
「魔女子さんもそろそろなんじゃないの」
「明後日ですね。私も明後日から花の女子大生です!」
 わざわざ掌のお菓子たちを右脇へと移動させ、ブイとピースサインをつくった奏多に、有馬は苦笑する。
「はなって、それ高校の時も言ってなかったけ?」
「私の中では漢字が変わってるからいいんですよ」
「いいんだ」
「いいんです!」
 断言した奏多に、有馬は「そう」と頷く。
「なら、魔女子さんも入学おめでとう」
 言って、有馬は、奏多の頭に緑の巨大シルクハットを被せる。途端、すっぽりと視界が覆われてしまった奏多は「おおう!?」と頓狂な声を漏らした。
「あ、ありがとうございます?」
「どういたしまして」
「お礼にお菓子は」
「じゃあ、みかんだけ貰っとくよ。ありがとう」
 ひょいとなくなったみかん分の重さ。奏多は、顔半分隠れながらも「いいえ」と笑う。
「お前罰ゲーム逃げやがったな!」と叫ぶお兄さん。有馬は「誰も、新歓の日数全部するとは言ってないでしょ。一日すれば充分」と請け負わなかった。
 奏多は、きょとりきょとりと二人を交互に見上げる。けれども、有馬に掴みかかろうとしたお兄さんの前に、彼女は慌てて「あの!」と声をかけた。
「リョウさんもどうぞ」
 ずずいっと二人の間にお菓子でいっぱいの両手を割り込ませる。
 お兄さんは、首を傾げる。奏多も、首を傾げた。
 訪れた沈黙の中、一人思い当たる節があった有馬だけが溜息をついた。
「魔女子さん、魔女子さん」と奏多を呼び招く。
「何でしょう」と奏多は、彼に応じた。
「これ、リョウじゃなくて、将(ショウ)だから。惜しかったね」
「ああ!」
 納得した奏多は、お兄さんに謝ることにした。
 結論から言おう。
 もしも二人の立場が変わったとしても、ぐだぐだ感は変わらない。
 間近で彼らのやり取りを見ていた将は、『なんなんだろう、この二人』と微妙な感想しか持てなかったのである。