絶賛強制休暇中



「あのね、とっさま。こないだミレとチェイザで、とりぼうしてね。それでね、それで、わたしがちゃんととったんだよ、ぼう。すごいでしょ。でもね、ミレがわたしのことずっこいぼうというのです。さっきミャーがね、とおったって。ミャーがあしこちょこちょだったから、ミャーがじゃましたからとれなかったんだって。でもそれは、しかたがないよね。だってね。あのね、だって、ミャーは、わたしたちのあしがすきだってしってるでしょう? だからね、すきだからきっとすきだからミャーはとおりたかっただけなんです。このごろぶるぶるしますからね。きっとミャーもぶるぶるなんですね」

 ね? と三歳児は首を傾げて、同意を求めた。空色の瞳が嬉しそうに見上げてくる。
 しかし、同意を求められた側――寝台の背に身を預け、当の息子を掛け布のかかった膝の上に抱えていたロシュは、正直非常に困った。問答無用で言い渡された休暇中にこんな事実が発覚するとは。 
 ロシュは、にこにこと笑みを湛えている息子の前で、こめかみをもむ。必死に頭を巡らせてはみたが、どうやら努力が無駄に終わりそうな気配がする。
 結局、彼は早々に諦めることにした。閉ざされた部屋の入口に目を向ける。
 こっそりと様子を見に来たのだろう。彼は、今まさに部屋の前を通り過ぎようとしていた妻を呼び止め、部屋の中へと招く。

「ホーリラ、ホーリラ。息子が全く意味不明な言葉を話しているようです」

 西の大陸言語は一応全て制覇したと思っていたのですが、とロシュは、自分でも分かり切った答えを前に現実逃避を始めた。だが、答えは分かっていようとも、こればっかりはいたしかたがない。
 案の定、入室してきたホーリラから「昨日も今日も自業自得」とばっさり切り捨てられる。ここまできたら、もう笑うしか手がなかった。
「ルイチェに関しては、年がら年中旅してる上、皇都に帰って来たときも滅多に顔出さないロシュが悪いんでしょう。仕事の時はいいでしょう……むしろフィシュア様付きだというのに仕事してないとかだったら殴り倒しますが。全く年中フィシュア様についていけるとは忌々しい。私の方が、ずっと早くからお仕え申し上げているというのに。もっとずっとお慕い申し上げてきたと言うのにっ!」
「いいですから、早く訳してくれませんか。どうせ全部聞いていたのでしょう?」
「全っ然よくないわっ!」
 ついに怒鳴り始めたホーリラは、そのままの勢いでギッと夫を睨みつける。
 間に挟まれた彼らの息子が、きょとりきょとりと両親を交互に見上げた。
「あなたが、日頃仕事外のことまでこちゃこちゃやってて家に帰ってきてないってフィシュア様に知られちゃってるものだから、今まさに暇を出されちゃってるんでしょうが! 怪我したのなんてただの口実に決まっているでしょう! おかげで私まで巻き添えくっちゃったじゃないの! 別にロシュが帰ってこない分は構わないから、せめてフィシュア様にばれないようにしなさいよっ! 私は、今まさにこの瞬間もフィシュア様にお仕えしたいのよ! 仕事したいのよ! 心配でたまらないのよっ!!」
「ミレは、グルーワ殿の娘さんでしたよね。チェイザというのは、新しい友人ですか?」
 ロシュの問いに「チェイザはともだちじゃないよ」と、ルイチェが首を横に振る。それから、ルイチェはきらきらと目を輝かせた。期待に満ち満ちた目で問い掛けてくる。
「ね、とっさま? フィシャーくるんですか? フィシャーいつくるんですか?」
「「フィシャーじゃなくてフィシュア様でしょう?」」
 息子の言い間違いを正す両親の動き。彼ら共通の主に関する時ばかりは、いつもながら彼らの対応は素早かった。
 父に前から、母には後ろからはたかれたルイチェは、「うん、だからフィシャー」と無邪気に、けれど、一文字も変わっていない言葉を繰り返す。
 ホーリラは、溜息をつくと、寝台の縁に腰かけた。「本当にいつになったら、フィシュア様の名前をきちんと言えるようになるのかしらねぇー、このお口は」と息子の頬をむにむに摘んでひっぱる。眉に皺を寄せて嫌がっている息子に、「それでも喜んでくださるから、いいのだけれど」と彼女は続ける。
 ルイチェはべしべしと母の手を叩いて抵抗した。ホーリラは、彼の頬を引きのばす手を緩めず、可笑しそうに笑う。
「『あのね、父様。このあいだ、ミレとチェリィージアという花屋の裏で、取り棒――棒取りをして遊んでね。私がちゃんとミレよりも先に棒を取って勝ったんですよ。凄いでしょう。だけど、ミレが私のことをずるい坊主だと言うのです。さっき、ミャーという猫が、ミレの傍を通ったのですって。足の間を通ったミャーがミレにはくすぐったかったそうで、ミャーに邪魔をされたのだ、とミレは怒るのです。でもそれは仕方がないよね。だって、ミャーは私たち人間の足の間を通るのがとても好きだってこと、知っているでしょう? だから、ミャーはきっと、ミレの足の間を通りたかっただけなんです。この頃、寒いから。きっとミャーも寒くって、温かい人の足にくっつきたかったのですよ』」
 声と共に、動かされるルイチェの口。「それが直訳ですか?」とロシュは苦笑した。
 彼をちらりと見上げたホーリラは、肩を竦める。
「仕方がないので、補足もきちんとつけて差し上げました」
 言って、恭しく礼までしてみせてから、ホーリラは、ようやくルイチェの頬を解放した。
 ここぞとばかりに、仕返しをしようと両手を腕いっぱい伸ばしてきた息子の手を、ホーリラはあっさり捕まえる。
 すかさず頬を膨らませたルイチェは、それでも嬉しそうだった。
「ルイチェにとっては、これはこれでよかったのでしょうけど」と、ホーリラは、息子と手を繋いだまま呟く。
「いいですか、ルイチェ。今日は一日中、父様と遊んでおあげなさい。母様が出かけても、きっちり見張っておくのですよ」
「はい、母様!」
 しっかりと頷く息子は何とも頼もしい。ホーリラは、「よい子ですね」と彼を誉めると、ルイチェを撫でたその手で、ビシリとロシュへ人差指を突き付けた。
「いいですか。被害者の私に黙って、一人で抜け駆けしてごらんなさい。許しませんからね!」
 キッと踵を返し、憤然と出て行ったホーリラを、ロシュとルイチェは無言で見送る。
 バタンと扉が閉められた後、そうして、きょとんとしている息子の小さな手を取ったロシュは「どちらが抜け駆けですか」と、一人愚痴を零したのだ。


 彼の妻の行動を見越した彼らの主が、ホーリラが家を出るよりも早く、ルイチェも含めた休暇中の予定表をほぼ分単位で送ってきたのはまた別の話。
 当然、フィシュア様至上主義をロシュよりも長い年月掲げてきたホーリラは、その予定表を無碍にすることなどできなかったと言う。