第01戦 銀の魔女としたまつげぼん


 まさしく彼女は、エドワルドにとって運命を変える天啓だったのだ。

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「好きです! 今この瞬間、聖イリヤネスのお導きにより、あなたに一目ぼれしました。結婚を大前提に、ぜひともおつきあいしましょう」

 青年は、銀髪の乙女の両手をひしと握りしめ、声高らかに宣言した。
 国中の貴族が一堂に会する聖イリヤネスの祝祭。和やかに宴を楽しんでいた来賓客の視線が、瞬く間に彼ら二人に集中する。
 手を取られた銀髪の乙女は、突如、寄せられた情熱に、新緑の双眸を瞬かせた。会場に集った者らが固唾をのんで見守る中、彼女はぽっこりと頬の膨らむほど詰め込んでいた馳走の肉をはぐはぐとのんきに噛んで飲み込むと、握られた手はそのままに、青年の言葉を一切無視して、首を巡らせた。
「ししょーししょー、なんか変な人がいます」
「そう。よかったじゃない」
「これのどこがいいんですか」
 師匠である東の魔女は豪華な料理を口に運ぶことにいそしんでいる。助けが得られないことに彼女は落胆して肩を落とすと、冷ややかな目で青年をねめつけた。

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「だーかーらー、私は行くの嫌だって言ったんですぉ」 
 ソラリアは、昨夜の出来事を思い出してぐったりとテーブルに突っ伏した。今思い出しても腹が立つ。なにゆえ、自分が貴族のぼんぼんの気まぐれに付き合わねばならぬのか。
『あほうか』と一笑に付したソラリアに対し、青年は『突き刺さりますその視線!』とさも嬉しそうに顔を輝かせ、あろうことかさらに間合いを詰めだしたのだ。これはやばい。鳥肌が立った。あまりの寒気に身震いして、身を捩っても、師匠は素知らぬ顔をして食事を続けるばかり――結果、ソラリアは詰め寄る青年をはたき倒して、師匠よりも一足先に王都の外れに位置する砦に逃げ帰ることとなった。
 時は、聖イリヤネスの祝祭。その年の最終日に執り行われる、一年で最も盛大な祭である。人々は、一年の末日に親しい者たちへその年最後の贈り物をし、相手の繁栄と健康を祈る。
 国王に城に招かれるような高貴な者たちにとっては近隣遠方に関わらず、皆が一堂に会し、贅の限りをつくした盛大な宴に明け暮れる日でもあった。
 ここカーマイル王国の都の郊外に居を構える東の魔女ケルティカも、王に招かれた客人の一人であった。
 この世界にいる八人の賢者と魔女は、一部例外はあるものの基本的には国に属さない。人知をはずれた強大過ぎる力を持つゆえに、国事に関わることは許されない。
 しかし、一国の王にしてみれば、畏敬と畏怖の対象である魔女をないがしろにできるはずがなかった。国賓として丁重に招待されたケルティカの付き添いとして、彼女の弟子であるソラリアも王城にあがったのである。
「嫌? 食費が浮く、と喜んでいなかった?」
 魔女は穏やかに目尻に皺を寄せて、ふてくされている弟子の銀色の髪を指先でなでた。労わられる心地よさに、ソラリアの気分は心持ち上昇する。できるのなら昨日助けてほしかったが、愛する師に慰められるうちに心を占めていた暗雲が払われつつあることに気付き、我ながら現金すぎる、とソラリアは思った。
「ですが、結局、食べ損ねました」
「そう?」
「師匠はたっぷり食べていたみたいですけど。どうせもったいないくらい余るんだから、今日の朝昼晩分も貰って帰ってこようと思ってたのに、したまつげぼんのおかげでそれすら貰い損ねました。毎度毎度のことですけど、まったく平民の血税を何だと思ってるんだか。食べないなら、あんなに作んなっての。むだにおいしいだけですよ」
「したまつげぼん?」
 弟子の悪態は聞き流して、ケルティカは首を傾げる。
「下睫毛が異様に長い、貴族のぼんぼんです」
「あぁ」
 得心して、ケルティカは頷いた。黒髪緑眼が主なカーマイル王国には珍しく、茶味がかった髪色を持っていた青年の下睫毛は、ソラリアの言う通り一般よりも長かった。
「わかめ頭でもいいですよ?」
「鳥頭でなく?」
 思いがけず聞き返された師匠の言葉に、ソラリアは噴き出す。
「確かに! 鳥の方がいいかもしれません」
 癖っ毛であちらこちらにはねていた青年の髪は、鳥の巣のようでもあり、寒い日に身体を膨らませている鳥の姿そのものでもあった。赤褐色のリボンで申し訳程度にちょこりと結ばれていた後髪など、鳥の尾っぽそのものだった。そう考えると、いくらでもふつふつと笑いがこみあげてくる。
「まぁ、もう会うこともないでしょう」
 笑い転げながら、ソラリアはテーブルから顔を上げる。いくらかすっきりした気分で、彼女はケルティカに言った。

***

「いったいどういうことよ!!!!!」
 図書室の一角で、ぎりぎりと襟首を締めあげてくる友人に、エドワルドは諸手を挙げ、助けを求めた。
「ちょ、ルゥ、締ってる締ってるって」
「私を振るなんてどういう了見してるのよ! 婚約を解消したいですって!? しかも理由が、公衆の面前で馬鹿みたいに告白したあの魔女だなんて! ふざけないで! おかげで私まで笑いものよ!」
「だから、ルゥ、しまっ、ぐえ」
 本格的に息が吸えない状況になってきてエドワルドは慌てた。降参降参と、手をばたつかせても、ルアンナが手を緩めてくれる気配はない。むしろ、怨嗟すら込めた目でエドワルドを睨みつけ、さらに首を締めあげてくるではないか。
「ルゥ、その辺にしておいたら」
 見かねたレイルが嘆息して、開いていた本を閉じる。椅子から立ち上がり、近寄ってきた彼の気配に、ルアンナはようやくエドワルドの首から手を離した。離した、というよりも、半ば突き飛ばしたという風ではあったが。
 解放される寸前、意識を手放しかけていたエドワルドは、げほりげほり、と息も絶え絶えに咳き込んだ。
「レイル、遅!」
「自業自得だろ」
 レイルは呆れた目で、咳き込むエドワルドを眺める。
 ようやく息を整えたエドワルドは、ふぅーと息を吐き出して、窓の桟に寄り掛かった。
「それでいったいどういうことなのよ!?」
 腕を組んで迫るルアンナに、エドワルドはおどけた表情で笑いかける。
「簡単なことでしょう。一世一代の恋に落ちただけさ」
「だから、ふざけんなって言ってるでしょう!?」
 ルアンナは、勢いよくエドワルドの頬を打った。いたい、とエドワルドは涙目でわざとらしく頬を抑える。ルアンナの目にはじわりと涙が湧きあがった。
「ルゥ、泣かなくても」
「私が嫌なら嫌って言えばいいんじゃない」
「いや、そりゃあ、こんな暴力的な奥さんなんて欲しくないけど」
「なんですって!?」
 再度掴みかかろうとするルアンナの身体を、レイルははがいじめにして止めた。
「エド」
 レイルは、非難を込めて友人の名を呼ぶ。
 だってさ、とエドワルドはひどく真面目な顔つきになって言った。
「見たでしょう。あの髪。あの目。あの顔。すっごく綺麗だった。あんなひと見たことない。これを運命と言わずしてなんと言うの」
 あぁ、これはだめだ、とルアンナとレイルは揃って呆れかえった。
 気が抜けたルアンナは、レイルの手を借りて、どさりと椅子に座りこむ。
「ばかなの、エド」
「前から分かってたことだけどな」
「何とでも言うがいい! 僕は、聖者の導きにより、あの日あの場所で、恋に落ちた」
 しん、と静まり返る図書室で、エドワルドは胸を反らせて誇らしげに言った。
 友人二人は、半眼する。
 ぬるい空気を蹴散らして、エドワルドは笑った。
「まぁ、いいじゃないか。ルアンナが好きだったのは僕じゃなくてレイルだったんだから、ルアンナにしてみてもばんばんざいじゃないか」
 ね、と話を振られて、ルアンナは顔を赤くした。
「なんてこと言うのよ!」
 椅子から立ち上がったルアンナは、エドワルドの襟首をつかみにかかる。
 エドワルドは、得意げに笑みを深めて、窓の外、遠くにそびえる石造りの砦に意識を移した。