ザ★ジジイ

 

 これは、シェラートが半分ジン(魔人)になって間もない、なりたてほやほやの頃の話。

「……ランジュールさん」

 買い出しから帰って来たシェラートは、玄関先に高々と積み上げられた山を文字通り見上げて、ジーニー(魔神)に問いかけた。
「何ですか、これ」
「服じゃないのか?」
 いや、それは見たら分かる。なぜ服の山がこうも奇妙に玄関先にできあがっているのだ、とシェラートは問いたかったのだ。つい三十分ほど前、シェラートが外に出かける際には確かになかったはずである。
「あ」とランジュールは、何かに気づいたように言った。シェラートは続くのであろう説明を待つ。
「服だけじゃない。装飾具も混じってる」
 いや、そういう問題でもない。シェラートは突っ込みたかったが、なんだか面倒になってきたので、やめることにした。代わりに、「これをどうするのですか?」とちゃんとした説明の返って来そうな問いに改めてみた。
「ん? アジカにやる」
「全部ですか?」
「どれがいいかわからない」
 だから全部だ、とシェラートにしてみれば非常識極まりないことを、ランジュールはにべもなく告げた。
「アジカには必要だろう?」
「……そうなんですか?」
 シェラートは半信半疑ながらも、「そうなのか」と思いこんだ。まだきちんと会ったことは数回しかないが、アジカとはこの異国の姫であったという。姫であるのならば、このくらいの服が必要なのかもしれない。想像のつかない世界だった故に、シェラートは納得してしまった。きらびやかな衣に装飾具たち。今にも崩れてきそうなそれらの山を、彼は恐々と見上げる。
 もしも、ランジュールが「人間には必要だろう?」と言っていたら、シェラートは「こんなに必要ない!」と完全否定をしていたことだろう。
 だが、ジーニー(魔神)の対象はやはり一人の女だけでしかなかった。ランジュールが『人間』をアジカしか知らないことを、シェラートもまた知らなかったのだ。

 まあ、自分には関係ないだろう、とシェラートは買ってきた品を抱えて通り過ぎようとした。が、結果論から言うと、通り過ぎることはできなかった。
 ランジュールに「小僧」と呼びとめられたのである。
「これ、アジカのところに届けてこい」
 ジーニー(魔神)の言葉の意味を考えてみること、一分間。シェラートはようやく「はい?」という何とも間抜けな声だけ口に出すことができた。
 ランジュールは不思議そうな顔をした。聞こえなかったとでも思ったのか、同じ言葉をもう一度繰り返した。

 あまりの横暴さに「ちょっと待て!」とシェラートは叫びたかった。
 しかし、できなかった。相手は、神とあがめられる存在である。しかも、その中でも最上位。交換条件とはいえ、己の願いを叶えてもらった恩もある。その為、彼はやんわりと『無理』だということを示すことにした。
「アジカさんのところって馬で飛ばしても一日はかかりますよ?」
 なのに、この山をどう運べという! 何往復すればいいんだよ! と、シェラートは、冷静に冷静にと自分に言い聞かせて言った。
 対するジーニー(魔神)は、涼しそうな顔をしている。ただ、その表情の中にあった不可解そうな色を強めただけだ。
「何を言っている。時間がかかるわけないだろう。転移させるか、お前が転移しろ」
「何を仰っているのですか!? できるわけないでしょう」
 まだジン(魔人)となって数ヶ月である。人間の頃にはなかった魔力をそうやすやすと操れるようになるわけがない。カーマイルに飛ぶ時も、ランジュールに補助してもらったのだ。リーアに必要な薬を作れたのも同じようなものだろう。つまり、完全に己一人ではできる自信などない。
 しかし、ランジュールはシェラートの意見など聞き入れてはくれなかった。というより、何故シェラートがそう考えたのか、ランジュールにはいまいち理解できなかったのである。
「できないわけないだろう。力量は同じなんだから」
「そういう問題じゃないだろうがっ!」
「他に何がある」
「たとえば、だなー……モノを転移させる方法は習った覚えがない、ですよ!」
 これでどうだ、とシェラートはランジュールに突きつけたつもりだったのだが、返ってきたのは「それが何だ」という言葉だった。
「どっちも同じだ」
「どう同じなんですか……」
「考えるまでもなく同じだろう」
 シェラートは溜息を吐きだした。らちが明かない。
「もう、ランジュールさんが転移させればいじゃないですか」
 そっちの方が断然早いだろう。だが、ランジュールはいらぬところで人間のような常識力を発揮した。
「シェラート、お前がしなければ、いつまでたっても変わらないだろう」
 つまり、練習しろ、と。
 シェラートは口をつぐむしかなかった。
 彼の真意が別のところにあることは、まだ知りあって間もないこの頃、気付けなかったのである。それこそが、彼らが交わした願いの一部だったのだが、シェラートが気づくことはなかった。
 正論を突き付けられた以上、逆らうことはできない。
 ただ、ひょうひょうと広い屋敷の奥へと消えゆく背中に向かって、シェラートは小さく舌打ちをした。さすがの彼も、ランジュールの言葉が自分の為を思っての発言でないことくらいは、この短い数ヶ月の間に悟らざるを得なかったのである。

 四苦八苦しながらトゥッシトリア(三番目の姫)の離宮に運び込まれた高々とした山。
 アジカが呆れた顔をしたのは言うまでもない。彼女にとっては、これは一度や二度のことではなかった。
 ヴィエッダはいつ遊びに来るかしら、と彼女は壮観な景色となりつつある居間を、ぼんやりと眺めた。

***

「おい、小僧。それ運んどけ。ああ、あと、あれも動かしておけ。見え方が変わったからな」
「――っ! いい加減にしろ、ジジイ!」

 ついにぷっちんと切れてしまったシェラート。それでも、無理難題――いや、“題”とも言えぬようなものごとに巻き込まれ続けたシェラートは、よく一年も我慢し続けたものだと、「ジジイ」と叫んでしまった瞬間に酷い疲労を感じたという。
 ランジュールがシェラートの中において『ジジイ』の座を易々と得ることができたのは仕方のないことであった。
 それは、誰の目から見ても同じであったらしい。
 
 
 
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(c)aruhi 2009