「げ」
 思った時には、もう遅かった。なぜなら私が投げた鉢植えは、その瞬間すでに私の手を離れていたのだから。
 ぱりん、と。いっそ気持ちがよいほどの粉砕音が晴れた空に響き渡る。
 こんなはずではなかったのにっ!
 どこか隠れる隙間はないだろうか、と辺りを見渡して――隠れる場所を見つけるよりも早く、ひょっこりと割れた窓から出てきた夫の姿に、私は顔を引きつらせるしかなかったのだ。
 あぁ、もう。なんで今に限って、そんなところのいるの。

来年でも来世でもなく、来週の約束



 ガラス片の散らばる床を、ケフィがいそいそと掃除する。
 寝室の窓が割られたことはまだ記憶に新しいのに、今度は自分から割ってしまったのだから、申し訳がたたない。
 危ないですから、と寝室から廊下に追いやられ、所在のなさに立ちつくす。開きっぱなしの扉からは、せっせと働くケフィの姿が垣間見えた。ガラス窓が割れただけならまだよかったのだ。問題は、ケフィがガラス片と一緒に片づけている陶器と土――つまり割れた植木鉢にあった。
 右側に横目を配れば、案の定、ロウリィは見るからに意気消沈している。
「ええっと……」
 違うのよ。手近にあったからってあの植木鉢を投げちゃった私もそりゃあもちろん悪いけど、よりによって今日は運動神経が抜群によい刺客が混じっていたのよ。私の予想では、植木鉢はあの男にあたって跳ね返るはずで、それをまた受け取ろうと思ってたわけで、……ちゃんとそれを見越して割れないように角度も計算したはずだったんだけど、まさかあそこで避けられるとは思いもしなくって。
 ぐるぐると頭の中で連なり始めた言い訳が情けなくて、結局、口から出たのは溜息だけだった。
 あれは、一見ただ土が入っただけの植木鉢だけど、その実はとんでもなく繊細な菌糸が入っているのだと聞いたことがあった。自家栽培の方法が確立していない茸で、実際、ロウリィも一度も成功したことがないらしい。けれども、今回は珍しく二カ月も菌が生きていた。たった二カ月、とは思う。でも、その二カ月が今まで一番長く持った例だった、らしい。知っていたはずなのに、安易に投げてしまったことを反省する。そんなに大切なものをあんなところに置いておくからと思わないでもないけれども。
 床に散乱しているあの土を別の鉢に入れ替えても、もう元には戻らないのだろう。
「……悪かったわ、ロウリィ。ごめんなさい」
 謝ると、ロウリィは「え?」と顔をあげた。首を傾げ、そのうち困ったふうに彼は苦笑しだす。
「カザリアさん、怪我はしませんでしたか?」
「ええ」
「それはよかったです」
 ぽややんと、ロウリィはのんびりとした口調で言った。
 私は彼の目を見返しながら、ぐっと唇を引き結ぶ。
「それにしてもカザリアさんの植木鉢を避けるなんてすごい人もいたものですねぇ」
「…………ちゃんと弁償するから。また一からになっちゃうけど」
「あ。あれ、売ってるものではないんですよ」
「うぐ」
 呻けば、隣でロウリィが面白そうにぽやぽやと笑う。
「大丈夫ですよ。この間、覗いたら今回ももう駄目かな、という兆しはありましたし。今度またロギさんのところへ行って貰って来ますから」
「ロギさん?」
「はい。山に詳しくて、いつも種菌を一緒に探してもらっているんです」
「……そう」
「そうなんです」
 ほけら、とロウリィは首肯する。
「割ってしまったこと、そんなに気になります?」
「気になるわ」
「なら、今度」
「今度?」
「はい。二つ先の街で一年で一番大きな市が開かれるんです。お祭りみたいな騒ぎで、珍しいものもたくさん集まるんです」
「う、うん?」
 ほやほやとロウリィは笑みを深めていく。その表情を見るにつれ、彼が言うだろう先の言葉がわかる気がした。
「買いたいものの候補を絞ってたんですけど、カザリアさんが手伝ってくれたら全部買えると思うんですよ」
 どうでしょう? と聞かれて、まさかこの状況で断れるはずがなかった。
「えっと……どれだけ買うつもりなの?」

紫陽花の世迷い事
ちゃらららっちゃらーん!
ロウリエは53の薬種と13個の器具を手に入れた。