静かに流れる所作だった。
 ざわめきの中、浮き立つように音は消え、あなただけが明瞭に色彩を帯びる。
 くるり、くるり。
 漏れ聞こえるかすかな音楽にあわせて、踊った。たったの一度。それっきり。
 にもかかわらず、あの時間が再び私にも訪れはしないだろうかと、来る年、来る年、ただひたすら壁際に寄り添い、遠くであなたが談笑し、踊る様を、息を詰めて追い続けていた私は、きっとあまりにも滑稽だったでしょう。わけもなく一人あの庭に降り立って、暗がりの中、食い入るように広間を見つめていた私は、他者の目からはさぞかし奇妙に映ったでしょう。
 とても遠い人。
 知らぬ間に、私の支えにされていた、優しい人。

いつから愛しの、いつまで愛しの、



「トゥーアナ」
 当然のこととして伸ばされた手。手を重ねると、最後の石段はほとんど抱きかかえるようにひっぱりあげられた。ちらと盗み見れば、ガーレリデス様は共犯者の顔をして笑う。
「牢に入りたいだなんて、悪趣味だぞ」
「見ておきたかったのです、もう一度だけ」
 囚人のいない牢はひんやりと静まり返り、他に人気はない。ガーレリデス様は、牢番の目を盗んで借り出してきた鍵を鍵穴に差し入れた。ガチン、と呆気なく外れた牢の要である錠を、ガーレリデス様から手渡され握り込む。金臭い錠は掌には重く、けれど、隔てる壁であったはずの牢格子を支えるにはあまりにも小さく思えた。
「開いたぞ」
 いつの間にか他の錠も外し終えていたガーレリデス様は、鉄格子の扉をいとも簡単に開いた。腰をかがめて入口をくぐった彼の背を追い、私もあとに続く。
 暗がりの中、歩を進めながら、埃の被った机を指先でなぞる。きぃ、と音を鳴らして彼が牢の奥の木窓を開ければ、姿を現した格子窓から、強い風が光を巻き込んで吹き込んだ。
 澄み渡る空。その青さに惹きつけられて、格子窓の外の景色に手を伸ばす。格子に手をかけて、景色を見渡せば、眼下には城内を行き交う人影、その向こうには、街の営みと、山河が連なっていた。
「ああ」
 目眩に似た感慨に襲われて、私は額を鉄格子に預けた。春を含んだ風が額に柔らかい。涙が出そうだった。
 宥めるように、ガーレリデス様は私の髪を撫ぜる。そのまま頭を胸に引き寄せられて、息を吐いた。
「確かにここにいました」
「そうだな」
「ずっと、近くに来れたと思ったのです」
「それ、いつかラルーに話してみろ? 笑われるから」
 くつり、とガーレリデス様は、私の頭上で笑う。鼓動に混じって震える楽しげな息づかいが耳を伝った。
 薄くたなびく雲。白く薄らいだ合間を縫うように駆けて行った小鳥が晴れた空に翻る。
「あの山の向こうがルメンディアだな」
「はい」
「懐かしいか」
「ええ。久しぶりですから」
 山の頂を染めていた真白な雪は姿を消し、山肌には緑の新芽が芽吹き始めている。きっとあちら側では、ネイドラフージュの花がほころびはじめた頃だろう。ちょうど一週間後には満開のはず。
 ひらり、記憶の中で舞った白い花びらが、眼前の青空に透けて重なる。
 口をついて零れ出た幼い日から聞きなれた歌は、風が鳴る牢の中、微かにあたりにこだました。
 ふいにこめかみに唇を寄せられる。口ずさみながら横を振り仰ぐと、頬をさすった彼の硬い指が、顎をおもむろに引きあげた。
 ついばむように口付けられる。飲み込まれた歌は、行き場を失ってもう出てはこなかった。
「呼ぶな。いるから」
 囁きかけられた戯れに、私はひそやかに微笑う。
 何より得難かった腕の中、私が腕を回してしがみつけば、与えられるのは確かな充足感だ。
「無理を言いました。ここまで連れてきてくださって、ありがとうございます、ガーレリデス様」
「ああ」
 とても近い。
 この距離こそが自然なのだと。いつの日からか思い知らされていた。

ever after 
愛していますよ、世界が終った、その先も