少女はするりと戸口をくぐった。庭に出ているはずの母を追いかけて、外に出る。
 思った通りだ。彼女は息を吸い込む。いつもよりも土の匂いが濃い。母が手を入れると、庭中の土はいつだって匂い立つ。
 少女は首をすくめて笑う。よい香り。こつり、こつりこつり、と何かが母の傍で音を立てる。母のすぐ脇にある籠を揺するとじゃらじゃらとより多くの音がなるから好きだった。
 けれども、少女の手から籠はすぐに消えてしまう。
 さくり、さくり、と土を鳴らして、母は今日も何かを埋めたようだった。土に埋めると、おいしい芋がたくさんできるのだ。
 それを知っている彼女は、ぺたぺたと地面を探りながら苗の置かれた場所を探り当てる。そうして、彼女は母と並んであらゆる苗を毎年決まった季節に植えてきた。
 隣の母が立ち上がった気配を察して、少女は泥だらけの顔をあげた。
 傍から離れる音がする。家に戻るのだ。
 少女は、手を伸ばす。
 しかし、空を切った手は結局、誰に届くこともなく――少女はいらなくなった泥に塗れた掌をにぎにぎと動かして、母のあとを追いかけ家へ走った。
 

呑み込んだ悲鳴まで、愛してくれなくていいのに


 生まれつき目の見えぬという少女は、小さく細い体をしながら、意外にも豪快に芋を引き抜く。勢いがありすぎて、茎だけがとれてしまったり、少女が尻もちをつくところに出くわすのはそう珍しい事ではない。
「なんだ、今日は芋か」
 山に鳥を捕りに行っていた実己は、帰って来たことを知らせようとした瞬間、芋と一緒に後方へ転がった紅の身体を抱き起した。
「今日も芋飯!」
「そうか」
 頷いて、実己は紅の額にこびりついている泥を手で拭う。
「泥ついてた?」
「ついてた」
「とれた?」
「とれた」
 紅はにかりと顔いっぱいに表情を広げて笑った。
「実己も鳥採れたね。おいしそう」
 くん、と紅は鼻を蠢かせる。実己が手にする布袋のうちでは、捕らえられた鳥がばたばたとしきりに暴れ回っていた。
「芋はこれで終わりか?」
 実己はざるに積まれた四つの芋に目を留めて紅に尋ねる。こっくりと大きく紅が頷いたのを認めて、彼はざるを抱え上げた。
「なら、これも一緒に持って行っておくから」
 手を洗っておいで、と声をかけて、実己は家に向かって歩を繰り出した。
 ひら、と伸ばされた手が宙を切る。行き場に惑った手が目の端に映って、実己は足を止めた。
「どうした?」
 実己はざるとばたつく袋を抱え直して、少女の前にしゃがみ込む。
 彷徨っている掌が面白くて、実己は彼女の掌を親指で押しやった。紅は、とと、と後方によろける。
 不格好な形で立ちどまった紅は突如首を傾げた。実己も彼女に倣って、首を傾げる。
「洗っておいで」
 実己は紅の様子を見つめながら彼女を促した。
 どこか遠い記憶を探るように、にぎにぎと掌を握っては開いたりしていた少女は、声もなく頷くと、庭の端にある泉へ向かって走っていった。

紅の薄様
なぜならそれはどちらでも昔と今のしあわせの記憶