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「あら? もう少し袖をたっぷりとった方がよかったかしら」
「それならばいっそ袖口を開いてしまって、こんな感じで流した方が、ドレスの裾の部分とあいまって綺麗ではないでしょうか」
「あぁ、そうね。それもいいわね。でも、仕立て直すとしたら、布地が足りるかしら。まだ、余ってる?」
「う~ん、残量は微妙な感じですね。このままでも充分お美しいですし、今回分はこのままで、次回分をこの形にしてみてはどうでしょう」
「ああ! そうね。それがいいわ。そうしましょう。ちょうどアイスブルーが捨てきれなかったことですし、今度はアイスブルーで、袖がこの形で、ついでに腰の部分に大ぶりのコサージュをつけましょう。ああ、ですが、邪魔にならない程度に。そこは調整しておいてね」
 スケッチブックを覗きこんでいたお義母様は、満面の笑みでぱちりと両手を打った。その隣では、手首に針山をつけている侍女が「では、次回分、決定ということで」と手にしているスケッチブックに花丸を描き込む。
 周りには開けられた箱の数だけ広げられている衣服たち。
「昨日は大変だったんですってねぇ」というお義母様の慰めからはじまって、「ちょっと草むしりをして憂さ晴らしを」とはさすがに言えぬ通過点を通って、今に至る現在。お義母様との第二回お茶会はなぜか主役であるはずのお茶をほっぽりだしたばかりか、着せ替え大会にとって代わっていた。ちなみに着せ替え人形役は私である。
 いえ、たくさんのドレスを試着するのは慣れているのだけれど。むしろ、着せ替えをするのもさせるのも好きな方なのだけれど。
 今着ているのは、もう何着目になるだろうか。淡いくすみのあるオールドローズは、普段選ばない色だからか、鏡の中の自分を見てもすごく不思議な気分だ。けれど、すっきりしたデザインのせいか嫌味な甘さはない。飾りと言っても、首の後ろで結んだリボンくらいのものだ。
「ああ、やっぱりカザリアさんの腰は太すぎず、細すぎずいいわねぇ」
「ですねぇ」
「……ありがとうございます」
「胸も肩も丸くていいわねぇ。シルエットが綺麗にでていてうらやましいわ」
「ですねぇ」
「ありがとうございます……」
 お義母様と、ケルシュタイード本家からついて来たという侍女が、相互に頷きあう。
 ありがたい。褒めてくださるのは、ほんっとうにありがたいのだけれど。そんなに嫁をべた褒めしたって何も出ませんよ、お義母様。
 そもそもの話、お義母様がお好きなのは、採寸だけではなかったのだろうか。ロウリィが言っていたのは嘘だったのだろうか。嘘と言うのなら、お義母様が人見知りだという方がよっぽど嘘っぽいのだけど。
 ぐぅるり、と私の周りを一周して最終確認しているらしいお義母様の姿を目で追う。そんなことを考えていたからだろうか。あまりにもじぃーっと見つめすぎていたらしい。目があったお義母様がやんわりと首を傾げた。
「私の趣味のことでも聞いたのかしら」
「いえ……」
 まごついていると、お義母様が上品に苦笑した。くすりと零した微笑を片手で軽く隠しながら「どうせロウリエが、いらないことまで喋ったのでしょう」と言い当てる。さすが母親と言うべきか。
「……ロウリエ様から、お義母様は採寸がお好きだと伺いました」
 素直に事実を認めると、お義母様は「ええ。大好きなのよ」と肯定する。
「でも、変な趣味はお互いさまでしょうにねぇ?」
「は、はぁ……」
 なんと答え辛い質問を投げてくるんですか、お義母様。と言いますか、どうしたってお義母様は自身の息子が変なのをお認めになってしまうんですね?
 お義母様は、室内をぐるりと見渡す。
「けれど、これはねぇ、――いろいろと大義名分が必要なのよ」
「大義名分、ですか……?」
 意図が汲めず、頭を捻る。
 そう、とお義母様は内緒話でもするように声をひそめて言った。
「それは」
 一体どういうことなのか、と開きかけた口は、けれど、お義母様に人差指を押し当てられたことで阻まれた。
 お義母様は、にっこりと意味深な笑みを浮かべる。
「カザリアさんに一つ聞いておきたいことがあるのよ」
 相変わらずお義母様の指先によって口を閉ざされている私にどうやら拒否権は与えられないらしい。ふふふんと微笑し続けるお義母様の前に、結局、私は顎を引くしかなかったのである。


 軽く立った扉の音。
 コンコンと控え目に叩かれた割に、来訪者は許可も待たずに扉を自ら押し開けた。
「失礼しますね」と、思い出したかのように後から付け加えられた断り。
 けれども、当の本人はと言うと、自ら押し入ったにも関わらず、部屋に入った瞬間、踏み入れた足そのままの格好で立ち止まってしまったのだ。立ち止まったと言うよりも、これは固まっていると言う方が近いような気もする。
 一体どうしたのだろう、と向かいにいる相手を見据えてみるが一向に動く気配がない。
 恐る恐る「ロウリエ様?」と呼びかけてみるも、応答なし。
 日頃からあまりにもぽやぽやしすぎじゃないかとは思っていたけれど、今回に限ってはあまりにもぼけらっとしすぎている。指でつつきでもしたら、ひっくり返って尻もちまでついてしまうんじゃないだろうか。
 お義母様も不思議に思ったのだろう。片側の頬に手を当てて首を傾げる。
「まさかとは思うけど……あの子、立ったまま寝ちゃってるのじゃないかしら?」
「ですが、奥方様。ぼっちゃま、目は開いていらっしゃいますよ?」という侍女の言葉に、お義母様が「目を開けたまま寝ているのかもしれないわ」と平然と答える。
 ありえる。ロウリィなら、ひっじょうにありえそうです、お義母様。
 さすがにそんなはずありませんよ、と否定できない現実がむなしすぎていたく身に沁みる。
「……お、起こしてまいります」
 思わず挙手しそうになった右手を左手で辛うじて抑え込む。二人には「いってらっしゃい」と軽やかに手を振られた。と言っても、開いた距離は多く見積もっても十数歩程度なのだけれど。
 衣類の入った箱を避けながら、ロウリィのところまで辿りつく。
「あの、ロウリエ様。起きてます?」
 試しにひらひらとロウリィの目の前で、手を振ってみる。すると「はぁ」と何とも気の抜けた返事が返って来た。とりあえず、起きてはいるらしい。さっきの返事が寝言でない限りは。
「……何をどうやったら一日で部屋がこんな色に……」
「は、はい?」
 ぼそりと呟かれた呻きに驚いて目を丸くすれば「一応この屋敷借りものなんですよねぇ……」と、さらに的外れな感想が続いた。
「……ロ、ロウリィ?」
 駄目だ。この人、完全に寝ぼけているらしい。
「ちょっと、ロウリィ! 本当に寝てるの? いい加減に起きなさい!?」
 ロウリィをがくがくと揺さぶる。お義母様の手前、さすがに首根っこを掴むなんて真似は出来ないので、今回は両腕を掴んで軽く……ええ、どれだけ焦ろうが軽ーくだ。
「いえ、そもそも寝てはいなかったのですが……いえ、眠いのは眠いんですが、えっと、はい、目は覚めましたね?」
 なぜに疑問形。
 しかし、ロウリィは大して気にした風もなく、指で目頭を押さえた。
「いえ、服の色が……誤って絵の具でもひっくり返したのかと思いました」
「え、のぐ?」
「はい」
「――疲れてるのね?」
「疲れてはいません。ただ眠いだけなんです」
「……どちらも大して変わらないと思うわ」
 少なくとも私からすれば。「違うと思いますが」と、ロウリィはぽやりと首を傾げる。傍から見ればすごく眠たげには見えないのだけれど、ロウリィは普段からぽやぽやーんとしているので、見極めが難しいだけかもしれない。
「それにしても、すごい数の服ですねぇ……」
 感慨深く溜息をついたロウリィは、改めて部屋の中を見渡す。
「当り前でしょう。採寸したからには、服をつくらなくっちゃ。昨日一生懸命こさえたわ、アーリィが。カザリアさんに服を作るために採寸するのだから」
「あ、そうですか」
「――ロウリエ。今、母の言葉を流したわね」
 じとりと、お義母様は向かいから息子を睨んだ。目が据わっておりますお義母様。「せっかくよい言い分を思いついたと思ったのに」と言うお義母様は、なんとも悔しそうである。
 ああ、大義名分ってこのことだったのですね。
「これ片付きます? 無理なら母さんに持って帰らせますので遠慮せずに言ってください」
「そうかしら? 言う程多くはないと思うのだけれど」
「これで、多くないんですか?」
「う、うん?」
 頷くと、ロウリィは驚いた顔をした。けれども、今回お義母様が作ってくださったのは、意匠が凝っているとはいえ普段着用のドレスだ。これに、正装やらなんやらを用途ごとに加えていけば、さらに多くの服が必要となってくることは当然の理である。
「……ぼっちゃま、他に仰ることは」
 一人黙って、様子を伺っていた侍女が、ロウリィに問いかける。ロウリィは、散在するドレスを見ながら、「女の人って大変ですねぇ」としみじみと呟いた。何がそんなに残念だったのか。尋ねた侍女は、大きな溜息と共に、がっくりと肩を落とす。

「――っと、驚いている場合じゃありませんでした」

 ロウリィは、ハッとしたように言う。
 突然、肩に回された手。どうしたのか、と尋ねる間もなく、再び開かれた扉の方へとロウリィに背を押された。
 なんだ。一体何なのだ、と混乱している間に、部屋から廊下に出される。
「それでは。しばらくカザリアさんを返していただきますので」
 宣言して、ロウリィはパタリと扉を閉める。扉によって隔たれた部屋の中からは、「いってらっしゃーい」とのんきな声がかかった。
「……ええ、っと?」
 なんとなく嫌な予感がするのは気のせいでしょうか。
 戸惑う私に、ロウリィは「ちょっとお話があります」とちっともぽやぽやしていない顔で切り出したのだ。