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「領主様、領主様」

 嬉々とした呼び声が右方向の屋台からかかる。
 これでもう何度目になることか。
 思わず額を抑えてしまった私の隣で、ロウリィが「うぐ」と変な声を出した。
「カザリアさん……」
「もういいから行ってきなさいよ」
「どれくらいまでなら……?」
「使える分だけにしなさい」
「それは大丈夫です! 意地でも使い切りますから!」
「意地張って使う量じゃなくていいっ!」
 ぐっと拳を握り、勢い込んで宣言してくるロウリィに向かって、全力で言い返す。
 その間も「これですこれ」と笑顔の店主が箱ごと商品を持ちあげて呼び招いていた。店主の方に顔をやったロウリィの目が、きらりと輝く。
 正直、私にはその商品がただの根にしか見えない。けれども、ロウリィの反応を見る限り、やはりとてもよい品なんだろう。
「こっちからちゃんと言って、適正な値段で買ってきなさいね」
「そのつもりです。行ってきます!」
「わかったから。でも、もう、量だけは、ほんっとーうに、ほどほどにね!」
 うきうきと店主の元に向かうロウリィの背に呼びかける。その後に、ルカウトとバノが当然のように続いた。もう今日は何度も見ている光景だ。
「また増えてしまいましたね」と、私の側に残ってくれているケフィが半ば呆然とした口調で言う。
「おっちゃんも、おばちゃんも張り切ってたからなぁ」と、前もって知り合いから聞いていたらしいスタンが感心したようにぼやいた。
 どうやら領主が花呼びの日に会場にくると事前に知っていたらしい誰も彼もが、ロウリィが好みそうな植物やらキノコやら乾物やらを探して用意していたらしい。
「たまたま見つけたんです」「日頃のお返しに」と口々にいう彼らが持ち出す品は、当然、偶然見つけられるような品ではなく——恐らくロウリィに渡すためだけに時間を割いて、採集にでかけてくれたり、買い付けてくれたりしたものなのだ。
 市場に出せば値の張るものが多いというそれらの品を、完全に善意だけでロウリィに譲ろうとしてくるのだから、大概みんな人がよすぎる。
 たとえば他の場所であったのなら、その真意を疑ってしまうところだけど、本当にどこまでも善意でしかなさすぎて、こちらの方が心配になってしまうくらいだ。
 そして、人のよさで張り切り過ぎてもらった結果、集まった量も尋常じゃなかった。早い段階で、馬車では持ち帰れないとわかり、結局あとからまとめて荷台で運んでもらう手筈になっている。
「本当に日頃から野菜だって他のものだって貰いすぎているっていうのに」
 すぐ近くの雑貨が並ぶ屋台を覗き込みながらぼやけば、「まぁ、みんな、領主様には感謝してもしたりないくらいなんだからさぁ。許してやってよ」と、やはり顔見知りの女将さんが豪快に笑った。普段、雑貨屋を営んでいる彼女も、もれなく出店していたらしい。
「いつもと扱っている商品の雰囲気が違うのね」
「そう。やっぱりこの日はなんったって、飾り物がよく売れますからね。そっちを多めにしてるんですよ。かわいいでしょ」
「本当に」
 仕切られた箱の中に、髪飾りや首飾り、ブローチ、リボンと、細々とした小物が並ぶ。手頃なものから少し値の張るものまで、種類も値段もまちまちだが、彼女の確かな目で選び抜いたものなのだろう。どれも愛らしく、丁寧につくられた美しい品ばかりだった。
 つや、と透き通るガラスの髪飾りに惹かれて手に取る。
「きれい」
 羽の形を模した髪飾りを目の前で透かせば、今日の空と同じ色をしたガラスが陽光を引き込んで輝きを深めた。空にうつしてはじめて、羽の形をしたガラスの中に、花や葉の模様も隠し込まれていることに気づく。
「領主様が変わって、商人も行き来しやすくなったみたいでね。それもね、二つ隣の領地の工房でできたものだって言っていましたよ。でもさすが奥様、それを選ぶなんて」
 ふふ、と女将さんは楽しそうに笑みを零す。
「‟まさしく”じゃないですか」
「まさしく?」
「領主様の瞳の色とおんなじ」
「おんなじ……」
 言われて、髪飾りに目を戻した途端、ぶわりと赤くなってしまったのがわかった。
「いや、もう、話には聞いてはいたけど。よかったですね、奥様」と女将さんが涙を溜めて笑い出す。
「いや。うちの奥様、どうやら無意識らしいんで、からかうのはやめてやって」
 珍しくスタンが真面目に止めてくれているのに、ますます居心地の悪い気持ちになる。ケフィに助けを求めれば、彼女はものすごく微笑ましいものを見る目をしていた。
 それで奥様、とどうにか笑いを噛み殺したらしい女将さんが聞いてくる。
「誰かから聞いた? 花呼びの日の慣いを」
 あんたはちょっと席を外しなさい、と女将さんに手を振って追いやられたスタンが、肩をすくめ、言われたままにいくらか離れていく。
 私は落ち着かない気持ちのまま、おずおずと頷いた。
「ケフィから、教えてもらいました」
 今朝方、「奥様、知っていますか」と、私の髪を編んでくれながら、まるで秘密を共有するように、ケフィがそっと明かした話を思い出す。
 花呼びの日のもう一つの花。
 恋人たちの間で交わされる慣い。
 まだ咲かない花の代わりに、この日、想い人を持つ男性は、自分にゆかりのある色を女性に贈る。
 自分と相手を繋ぐ色。相手を繋ぎとめる色。
 ずっと一緒にいられるようにと、願いを込めて贈られるのだとケフィは言った。
 その色をまとうことが、花の代わりになる。春の訪れを告げる鮮やかな鳥の代わりになる。
 受け取ることが花を、春を呼び、相手に願いを返すことになるのだ、と。
「でも、もうそういうのではなくて……夫婦だし」
「あらぁ、いいじゃないですか。お二人ともはじめての花呼びの日で、はじめてこの土地に来たんだから」
「その……この髪飾りは欲しいのだけど、自分で買ってはだめ?」
「ずるはなしですよ、奥様。そもそもそんなんじゃ、意味なんてなくなってしまいます」
「でも、頼んでもらうものじゃないでしょう」
「あら。ここらの女は、大概ねだってもらっていますよ。だって自信がなきゃ、くれないのが大半なんですもん。ねぇ?」
「そうですね。私の姉も、そうしていましたね」
 ケフィはくすくすと笑って、応じる。「頑張ってくださいませ、奥様」とそっと両肩に一度、手を添えられる。
「でも、言い出せる自信が……」
 ケフィの方へ振り向けば、いつの間にかロウリィが立っていた。
 ひぇ、と変な声をあげてしまった私に、髪飾りと同じ色をしたロウリィの目が丸くなる。
 探せば、ケフィはスタンたちと一緒に少し離れた場所で満足そうな微笑みを浮かべて立っていた。
「どうかしました?」
「……」
「何かいいものがありましたか?」
 髪飾りを握り込んだままの私の手を、ロウリィが覗き込む。
 そういうものに今まで縁がなかった私は、そういったものに憧れの気持ちがないと言ったら嘘になって。
 ケフィと女将さんを見れば、二人は揃って励ますように、頷いてくる。
 観念して、私は握り込んでいた手をそろりと解いた。
「髪飾りですか?」
「ええ」
 掌には、冬を残した薄蒼の空がうつる。 
 彼が笑うと細まって、ついには消えてしまう、晴れた日の冬の空の色。
「きれいなガラス細工ですね」
 ロウリィの指先が、私の掌から髪飾りを摘みあげる。
 たったそれだけのことなのに、いやおうにも緊張が増して、くらくらと眩暈がしそうになった。
「……買って、贈って、ほしいの。私に」
 頑張って声を出したつもりが、あまりにも掠れてしまって、自分の声が耳に届く先から恥ずかしくなる。
 それでも俯くのは我慢して、ロウリィを見据えた。
 え、と声を漏らしたロウリィが、手にした髪飾りと私を見比べて、薄蒼の目を見開く。
 たぶん、ロウリィも誰かから聞いて知っていたのだろう。
 正しく意味を理解したらしいロウリィの耳がほんのわずか赤らんだのが、私にもわかってしまった。