5


「さっむっ……!」

 羽織った肩掛けを手繰り寄せて、胸の前で掻きあわせる。それでも、沁み入るような寒さからはあまり逃れられた気がしない。
 まったくここまできたら、ただの嫌味でしかない。
 嘲笑うかのように無駄に白く薄く広がっては消えていく息は、見える分だけ余計な寒さを感じてしまう。むっと睨みつければ、呆気なく消えてしまう。それが、また、嫌味たらしくて仕方がない。
「……バカにしてるのかしら」
 ぼやく先から、また一つくゆって乳白色の息は大気中に溶けてゆく。まるで、その通りだとでも言うように、すぐに消えて行った。
「カザリアさん、カザリアさん。ただ吐かれた息がカザリアさんをバカにできるわけないじゃないですか。そんなことしても寒さは変わりませんよ」
「わっ、わかってるわよ!」
 ロウリィはこんな日でもぽやぽやと笑いながら歩を進める。まったく寒そうに見えない。むしろふかふかと暖かそうだ。
「どうしてそんなにあったかそうなのよ。服だって少ししか着ていないのに」
「いえ、充分寒いですよ。服に関してはカザリアさんが着過ぎなだけです。まるまるしていますよ?」
「自分だってまるまるしてるじゃない!」
 見た目はどこも変わらないわよ。むしろ、コロっとこけちゃいそうな分、ロウリィの方がまるまるの雪だるまに近いと思うのだ。絶対に。
 それにしても寒い、寒い、寒い。ちょっとでも暖かくなるようにと早歩きをしてみたのに、ロウリィがのんびりと歩いているせいで効果がなかった。なぜなら先に進んだ分ぽてぽてと歩いて来る彼を待っておかなければならなかったのだ。
「急ぎなさいよ!」と怒ってみても、ロウリィの速さはあまり変わらなかったので、大人しくのんびりとロウリィにあわせるしかない。
「そんなに寒いのが苦手なのなら、家にいてもよかったんですよ」
「こんなに寒いのに、どうしてロウリィは外に出なくちゃいけないのよ」
「会話が成り立っていませんよ? カザリアさん」
 ロウリィはぽややんと笑った。だから、私は口をつぐむ。
 成り立たせてないんだから、そんなの当たり前じゃないか。
「別にこのくらいの外出なら平気だと思うんですけどねぇ」
 その口が言うか。殺気も読めないくせに。私がいなかったら大怪我してたわよ、きっと。
 いえ、別に恩を感じて欲しいとかそういうわけではないんだけど。
「……だって、部屋にいても寒いじゃないの。窓割れてるし」
 どちらにしても寒いならついて行ってもいいじゃない。そっちの方が安心じゃない。
「他の部屋にいればきっと暖かいですよ?」
「…………」
 ロウリィはぽやあんと言って、私は切り返されたことにちょっと腹が立った。キッと睨みつければ、ぽやぽやとした笑みが返る。
 ああ、ロウリィの瞳の色は、冬の晴れた日の空に似てるなぁとほんの少し思ってしまった。もっとも彼の瞳の色なんて、今は細くなりすぎていて、ほとんど見えなかったのだけれど。
 ――って、そういうことを考えてる場合じゃなくて!
「私が未亡人になったらどうしてくれるのよ! さすがにこの歳でそれは嫌なのよっ!」
「いやぁ、きっと大丈夫ですよぉ。今まで何とか生きてこれていますし」
「それは、私とスタンとバノとその他もろもろの人の努力の賜でしょうが!」
 むしろ領主にちょっとでも関わりのある人全ての努力の賜だ。
 ガクガクと揺さぶられている当の領主様は「いつも助かってます~」と危機感なくぽややんと笑った。なんだかバカらしくなってきたので、溜息をついてから手を離す。
「それで、どうして外に出るのよ。今朝あんなことがあったばかりじゃない」
「まぁ、いつものことですし?」
「いつもこんなことが起こるのが、すっごく嫌です!」
 しかも、なんだか慣れてきてしまった自分がすごく嫌だ。
 はあ、と長い長い溜息をついて俯いたら、視線の先に、ぷにっと太い彼の人差し指が目に入った。
「ほら、カザリアさん。今日は特別寒くなりましたから霜が降りているでしょう?」
 前後関係が読めず、呆れて顔をあげたら、ぽやぽやとした顔があった。まるで、綺麗ですよね、と言っているかのようだ。
「ああ、うん、霜ね。確かに綺麗。雪みたいだわ」
 道端に生えている緑の葉には白い霜がのって、陽光に当たるとほのかに輝く。昼前には跡形もなく消えてしまうのでしょうけど、幻想的に見えなくもない。ほんの少し雪が降った後の光景のよう。
 だけど、はっきり言って、今の私にはそれすら嫌味以外の何でもなかった。とにかく寒いのよ。寒い要素の見え隠れするものは全て嫌味だ。
「――で、それがどうしたのよ?」
 本当にこの人は説明が下手すぎると思う。意味が全然わからない。脈絡がなさすぎる。
「えーっと、だから、この霜が出かけなければならなくなった理由です」
 彼は珍しくきっぱりと言った。だから、それじゃ、わからないって言ってるでしょうが。


 辿り着いた場所には、にこにことした顔ぶれが揃っていた。
 一目で農民とわかる彼らは嬉しそうにロウリィを案内しはじめる。にこにことした人たちに、ぽやぽやとしたロウリィが連れて行かれるのを、呆気にとられて見ていたら、「奥様も」と言われて手を引っ張られた。
 さっきから訳がわからないのだけれど、とりあえず促されるままについて行く。
「見事に霜が降りてないですねぇ。すごい」
「ねぇ、びっくりしましたよぉ!」
 農園の地面にびっしりと敷き詰められているのは、藁。それをどかしてはみんなが「おおう!」と歓声をあげる。
「え、何、どういうこと?」
 私の腕を掴んで、ここまで引っ張ってきた女性に問う。彼女は「いえね」と口を開いた。
「毎年、霜に困っていたんですよ。霜が降りるとね、野菜の葉や根が駄目になってしまって、枯れてしまうんですよ。今年もどうしようかねぇ、とみんなで知恵を絞っていたところに、領主様がやって来て、藁を敷いてみたらどうだろうって。なんでも、もっと寒い地域ではそうしているそうでね。やってみたら、今日うまくいってたから、みんなで喜んでいたんですよ。奥様もありがとうねぇ」
 私はぶんぶんと首を横に振った。だって私は何も知らなかったし、だから何もしていないし。お礼を言われる筋合いもないのだ。
 見渡す限り敷き詰められている藁。その間からひょっこりと小さく芽が出ている緑の葉には道端にあったような霜が一欠片もついてはいない。木だって同じ。根元はしっかりと藁で覆われていて、とても寒そうには見えなかった。
 何でも霜は土の湿度が高いとできにくいらしい。だから、敷き藁以外にも、昼間に水を撒くことを徹底してきたんだそうだ。彼らの努力の結果が、格段と冷え込んだ今日、現れた。
「あ、カザリアさん!」とロウリィがこちらにぽやぽやと今までになく嬉しそうに笑いながら手を振ってくる。彼の周りにいる人たちまで、にこにこと手を振ってきた。もう、これは手を振り返すしか道は残されていないだろう。


 あっという間にあれもこれもと持たされて、両手がいっぱいになった。
 だから、私、何もできてはいないのに。
 その後、同じようにまわった農園でも、次々と感謝の品が増えていった。
 この領地は、半数以上が農地だから、領地全体をまわらないにしても、本当にすごい数になってしまって。結局、最後の最後にまわったところの人が、後でまとめて屋敷に届けてくれることになった。
 本当にそのくらいすごかったのだ。軽く荷台一台分。それも、何とか上に積み上げて、落ちない程度の荷台一台分だ。
「すごいわね……」
 積み上がった荷台を見上げて思わず呟いてしまう。これ、全部感謝されて貰っているのだから本当にすごいと思う。
「はい、皆さん頑張っていましたからね。よかったです!」
「いえ、そうじゃなくて……」
 隣を見たら、ロウリィはほけっと首を傾げる。だから、どうしてそうなるのよ!
「『僕が敷き藁を教えてあげたおかげですー』とか言わないの!?」
「えっ、でも、実際に藁を敷いて見守ってきてくれたのは皆さんですしね。僕は何もしていませんよ?」
「ロウリィも藁敷いたって言ってたわよ、みんな。感謝してたわよ!?」
「あー、それは、とてもありがたいことですねぇ」
「私なんか、『領主様がここまで生きていられるのも奥様のおかげですね』って言われた時、『そうなんですよ』って即答したわよ!?」
「いえ、それ、事実ですしね?」
「ついでに夫の愚痴まで聞いてもらって、奥様友達まで、できちゃったんだからっ!」
「えええっ! それは、よかったですね、って喜んでいいところですか? ……カザリアさん、話が見えません」
「ロウリィにそんなこと言われたら終わりよっ!」
 ああ、もうこんなこと言いたいわけじゃなかったのに! だって、ロウリィはいつもと変わらずぽややんと立っているから。
 つまり、何が言いたいかっていうと――。
「もうちょっと威張りなさいよね!」
 だって、そのくらいのことはしているんだから。領地中に行き渡らせるのはなかなか大変だってことくらい知ってるわよ。それを半年ちょっとでやったならすごいじゃない。
 しかも、その少ない期間で、農家の人から問題を聞いて、対策を練って、実行できてるんだから、もっとすごいじゃない。褒められた分だけ、いい気になったっていいと思うのよ。
「だって、ロウリィがやってきたことが実を結んだんでしょう?」
 そう言ってやったら、ロウリィはぽやぽやと笑った。
「けどね、カザリアさん。まだ収穫できてませんよ。冬はまだはじまったばかりですからね。これからもっと寒くなったら、駄目になるかもしれない。だから、嬉しいけど、威張るのはもうちょっと待っておくことにします」
 ね? とロウリィは笑う。それでいいですか? とでも言うように。そうなると、もう何も言えないじゃないの。ああああああ、もう、腹が立つわ!
「嬉しいですよ、とっても」
「……霜が降りてなくて?」
「ええ、そうですね」
 ロウリィはぽやぽやんと笑う。蒼い目は本当に細くなって、線みたいになって、隠れてしまった。
 私は、はぁと溜息をつく。乳白色の息は、空に舞い上がって、薄れて消えていく。動きまわったせいか、屋敷を出た時よりかは寒くないのに、消え方はあの時とそっくりだ。
「カザリアさん、このままお散歩にでも行きましょうか?」
「嫌よ、寒いじゃない」
「そうですか、寒いですもんね」
 だから、どうして、すぐそこで納得して引き下がるんだ、この夫は。嫌がらせか。
「嘘よ、いいわよ、散歩くらいつきあってあげますよ。……ちょっとくらいならお祝いしても、いいでしょう?」
 だってこの土地では初めて敷き藁をして、そして、初めて成功したんだから。これから先も上手くいくように願いたいと思うのも嘘ではないから。
 何もできなかった分、せめてお祝いくらいはしてあげたいと思うのも、許されるはず――うん、多分許される。

「だから、お祝いのお散歩ね。今回は、よくやりました、ロウリィ」