結婚式直前


「ひ ど す ぎ ま す !」

 むきーっとそれはもう、今にも奥歯をかみしめて地団太しそうなエリアーデは、代わりに私の髪へ編みこんでいた最後のリボンをぴっと両端に引っ張って、留めた。
 そのままぐるりと私の周りを一周し、不備がないかを確かめた彼女は、最後に鏡を見つめ、うるうると目を潤ませる。
「あううううう、お美しいです。お嬢様」
「分かった! もう分かったから、エーデ! それ今日何回目なのよ!」
 軽く数えれば、少なくとも30回。正確に数えるならば、34回。
 一つの作業が終わるたびに泣かれては、慰めるのも一苦労である。
 初めのほうこそ、エリアーデの様子に、私の方もうるっときたものだけれど、34回目ともなると、流れるものも流れやしない。
 えぐえぐと彼女は、ハンカチを握りしめる。
「わたくしのお嬢様が! わたくしのお嬢様が!」
「あー。はいはい。そんな今生の別れでもあるまいし」
「にくい! 奴がにっくいです、お嬢様!! よくもわたくしのお嬢様を! いっそのこと呪ってや、」
「や。さすがに、それはやめて。呪われた人と結婚するのはさすがに嫌だから。御免こうむるから」
「ううううううう……お嬢様!!」
「あー。はいはい。分かった分かった。エーデ、いいからヴェールを持ってきなさい。それでようやく終わりでしょう?」
 エリアーデは、かくかくと首を振る。それから、「これで終わりなんですね」と再び、むせび泣き始めた。
 あー……。もういいわ、仕方がない。ヴェールは直前に、自分でぽいとつけてしまおう。でないと、エリアーデがヴェールをハンカチ代わりに使ってしまいそうだ。
 鏡の中に映り込むのは、白ばかりに包まれた姿。丁寧に編み上げてある髪からは、同じく白のリボンが、幾本も垂れ、リボンそのものがヴェールのようだ。
 いつもに増してひらひらふわふわとしているドレスには現実味がない。けれど、幾重にも布が重ねられたドレスは、ふわりとした見た目に反して、ひどく重かった。
「何度考えても、ひどすぎますわっ!」と、エリアーデは、泣きながら息巻く。泣きながら怒る彼女の迫力は、壮絶そのものだ。
「わたくしのお嬢様を幸運にも貰い受けることができるというのに、当の本人は結婚式当日になっても挨拶にも来ないなんて! 信じられませんわ。ありえませんわ。言語道断。極刑に値しますわ!」
「まぁ、別に、珍しいことではないし」
 むしろ、貴族間ではそれこそが常識。政略結婚ともなると、なおさらだ。
 けれど、彼女は納得できないらしい。事実「納得できません!」とエーデは叫んだ。
「菓子折り持って即刻挨拶に来るべきです。許しませんけど。むしろ、宝石を貢いで破産しちゃえばいいんです」
「いや、そんなことになったら、結婚の話が流れちゃうじゃないの」
「いいじゃないですか。願ったり叶ったりじゃないですか」
 エリアーデはぱっと両手を打ち合わせると、さっきとは打って変わって満面の笑みでにっこりとそう言った。
「願ったり叶ったりって……」
 それは、数時間後には嫁ぐ主人を前にした侍女の言葉としてどうなのよ。
 扉が叩かれたのは、そんな時だった。次いで、告げられた名に、エリアーデは憮然とした顔になりながらも、扉を開け、来訪者に恭しく頭を下げる。彼女の一連の動作が、決してやってきた相手に対する礼儀からではなく、そうしていないといらだたしげな表情を隠すことができないから、という理由からきているらしいことは間違いなさそうだ。