日常をかたどる


Side: カザリア

 ロウリィは、あまり夜更かしが得意ではない。
 たまに無理をして起きていると、寝る前からほとんど眠っているような状態で、誇張ではなく昏倒してしまう。
 そのせいなのか、寝つきのほうは、すばらしくよい。
 普段も、おやすみなさい、と互いに挨拶をして寝台に入ってから寝入ってしまうまで、三分もかかっていない。
 今日も、気が付けば、すぴすぴと、軽やかな寝息が隣から聞こえてきた。つられてロウリィに目を移せば、彼はびっくりするくらいあっさりと夢の世界へ旅立っている。
 よくもまぁ、こんなに平和な顔をして眠れるものだと、いっそ感心してしまうのだ。
 ロウリィのまるい顔は、彼が目を閉じていると、いつも以上にまぁるくなって、枕元にかかる茶色の髪は、なぜかとても柔らかそうに見える。
 試しに閉じられた瞼の上で、ひらひらと手を振ってみるが、一向に反応はない。
 やっぱりすっかり眠り込んでいるロウリィは、心地よさそうに寝息を立てるばかりで微動だにしなかった。
 たぶん、今なら頬をつねっても起きないのでは、と思う。
 そう思い込んだら、むくむくと湧きあがってきた好奇心に、私は堪え切れなくなってしまった。間違っても、ロウリィが起きてしまわないよう、そろりと掛け布団と毛布を押しのけ、半身を起こし、眠るロウリィの顔を覗き込む。
 あぁ、本当にまるいな、とおかしくなった。
 伸ばした手の先にある、すべらかな彼の丸い頬は、ふわふわとした見た目に反して弾力があることを、私はとっくに知っている。よく伸びておもしろいのだ、ロウリィの頬は。
 相変わらずほけほけほややんとした表情は、寝てしまっていても変わらない。
 たまに、本当にごくまれのたまにだけれど、ロウリィのあまりに緊張感のないぽやぽやっぷりがうらやましくなる。私もそうあれたら、もう少しおおらかに、余裕を持って、周りのことを見渡せたのかもしれない。
 けれど、二人揃って、こんなにもぽけぽけしていたら、周りが大迷惑を被ることになりそうだし、ならば、これはこれで安定がとれていいんだろう。
 ロウリィのぬくい頬に寄せていた手の腹で、そのまま彼の両頬を挟みこみ、思いつきにまかせて軽くつねる。
 引っ張られて、伸びた頬。きみょうに歪んで、よけいに細く伸びた目と口の形は、我ながら傑作だった。
「ふふふ」
 知らず、口をついて出た笑い声に、誰よりも私自身が驚いた。
 慌ててロウリィの頬から離した手で自分の口元を抑え込むと、今度は肩口から髪が滑り落ちた。私は悲鳴をあげそうになる。
 首元に落ちた私の髪がくすぐったかったのか、これまで何の反応も示さなかったはずのロウリィは、見る見るうちに、鼻をむずむずと動かし、身じろぎはじめた。
 私は焦りながら、ロウリィの首元にある髪を回収する。今度こそ間違っても落ちてしまわないよう、私は髪を撫で梳いて、しっかりと手に握りこんだ。
 息をつめて、ロウリィの様子を注意深く伺う。
 しばらくして、すぅーーーー、と長く息を吸ったロウリィは、再びすぴすぴと軽やかな寝息を響かせはじめた。
 寝息に呼応して落ち着いていった彼の表情に安堵して、私も息をつく。
 そもそも、私は一人で何をしているのか。
 とたん、我に返ってしまった私は、急に何やら気恥ずかしくなって、ごまかすように布団の中に潜りこんだ。
 火照りはじめた頬は、きっと気のせいだ。頭まで引き上げた毛布に額を押しつけて、自分が取った行動のあまりのいたたまれなさに、叫びだしたくなる衝動を抑え込む。
 だけど、こうも平和にすぴすぴと、のんびりゆったり寝こけられたら、ついついいたずらの一つもしてみたくなるのは、しょうがないと思うのだ。
 毛布から、顔を出して、そろり、とロウリィの様子をうかがう。深く眠っているらしいロウリィは、やっぱりすぴすぴと平和に寝息を立てていて。
 つられて、ふわり。あくびが口をついて出た。
 隣に人が寝ていると、以外にも寝付きやすいことを、私はここにきて、はじめて知った。
 おやすみなさい。声には出さずに、呟いて、私も素直に目を閉じる。
 すぴすぴと規則正しい寝息に誘われて、私はこの日も眠りについた。

Side: ロウリエ

 カザリアさんの冬の朝は、遅い。
 寒い寒いと本人も絶えず愚痴をこぼしているし、明らかに冬が苦手なようだ。秋には僕よりも早く目を覚まし、きびきびと元気よく朝の支度をしていたはずなのに、季節が移ろい寒くなるにしたがって、日に日に寝台から出てくるのが遅くなった。
 カザリアさんにしてみれば、『できたら、もう少しあたたかな毛布にくるまれてぬくぬくとしていたい』というより、『寒すぎてどうしても外に出られない、起きられない』というのが実情らしい。
 だけど、先日、うちの母から送られたという新しい夜着のおかげか、ここ最近、カザリアさんの朝は格段に快適なものになったみたいだ。
 まったく。
 本当に。
 余計なことをしてくれたものです。
 どうしたって母に対してそう言いたくなってしまうのは、僕にとって至極当然のことだと思う。
 カザリアさんが、母から貰った夜着は、びらびらふわふわとやたらにひだが多くて、見るからに温かそうではある。実際、カザリアさんと一緒に寝ている僕も、その恩恵を受けているので、見た目同様、それがとても温かい品であることも認めてはいる。
 特に、冷え込む朝なんかは、この夜着を着たカザリアさんがくっついてくれているおかげで、ずいぶんと起きるのが楽になった。
 でも、どうしたって、うううううんと唸ってしまいたくなる時もある。
 今朝も、寝台からそろりと抜け降りた僕は、まだ起きそうにないカザリアさんを肩越しに振り返った。
 宙をさまようカザリアさんの手。
 朝の冷たい外気に触れた彼女は、むずがゆそうに顔を歪める。
 そこへ、布団と毛布を重ねてかぶせなおしてあげると、カザリアさんは、ちょうど僕が起きぬけたあたりの、まだ温みがある毛布を自分でさらに手繰り寄せる。
 毛布を握りこんで、満足そうに、すぅ、と寝息をたてはじめた彼女に、やっぱり、とそこはかとなく物足りない気持ちを味わった。
 以前なら、ここで、カザリアさんは、むむむと眉をますますしかめて、布団の中に潜りこんでいったのだ。
 まるで巣穴に戻るように。
 背を曲げ、徐々に丸まって、布団の中へ埋もれてゆく姿は、なかなかに愛らしく。
 どちらかといえばしっかりとしている印象が強いからこそ、冬の朝の一連のしぐさは随分と貴重であったのに。
「まぁ、いいんですけどね」
 のんびりあたたかく眠れるのなら、それに越したことはない。
 そもそも、ひそかに朝の楽しみにしていたことが、カザリアさんに知られたら、ものすごく怒られそうだ。
 カザリアさんは、目をつむったまま引き寄せた毛布へ、幸せそうに頬を擦り寄せる、
 身じろいだ時に落ちたのだろう。いつの間にか、彼女の伏したまつ毛に、緩やかに波打つ金色の髪の束が、ひっかかっていた。起こさないように、それを取り払って、耳にかけなおす。
「あと少しだけ、よい夢を」
 ふわり。朝の光を宿すカザリアさんの髪を撫ぜて、できうる限り静かに寝台を離れる。
 ああ、ケフィに暖炉に火をいれてくれるよう頼まないと、と考えながら、僕は部屋を後にした。

And more

「まるで、ここだけ春だわ」
 今日は、どこまでも気持ちがよく、空が晴れている。
 樹木の枝が風に煽られているのを見ると、外は寒いんだろうな、と思うのだけれど、思うだけで外に出るつもりのない私には、ここはうっとりするくらい、心地がよかった。
「はい、僕もそう思います」
 ロウリィは頷きながら、ぽややんと気持ちがよさそうに目を細める。
 二人並んで長椅子に腰かけ、向き合った大窓からは、太陽の光が惜しみなく降り注ぐ。
 本来、領地の要となるはずの、ここ――領主の執務室は、屋敷一大きな窓が取り付けられているせいか、日向ぼっこに最適な環境だった。
 特に、今日はよい条件が重なっているのだろう。
「領主はどこにっ!」と、外から訪ねてきた役人に泣きつかれて、調理場でコック長のジルと談笑していたロウリィを引っ張り、役人ともども執務室にやってきたら、もうここから離れられなくなってしまった。
 どんな暖房器具も、このゆるゆるとした陽だまりの前ではかなわない。
 役人が帰ったあと、さっそくロウリィと私は行動を起こした。応接用として向かい合わせに置いていた長椅子の一つを移動させ、大窓の前を陣取る。
 さすがに今日ばかりは、ロウリィに仕事をしなさい、とも言えない。どうせ、このぬるま湯につかっているに近い心地よさの中では、仕事だって仕事にならないだろう。
「あったかいですねぇ」
「そうねぇ。本当に」
 ロウリィの言葉に頷き返して、あまりの気持ちよさに、私は目を閉じた。
 眼裏にじんわりと太陽光が沁み渡る。温もりが、そのまま身体の奥底まで降りてゆくみたいで、どちらともなく、元々少なかった会話は、いつの間にか自然と途切れた。

***

「おやおや、まぁまぁ、二人して」
 何しているんですかねーぇ? と呆れ返ったその声に、答えるものはいなかった。
 すぴすぴ、すぅすぅと、なんとも平和で、幸せそうな顔をして。陽だまりの中に居座ったまま、眠りこけている主人夫婦に、ルカウトはおおげさに肩をすくめる。
「いくらあたたかいと言っても、風邪をひくってものですよ?」
 まったく、もう、本当に。二人揃って、しかたがないですねぇー、と毛布を取って戻って来たルカウトは、眠る二人に構うことなく、ばさりと大きな音を立てて、毛布を広げた。
 すぴすぴ、すぅすぅ、となんとも健やかな寝息は続く。
 互いに寄りかかり眠る二人に、ルカウトはにやりと口角をあげて。
「それでは、なかよく」
 おやすみなさいませ、と一礼をし、颯爽と部屋を出て行った。