コツン、コツ、と玄関は窺うように叩かれた。ちょうど出かけようと靴を履いている途中でなかったら、気がつかなかっただろう気弱な音である。
「はい、どちら様……?」
「お父さん、奏多さんと結婚させてください!」
 目の前で、がばりと下げられた頭頂部が叫ぶ。彼がびっくりして周りを見渡すと、頭を下げている青年をほんわかと見守っている奏多と目があった。
「う、ん?」
 彼は玄関前で佇む奏多と頭を下げたままぴくりとも動かない青年の頭頂部を見比べる。
「えっと、ごめん、どこから突っ込めばいい?」

お 菓 子 を く だ さ い
― 最 終 話 ―




 まぁ、いいや、と早々に考えることを放棄した有馬は、二人を家の中へ通して、人数分の緑茶を注いだ。テーブルの真ん中に置いた菓子入れの煎餅に早くも伸ばされた奏多の手を、彼は無言でべしりと叩く。
 恨めしそうに有馬を見上げた奏多は、けれども、居心地が悪そうに目を逸らすと、ちょこりと手を膝に乗せ姿勢をただした。
「で? 君は魔女子さんの彼氏君であってるのかな?」
「は、はい!」
 びしっと顔をあげ「中村俊と言います」と名乗った青年に、有馬は鷹揚に頷く。
 見るからに緊張している俊の表情は硬いが、人懐っこそうな目がいきいきと輝く好青年である。
「まぁ、彼氏君が言いだしたことではないと思うんだけどね」
 呆れ交じりに有馬が零すと、俊はびくりと身体を震わせてますます背を伸ばす。
「君たちはホント、何がしたいの」
「はい、だから結婚しようと思って、結婚の報告に来たんですよ」
 けろりと言い放つ奏多に、「それでどうして僕がお父さんなの」と有馬は問う。
「あぁ。それは、俊君が間違っただけです」
「結婚の方は?」
「あ、そっちは本当ですよ」
「えーっと、できちゃったの? おめでた婚?」
「有馬さん、有馬さん。私たちの年齢でそれは冗談にとれませんから」
「誤解です! 奏多さんには指一本触れていません!」
 顔を真っ赤にして突然叫び出した俊に、だから何をそんなに弁明する必要があるのだろう、と有馬は思う。
「とりあえず、落ち着こうか彼氏君。まぁ、お茶でも飲んだら?」
「はい、いただきますッ!」
 ごくごくと俊は一気にお茶を干す。干した途端、むせ始めた俊の背中を、奏多は気遣わしげに叩いた。
 仲がよいのは結構なことだ。結構なことなのだが。
「全く全然状況が掴めないんだけど、魔女子さん」
「手はちゃんと繋ぎましたよ?」
「それはそれで逆にかわいそうな回答になってるから、やめようか」
「学生結婚って響きがとってもときめくと思いませんか。だから、学生のうちに結婚しておかないとと思って」
「意味が分からないけど、“お父さんは認めません”って言えばよかったのかな?」
「おおー! それもときめきますね」
「いや、もういいや、なんでも」
 煎餅に手を伸ばした有馬は、ようやく落ち着いて来たらしい涙目の俊に憐憫の目を向けた。それでも彼の背にそっと添わされた奏多の手は、優しげで、二人の関係性を表しているようである。
「苦労するね、彼氏君も」
「は、はい」
「ちょっと、そこは否定してよ、俊君!」
 べしり、と奏多が背を叩くと、俊が咳き込む。だが、同時に彼らを取り巻く空気中に砂糖菓子に似たあまい花も舞った。
 有馬はひそやかに微笑んで、緑茶をすする。
「まぁ、一生を共にしたいと学生のうちから真剣に考えて、決断できるほどの人に出会えたのは魔女子さんと彼氏君にとって喜ぶべきことなんじゃないかな。彼氏君も知っていると思うけど、この子、あんまりお菓子を食べすぎるきらいがあるから、そこだけ気をつけてあげてね」
 結婚おめでとう、と有馬が告げれば、奏多は華やいだ笑顔を見せて、さっそく菓子入れの煎餅に手を伸ばす。
 自分の分と俊の分、煎餅を二枚手にしている奏多の姿に、有馬は大人になったものだ感慨深いものを覚えた。つい最近までテーブルの上に自分専用のケーキをずらりと並べて端から食べていた奏多と同人物にはとても思えない。『幸せにね』と有馬は心の内で呟いた。


 そうして二カ月後、宣言通り学生結婚を果たした奏多たちからの引き出物は、彼の予想を裏切らず賑やかなお菓子の詰め合わせで、結局のところ、有馬が食べられるものはあまりなかったのだ。


【終】