まるしゅめろう



「……ま、まるしゅめろう?」

 奏多は小さな袋に書いてあるアルファベットを声に出して読み上げた後、首を傾げた。
 白くて丸いふわふわとしたもの。個包装されている白い菓子は、花束を手に持つ一対のうさぎが描かれた薄紅の箱の中に十個ほど納まっていた。
 奏多は、その中の一つ、手にしている白く丸いふわふわとしたものをまじまじと見つめた。
「いやいや魔女子さん、それ、どう見てもマシュマロでしょう。わざわざ英語を読んでみなくったってマシュマロ。“まるしゅめろう”じゃないよ」
 というか、“まるしゅめろう”とは何なのだろう。マシュマロを包んでいる袋に書かれているのだ。それならば考えてみるでもなく素直に読みさえすればマシュマロでしかありえないだろうに。
 だが、一応有馬はマシュマロの英語を思い浮かべてみる。marshmallow――確かに“まるしゅめろう”と読めないこともないかな、と有馬は考えた。
「やっぱりマシュマロなんですよね」
 奏多は、ふにふにと指先でマシュマロをつぶして触り心地を確かめる。それから、彼女は、「はぁー」と溜息を付いた。
 色とりどりのケーキが小皿に乗せられ、所狭しと並んでいるテーブルの上。奏多はそこへ、マシュマロを一つ一つ箱から取り出しては丁寧に一列に並べ出した。
 一体、魔女子さんは何をしているのだろうと思いながら、それでも、有馬は黙ったままマシュマロが綺麗に陳列されていく様子を眺めていた。
 ようやく最後の一個が並べられた時、奏多は空き箱を両手で挟み掴んだまま、勢いよく頭をテーブルへと叩きつけた。
「え、何、どうしたの!? 大丈夫、魔女子さん!?」
 ゴツンと鈍い音が響けば、さすがの有馬も焦ったり、慌ててしまうのも無理はない。実際に、喫茶店に来ていた客と店員の半数が、何事かと二人の方を向いたほどである。そのくらい、奏多の頭はテーブルに強い衝撃を与えたのだ。
「おおう……い、痛い」
「そりゃあ、痛かっただろうね」
 呻き声に有馬は少し安堵して相槌を打つ。それでも、奏多は顔を一向に上げようとはしなかった。
「魔女子さん?」
「申し訳ありません、有馬さん。このうさぎさんの箱は有り難く頂戴いたします。だけど、マシュマロは、その、苦手なんです」
 奏多はもう一度、「申し訳ないです」と繰り返す。
 テーブルに突っ伏した格好のままの彼女の前。十個のマシュマロは沈黙を保ったまま整然と列をなしていたのだ。


*****


 そもそもの始まりは、前日の夕方に遡る。
 簡単に言うと、有馬は奏多に捕まってしまった。そうして、今日の約束を取り付けられたのである。

 もう少し詳しく説明しよう。
 大学生である有馬は三月の半ばである現在、春期休暇中であった。つまりは、金曜日であったとしても奏多と会う機会は滅多になかったのだ。
 けれども、その日、偶然にも商店街を歩く有馬を発見した奏多は、がしりと彼の腕を掴んだ。驚いて目を丸くしている有馬を、文字通り彼女は“捕まえた”のである。
 そして、彼女はこう言った。

「有馬さん、ケーキバイキングに行きましょう!」

 なんだかお決まりとなってきた、この展開。
 特段、用もなかった有馬は「まぁ、いいけど」とこの日も頷いた。
 有馬からの了承をとった奏多は、彼の腕をしっかりと両手で掴んだまま、にぱっと笑みを広げる。
「それじゃあ、明日ですね!」
「ちょっと待って、魔女子さん。どうして明日なの……その展開はさすがに分からないから説明して」
「あ、はい! そうですよね、すみません!」
 言いつつも、奏多の口元は緩みっぱなしである。ふふふと気味の悪い笑い声まで漏らし始めた奏多が、どことなく恐かったので、有馬は少しばかり距離をとった。が、腕を掴まれていた為に、気持ち離れるのができた程度であった。
 あのですね、と奏多は蕩けそうな笑みを浮かべて言った。
「有馬さんがいれば、明日ケーキバイキングが半額になるんですよ! それになんと、帰りにはさらにケーキが一人一個、お土産について来るんです! つまり、有馬さんと行けば、お土産のケーキが二個です!」
「どうして?」
「ホワイトデーだからですっ!」
「ああ、なるほどね」
 有馬は納得する。
 男女で、つまり、カップルで来店した客に対するホワイトデー限定特典なのだろうと、すぐに思い当たった。
 だが、だからと言って“カップル”という単語にさほど反応しないのが、この二人であった。
 それ以前に、知り合いから友人に昇格しているのかどうかすら怪しい二人である。加えて彼らの性格、その辺に頓着しないのは当然の流れであった。ここまできてしまったら、むしろ長所と言える。
 奏多は、ケーキが食べたくて仕方がない。しかも、いつもの半額、お土産付きときた。
 有馬も有馬で、あの喫茶店の珈琲の味は嫌いではなかった。元より、いつも付き合わされているのだ。半額で飲めるのなら、今日よりは明日の方がいいだろうという結論に至った。
 奏多にとってその辺のことが気にならないのなら、有馬が気を使うべき要素はどこにもなかったのである。
「うん、いいよ」
 有馬はあっさりと軽く返した。
「本当ですか!?」
「うん、明日もバイト夕方までだったからね」
 やった! と奏多は小さくガッツする。
「それでは有馬さん、また明日!」
 奏多は大きく手を振って、商店街とは別の道を帰って行く。

 そんな彼女を見ながら、有馬はふと思ったのだ。「あ、ホワイトデー」と。
 奏多から聞くまですっかり忘れていたこの行事。
 御世辞でも美味しいと言えるものではなかったが、ちょうど一か月前にチョコレートを貰ったのは事実である。ということは、お返しが必要だろう。
 はて、何人に返せばいいんだっけ、と有馬は自身の指を順に折って数えながら、とりあえず近くにあった洋菓子店に入った。
 ところが、入店してみたのはよかったものの、いざ菓子を選ぶのは、有馬にとっては無理難題に等しかった。なぜなら、彼は甘いお菓子というものが苦手なのだ。どれがより好まれているのかさっぱり分からない。加えて、このシーズン。店内は見渡す限り、ホワイトデーの商品ばかりだった。値段も中身も似たり寄ったり。
 だが、有馬はここでうんうんとひたすら悩み続けるような人物ではなかった。分からないことは即店員さんに、である。自分で悩んでよく分からないものを選ぶよりも、他人に聞いて確実なものを選ぶ方が早いし、間違いがない。
 そこで、有馬は大して悩みもせずに店員へと一番売れている商品を尋ねた。
 そして、愛想のいい店員が持って来たのが、うさぎの描かれた薄紅の箱に詰められたマシュマロだったのだ。

 これが、昨日のこと。


*****


 で、今日はと言うと、奏多はガトーショコラをフォークの先で突きつつ、しょんぼりと俯いていた。
 深い深い溜息は淀んだ空気を辺りに漂わせた。
「どうしてホワイトデーはマシュマロが多いんですかね」
「クッキーもあったんだけどね、そっちのものが一番人気だって言ってたから」
「どうしてみんなはマシュマロが好きなんですかね」
 奏多はついついとガトーショコラの上に乗っかっているクリームに模様を描く。
 有馬には、彼女の様子が拗ねた子供がいじいじと地面に指で絵を描いているように見えた。
「うん、ごめんね。魔女子さんはお菓子なら全部好きだと思ってたから」
「いえ、有馬さんは悪くありません! マシュマロをつくりだしちゃった人が悪いんです!」
「そこまで苦手なの?」
 有馬が問えば、奏多はこっくりと頷いた。
「あのムニムニとした食感がたまらなく苦手なんです。あの歯ごたえがあるのかないのかよく分からない感……反応に困るじゃないですか!」
「誰に向かって反応する必要があるの」
「それは、知りません!」
 奏多はキパッと言った。それから、ガトーショコラをすくって口に運ぶ。心なしかいつもよりも大分かけらが大きく見えたのは有馬の気のせいではない。
 有馬は珈琲をすすりながら、勢いよく減っていくガトーショコラの様を、「すごいなぁ」と妙な感心を以って見守った。
 ガトーショコラの塊が完全に姿を消したところを待って、有馬は奏多に尋ねた。
「じゃあ、何か他にいる?」
 奏多はフォークを手にしたままキョトンと有馬を見つめる。
「何がですか?」
「お返し」
「お返し?」
「うん、お返し」
 有馬は並びっぱなしになっているマシュマロたちを指差す。
「魔女子さんはマシュマロ嫌なんでしょう?」
「はい、嫌です」
「そうしたら、お返しがなくなっちゃうから」
「え、箱がありますよ?」
 ほら、と奏多は膝の上で抱えたままだった箱をとんとテーブルに置いた。花束を抱えたうさぎが二匹。マシュマロの為につくられたはずなのに、今では空となってしまっている薄紅の箱である。
「いいの、それで?」
「はい、可愛いです。ありがとうございます」
 奏多はぺこりと頭を下げる。
「あ、預かってる依月ちゃん達の分はちゃんと中身ごと渡しますから安心して下さい」
「大丈夫、そこは心配してないよ。大体中身をどかすって、どれだけマシュマロ嫌いなの、魔女子さん」
 奏多は「それもそうですね」と笑い、何かを思い出したように「有馬さん、有馬さん」と彼を呼んだ。来い来い、という風に手招きされた有馬は「何」と彼女に問う。
「もしよければ、お返し、有馬さん分のケーキも私に下さい」
「帰りに貰える分?」
「はい、そうです!」
「でも、昨日から僕の分も貰う気満々だったでしょう」
「まあ、そうなんですけどね」
「まあ、いいけどね」
 ふとした笑いはどちらからともなく零れ落ちる。

 ここから先は、いつもと同じ。
 奏多は思う存分多種多様なケーキを楽しみ、有馬は珈琲を飲みながら次々と目の前で消えていくケーキを面白そうに眺めていた。

 ただ一つ違ったこと。
 奏多に二つのケーキが入った小箱を渡した店員のお姉さん、及び、会計の場にいた店員のお兄さん、などなど。つまり、彼らを常連客として迎えているこの喫茶店の全従業員は「やっぱりあの二人は付き合っていたんだ!」という間違った確信を皆で胸に抱えこんでしまった。
 思わずにやにやとほころんでしまいそうな口元を押さえつつ、店員一同は帰って行く二人を営業用の笑みプラス生暖かい視線で見送った。そうして、扉が閉まった瞬間、各々近くにいた同僚と互いに頷き合い、今見た事実を確認し合ったのである。

 このことを彼ら二人はやっぱり知るはずもなかった。