幸せと辛さは線一本



「いいですか、有馬さん」

 真面目な顔をして奏多は切り出す。相も変わらず、彼女は右手に持ったフォークを、勢いつけてブンッと振り、突きつけた。
 魔女子さんの癖もなかなかなおらないなぁ、と有馬はフォークの切っ先を眺め見る。ケーキのかけらがついたままのフォークは、武器ほどの脅威はなく滑稽に見えるが、危ないことには変わらない。それ以前に行儀が悪い。
 有馬は、「うん、やめようか」と、奏多の腕を下ろした。
 が、彼の癖矯正作戦の努力空しく、すぐにブンとフォークが持ち上がる。
 まるで指揮棒か指示棒だ。切れよくビシビシと振り回されるフォークに妙な感嘆を抱きながら、有馬は諦めて、珈琲をすすった。
「幸せと辛さはたった一本の線の違いなんですよ!」
「何、そんなに苦かったの、その珈琲」
「はいっ!」
「そう。じゃあ、そのケーキをそのまま食べるといいよ」
 有馬の言葉に深く頷いた奏多は、フォークの先に突き刺さっていたケーキのかけらをパクリと口に含んだ。くるみとキャラメルが間に挟まれたケーキは、口の中にぱっと芳香を広げ、時折ほろ苦さも垣間でる甘さに、奏多は自然目元を緩ませた。
「すごく幸せです」
「そう。よかったね」
 有馬は、一瞬にしてとろりと表情を和ませた奏多をおかしそうに見やると、自身も珈琲を飲んだ。今日の珈琲はいつものに比べて少し酸味が強い。
 新しく豆の種類を増やしたからと、喫茶店の店員が、試飲用に珈琲を二人分持ってきてくれたものだった。これはこれで、おいしいと有馬は思う。
 けれども、普段珈琲を頼む場合は迷わずカフェオレを選ぶ奏多にとってはそうではなかったのであろう。そもそも、苦いのは苦手なのだと前に聞いたことがある。
「そんなに珈琲が苦いんなら、初めから砂糖入れておけばよかったのに」
 有馬は、各テーブルの端に備えてつけてある白い陶器の砂糖入れを取ると、「はい」と、奏多に差し出した。
 奏多は、ありがたくそれを頂戴し、砂糖をスプーン二杯すくい取り、自身の珈琲の中に入れる。珈琲の中で回るスプーンが、カチャリカチャリとちいさな音を立てて、砂糖を溶かしていく。
「そう思ったんですけど、せっかく試飲させてもらってるんだから、やっぱり珈琲そのものの味をみるべきかなぁと思って、まずはじめに。ほら、他の人にもお勧めできるように。このお店のケーキの美味しさをみんなに広めたいんです!」
「うん、だけど、そのせいであんな顔されたら逆に営業妨害になるから。自分がおいしいと思う方法で飲んだ方がいと思うよ」
「うぐぐ……、はい、全くもってその通りです」
 有馬は、珈琲カップを受け皿に戻した。
 反対に奏多は珈琲カップを両手で包みこむ。
 押し黙ってカップの中身を覗き込んでいるその様は、掌でじわじわと珈琲の苦みを吸い、取り除いているかのようでもあった。傍から見ているとひじょうに面白い。
 決然とした表情で奏多は、カップを持ち上げた。砂糖を入れて甘くなっていると知ってはいるものの、先ほどの苦さが尾を引いているのかもしれない。
 カップの縁に口が付けられ、こくりと、奏多の喉が鳴る。

「あ、美味しい」
「そう、よかったね」

 奏多は、珈琲カップを持ったまま、向かいに座る有馬を眺めやる。そうして照れくさそうに一度へへ、と笑ったのだ。