物体Aなる生姜人間



「魔女子さん、何これ」

 有馬は差し出された物体Aを見て唖然とした。
「ジンジャーマンクッキーです。もうすぐクリスマスですから」
「そう。なら、念のために一応聞いてみてあげるけどさ、チョコレートクッキーではないんだよね?」
「はい。生地にチョコレートは入ってませんよ。目と口はチョコレートで描きましたけどね。ジンジャーって生姜ですから。生姜しか入れてません」
「だよね。チョコレートだったとしても、ここまでは黒くないよね」
 人型の物体Aの山にもう一度目を戻して、有馬は溜息をついた。
 これはどこからどう見ても失敗作だろう。香ばしい匂いが漂う以前に、香ばしすぎる焦げくさい匂いがあたりに立ち込めている。大体、チョコレートで描いたという目や口がどこにも見当たらない。黒すぎて同化しちゃったのかな、と有馬は頭の片隅でつい考えてしまった。
 どうしても渡したいものがあると奏多に言われた有馬は、帰途に就いていたにもかかわらず半ば強引に彼女に拉致され、いつものケーキバイキングで評判の喫茶店に連れてこられたのだ。
 その“どうしても渡したいもの”というのが、奏多が“ジンジャーマンクッキー”だと言い張る黒過ぎる物体Aであるのはもはや自明の事実であろう。

「これをどうしろと……」
 とりあえずつまんでみた物体Aの片方の足が、無情にもポロリと崩れて、黒山の一部に戻った。
「どうって……有馬さんにあげます!」
「うん。でも、焦げてる」
「はい。ちょっと焦げてしまいました」
 明らかにちょっとどころではない黒焦げの山を前にして、奏多は期待に満ちた目を有馬へと向けた。
 それはつい先日、誕生日プレゼントであるという“コーヒー豆君”を受け取った時と同じような輝く瞳であった。けれども、今回に限っては、有馬はそれを無視することに決めたのだ。奏多に対して自分の命を危険にさらすような義理はない。
「無理。魔女子さん、これ人の食べ物じゃないから」
「ひどっ!」
「これを僕に食べさせようとする魔女子さんの方が酷いと思う」
 明らかにしょんぼりと項垂れてしまった奏多の姿を見ながら、有馬は珈琲を口にする。
「それで、本当の目的は何?」
「ぐっ……有馬さん、鋭いですね」
「この時期だと期末テストとか?」
「あ……たりです」
「大学生だから頭がいいっていう方程式は間違ってると思うんだけど」
「それでも、私よりかはきっと幾分かましです。この時期のテストはクリスマスプレゼントに恐ろしいほどに大きな影響を与えるんですよ? なので、必死なんです」
 奏多はカバンの中をがさごそと漁ると、テーブルの上にノートを並べ、「よろしくお願いします」と頭を深々と下げた。
「よろしくお願いしますって、魔女子さん……これって国語系以外全部?」
 奏多は呻くと、ますます縮こまりながら「はい」と返した。
 並んだ教科の多さに有馬は軽く瞠目した。数学Ⅱに始まり、数学B、英語、生物、化学、世界史B、現代社会とノートは並ぶ。その中の一冊、生物のノートを有馬は手に取ってパラパラとめくった。
「まあ、魔女子さんが、国語が得意だってことはすごく意外だったけど」
「どうしてですか?」
 奏多は不思議そうに首を傾げる。有馬はノートから顔を上げると、彼女を正面から見据えて言った。
「だって、魔女子さん、突拍子もないことばっかり話すから。人の話も聞かないし」
「酷い……そんなことないですよ」
「とりあえず、これからは、お菓子は持ってこないでね。魔女子さんのこれじゃ、賄賂どころか脅しにしかならないから」
「酷過ぎる……。これでも一生懸命に作ったんですよ」
「その気持ちは買うけどね、でも、どうしてその時間に勉強しないかな」
「……ジンジャーマンクッキーなら有馬さんも食べられるかなと思ったんです。あんまり甘くないから」
「そうだね、もしも成功してたら食べられたかも」
「ぅぐっ……!」
 息を詰まらせたような声を出して顔を歪めた奏多を眺めながら、有馬は苦笑した。
「まあ、分かる範囲でいいなら教えてあげるよ」
「本当ですか!?」
「うん。でも、その前にね、魔女子さん」
「はい、何でしょう?」
 有馬の真剣な声音を受け、奏多は表情を改め、背筋を伸ばした。
 有馬の方も硬い表情を崩さずに、口を開く。
「クリスマスケーキは絶対に既製品を買った方がいいよ」
「…………」
 有馬の心からの忠告が意味するところを理解した奏多は、その直後、再び長く呻いたのだった。