何もいらないよ


「他にはもう何もいりません。ただそばにいるだけでいいんです」

 黒い眼(まなこ)をうるませ、切なげな顔で見上げてくる奏多に対して、有馬はしばらく沈黙してしまった後、口を開いた。

「……いや、でもね、魔女子さん。何もいらないってこれから先の生活はどうするの? ほら、まず生きていくためには食べ物と水が必要だし。そうなってくると食費や水道代だっているよ。家がなかったら風雨をしのぐのだって大変だと思うよ。何もいらないって言うのは簡単だけど、実際に何もないと困るんじゃないかな。結構難しいと思うよ?」

 半ばあきれた表情でたんたんと返してきた有馬に、奏多は半眼した。

「ちょっと有馬さん! ちゃんと台本読んでくださいよ。これじゃ劇の練習にならないじゃないですか」
「読んでって言われてもね……だって“思ったことをそのまま口にしよう”って書いてあったんだけど」
「そんなまさか!」
「ほんとだって、ほら」
 半信半疑の奏多の目の前に、有馬は先ほど手渡された台本を広げて見せた。なるほど、有馬が担当するはずの左ページには確かにでかでかとそう書いてある。
「だけど、さっきのはないんじゃないでしょうか。ちょっとは流れをくんでくださいよ」
「……流れ? 流れねぇ……。なら“別にいいよ。傍にいれば?”とか?」
「なんでそんな投げやり……」
 がっくりとうなだれた奏多をよそに、投げやりに返したつもりのない有馬は平然とコーヒーをすすった。
「それにしてもさ、これいったい何なの?」
「えーっと劇案その一です」
「その一?」
「一応その五まであるんです。これはその中のシリアス風味バージョンです。他にギャグバージョン、ファンタジーバージョンとかいろいろあって、一番面白そうなのを文化祭のときに発表しようってことになったんです」
「へぇー、高校生も面白いことするねー」
「有馬さんのせいでシリアス風味が一気に現実主義風味になってしまいましたけどね!」
「まぁ、風味だったしいいんじゃない?」
「そういう問題ですか!?」
「あ、魔女子さん、“この続き考えるべし”って書いてあるよ」
 ぺらりと、有馬がめくったためにあらわれたページを見て、奏多はうめいた。
「これ宿題だったりしてね。これ書いた人も先が思いつかなかったんじゃないかな」
「……ならもういっそさっきの有馬さんのセリフいただきますね」
 そう言って奏多は有馬から台本を返してもらうと、真っ白なページに超現実主義的返答をかきこんだのだった。


 

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