水面 様


―――生まれて初めて目を開けた時、空は今にも雨が降りそうで僕は一人ぼっちだった。




助けを求めても一瞬振り返るだけで誰も拾ってはくれない。
湿り気を帯びたダンボールから這い出ようとしていた。猫とはいえ生まれたて。ダンボールでさえ大きな壁となる。
爪を掛けて足でもがく。何度目だっただろう。ふ、と浮き上がる感覚がした。
「君、捨てられちゃったの?」
驚いて硬直していると黒い目が覗き込んできた。
じっと、としか形容出来ない顔で見つめる少女は身動ぎ一つしない子猫を抱え込んだ。
「帰ったら洗ってあげよ」
独り言のように呟くと雑踏の方に向かう。けれど、猫にはそんなことどうでもよかった。初めて味わう温もりと安堵に身を預けていた。


猫は腕の中で目を覚ます。喧しい声に安眠を妨害されたと言っても過言ではないだろう。
「猫なんか拾って来ないでよ。自分で育てられんの!?」
「ちゃんと育てるもん!だって、街中に捨てられてたんだよ?可哀相じゃん」
「同情だけで拾うと後で後悔するよ!」
覚醒しきってない頭にも言葉はしっかり届いた。そこで猫は自分が捨てられていたのだと気づく。
混乱しそうになったが、少女が急に動いたことで思考は停止する。
「取りあえずお風呂入れてくるから」
どこか投げやりにも聞こえる口調で足早に歩き出す。
「もう・・・ミカの勝手にしなさい」
『ミカ』。猫に根拠は無いが、それが彼女の名前だと理解した。最後にそれだけが聞こえ、扉は閉められた。


猫にはお風呂が果たして何を示す言葉なのかわからない。白い壁が暖色の光を反射し、室内を照らす。ここがオフロなのか。そう思っていると温い液体が体を濡らし、慌てて逃げる。
「やっぱり逃げちゃうか・・・。雨じゃないから平気だよ」
雨じゃないと言われても怖い物は怖い。どうしても体が強ばる。
ミカは首を傾いで思案顔になる。思いついたように笑ったと思えば自分の手を濡らした。その手で猫の首や背中を撫でる。
「ん、これなら大丈夫なんだね」
少しづつ湯の量は増え、最終的に猫はオフロが好きになっていた。


「ここがアタシの部屋」
タオルに包まれた猫が見たのはダンボールの中には全くなかった、色に溢れた部屋。
「そうだ!名前付けてなかったね。何にしようかなぁ・・・」
再び考え込むような顔を作る。ゆっくりと猫の背中を撫でる。
「目が海だ。キレイ。君は・・・海(カイ)。うん。そうしよ。・・・・・外の世界は不安だったでしょ?これからは、大丈夫だからね」
『外』という言葉は何度か聞いたことがあるが、『セカイ』は初めて耳にした。
ミカも、ミカの部屋も、セカイなのだろうか。
それなら、この優しいセカイに居たい。と、猫は心から想う。

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