槇ヶ江 様


「おい、頼む」

男の声は難なく届いたらしい。
指輪をはめた鉄火色の手が、暗い店の奥から伸び、天蓋から吊るされた房状の果物群を重そうにのけた。手の主は、あら、と短く声をあげると、南国産らしい奇抜な果物の陰から愛想良く顔を出した。

「あんたじゃないの」
「元気そうだな」

久しぶりの迎合、そんな空気だった。とくに売り子の女は嬉々として、男の近況を色々とたずねているようだった。私は、私を無視したくせに、隣の粗野な大男には関心を寄せる女の顔が、多少美人だったこともあって、なんとなく面白くない気持ちになって、軒先に並ぶ青果の品定めに夢中になっているふりをした。

「連れが何度か呼んだんだが」
「ごめんなさい、ちょうど休憩中だったの」

そういって初めてこちらに気付いたという顔をする女にじろじろと全身を見回されて、私は辟易した。

「ふーん、毛並みのいい子ね。人攫いでも始めたの?」
女はからかように横目で男を見やると、自分の冗談に自分で笑った。男は女に付き合うそぶりすら見せなかったが、それが二人の会話のリズムであるように思われて、私はまた少し機嫌を悪くした。

「こいつは預かりものだが、鼻が効くので連れている。さっきも一番におまえのテントを嗅ぎ当てたぞ」
男はそういいながら目当ての品をみつくろうと、手早く会計を済ませ、「いくぞ」といって身を返した。その様子では、急に無口になった女が頬を染めてうつむいたことは気付いていないのだろう。

雑踏に紛れる私たちの背中に「次はいつ来るのさ!」と投げかけられた言葉を聞いたのも、あるいは私だけなのかもしれなかった。果物の奥に立ち尽くす女の、きつく結ばれた口元と縋るような青い目―――私は振り返らなかったにもかかわらず、それらを想像できた。

「今日のうちにここを出る、次の街は近いからな」
男は荷物を担ぎなおしながら肩越しに言った。


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