伊鳥ひな 様



───あれは、大鳥城にやってきて三ヶ月ほど経った頃の事。





「さあ、本気でかかってきて!」

「‥‥‥と、言われてもね」


木刀を両手に気合を込める私の正面で大鳥城城主の息子、佐藤四郎忠信ただのぶから呆れたような溜息がひとつ。
彼の手にもまた木刀が握られている。私が無理やり持たせたものだけれど。


「早くしてよ。待ってるのに」

「俺が本気を出したらかえでは死ぬかもしれないけれど、いいの?」


ばっさりと切り捨てる如何にも面倒だと言わんばかりの呟きに、些かむかっ腹が立つ。
例え、それが真実だとしても。

四郎、と呼ぶ青年は言わば私の恩人だ。
ひょんなことから異時代に来てしまった私───大鳥城下にセーラー服姿で倒れていた如何にも怪しい筈の私を、それでも助けてくれた人。
物言いや態度が素っ気無く他人に無関心な部分がある。
けれども本当は面倒見が良く、一度懐に入れた人間をとても大切にする人だ。



「わ、私だって稽古つけて貰ったんだよ!」

「ふぅん。‥‥稽古ね」


ほら、こうして私の話を無視もせずに聞いてくれる。


「そうだよ。私だってちょっとは強くなったんだから」


そう、過保護な忠信の居ぬ間にこっそりと剣術の稽古をつけて貰っていた。
城に詰める兵士さんが鍛錬を終えた後など時間的には然程長いものではないけれど、ほぼ毎日体を動かせば多少は身につく。

現役女子高生だった私は勿論腕に覚えがある筈もなく、筋トレも兼ねての剣術稽古ではあったけれど───それでも少しは強くなった。


「四郎、覚悟!」

「無駄だって言ったのに‥‥‥」


ぐっと木刀を握り直した私は玉砕覚悟で、腕をだらりと下げたままの彼に突進していった。















「と、いうことがあったの覚えてる?」

「うん。あの後返り討ちに合わせた事も覚えているよ」

「‥‥それは忘れて」


忍び笑いに憮然と返せば、彼の声音が本格的な笑いを含む。
夕刻まで続いた鍛錬を終え城に戻った彼に手拭いを渡しながら思い出話を振ったものの、すぐに恥ずかしい記憶まで思い起こさせられるとは。


「懐かしいな。あれから一年か」


外の景色を見遣る端麗な横顔からそと、呟きが落ちる。
その声音が茜色に染まって、私の耳に愛しさをもたらせて居ることを、気付いているのだろうか。


あれから一年が経ち、私と彼の距離が変わった。


【四郎】から【忠信】へ。
彼のいみなを呼ぶことが許される存在になった。
彼が諱──真名を許しているのは、親兄弟と主、それから妻など近しい者に限られている。
私が諱を呼べるのは、つまりただの居候からそういう間柄に変わったからで。


「あの日もこんな夕焼けだったよね、忠信」

「‥‥‥ああ」


太陽が西の空へ沈んでゆこうとしている。

西の茜色。東の暗闇。
あの日もそんな風に空の色が移ろう中、私は木刀を振りかざしていた。
早く【この時代】の一員になりたい。
その一心から無闇に刀を取ろうとしたものだ。
今から思えば方向性のずれた選択だったけれど、忠信から容赦なく返り討ちに合うまでそんな殊勝な部分もあったっけ。


「あの時無茶苦茶に木刀振り回した挙句俺に軽くいなされて、楓は泣いていたけれどさ」

「もう!それは忘れてって言ったでしょ」

「それは無理。あの日に決意した事まで忘れる訳にいかないだろ」


ひとつに束ねた忠信の髪が風に靡く。
茜色の光を孕む黒に、彼独特の硬質な輝きを見出し私は束の間見惚れた。

この一年、言葉に尽せないほど色々合って、私達は一緒に居る。
傍に居られる事がどれ程尊いことか。
ゼロに近い確立なのだと私も忠信もよく知っていた。


「決意ってなに?」


とくん、と高鳴る胸の鼓動を隠しながら尋ねる。
柔らかな微笑が返ってくる。私の頬に触れる長い指先。


「構え方すら絶望的に資質のない楓がこの先二度と刀を持たぬように、守るのは俺の役目だって」

「‥‥‥あのねぇ、喧嘩売ってる?」

「まさか。口説いてるんだよ」

「ど、っ‥!?」


何処が!と叫ぼうとした私の唇から言葉らしい言葉が漏れるのは、空に星が散りばめられた頃だった。

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