水面 様
世には様々な噂が飛び交う。
私が住む世界の噂は。
―――ねぇ、知ってる?奈那神(ナナカミ)様。
―――なにそれ?
―――お祈りすると願いが叶うって。
―――マジナイの一種だよ。おマジナイ。
とまぁ有りがちな七不思議のひとつくらいのノリで、信憑性も希薄。第一どこに奈那神サマとやらがどこにいるのかすら知らないのだ。
幽霊もUFOも信じない私はテンション低いだとか囁かれ、クラスで浮いた存在なんだろう。自覚ありだし、本人が気にしないのであれば別にどうと言った事は無い。群れるのなど大嫌いだ。
そんな私とつるんでいる和田緑慈(ワダ ロクジ)は悪趣味かつ偏食者。要するに電波少年なのかもしれない。
頭髪は柔らかめの茶髪をキープ、ピアスを両耳合わせ五個開け、好物は和三盆のお茶請け。主食はガーリックトースト。そして寺の長男(本人は継ぐ気ナシ)。天然。
浮いた者同士、ウマが合ったらしく中学時代からいつの間にか横にいる。
「諒(リョウ)クン〜次の授業教えてー」
・・・この様に。吃驚したが顔には出さない主義を貫かせて貰った。
和田の紹介がされているのに私が詳しく描写されないのは便宜上の問題で、決して面倒だった訳ではない。決っっして。実際『○○諒子、女子。』なので名字は付いていないが。
私の紹介はともあれ、和田に五時限目の教科を教えておこう。口を開いた瞬間、違う話を和田は口にした。
「ねね。奈那神サマって皆ウワサしてるでしょ〜?」
「興味ない」
「あれ、居るんだよ。でもいない。だからウチで一緒に探して欲しいんだー」
・・・・は?
いつも以上にぶっ飛んでる気がする。居るのにいない?
座敷わらしみたいな話なのか。そう問えば嬉しそうにコクリと頷いた。
「探すのは諒クンじゃなきゃヤダ。他のコは五月蝿いし、男と探すのもヤダし」
まぁこういう理由は毎回なのでスルー出来る。
「居ない物を探せなんて今までに無く無理難題だな」
「でしょー?俺一人じゃ無理。だから」
言葉の続きを自分が読んでいた文庫本を閉じる音で遮った。懐いていた犬が叱られる寸前の表情になっている。
「例の如く手伝えばいいんだろう?ただし、家を隅々とか言うなよ。お前の寺がどれだけ広いかなんて痛いほど身に染みついているんだから」
笑顔で抱きついてくる和田に大きく振られた尻尾の幻覚が見えた。
* * * * *
久々に入った納屋は相変わらず薄暗く、埃っぽかった。気味が悪い。
「小さい頃、ここで隠れんぼしたっけ」
「わーよく覚えてるねー。夜中まで諒が見付かんなくってさぁ、葛籠の中で寝てたんだよね。納屋は怖くないクセに、母さんの部屋怖かったんでしょー?」
言わなきゃよかった。しかも終わってない。
「んで、俺のとこ来たんだよねー。『怖いよぉ、ロクジー・・・』って。可愛かったなぁ」
今も充分可愛いけどね。軽くぬかし頭を撫でるから腕を振り払ってやった。
納屋が暗かったのは幸か不幸か。
それから一時間ほど経った。
胡散臭い木像だとか石板だけでそれらしき物は無い。
「うー。無いねー」
頷く。
「・・・疲れたでしょ?家入って休も」
首肯だけしたのが不味かったか、疲れたと勘違いしたらしい。別にそこまで疲弊してないが言葉に甘えよう。基本、和田の食生活には呆れるが、この家のお茶請けは本気で美味しい。
室内に入ればアケミさん、和田の母がいた。
丁寧に注がれた緑茶と数品の茶菓子を置くと用事があるらしく、すぐに出て行ってしまった。
ただ時計の秒針と衣擦れが響く和室。だが、質素ながらも品のある部屋はそれさえも家具にしてしまう。ここまで沈黙が心地良い場所も滅多にないと来るたびに思う。
和田は自分の鞄からノートとシャーペンを取りだした。
「奈那神サマってさ、なんでこんな字なのか、解る?」
顎に手を添え、目を閉じて考えてみた。一つ目の【奈】は神奈川県、二つ目の【那】は那覇市の那。その程度しか出てこない。率直に言えば妙に真剣な顔つきで説明し始める。
「最初の字は『いかん』って単語に使われてる。これと同じ意味だけど」
少し癖のある文字がノートをなぞる。『奈何=如何』。
「次の字は『なへん』。これは最初の字でも書ける」
『那辺=奈辺』。
「で、三番目の『な』」
変化球には突っ込み慣れてるはずだが、今日は上手く突っ込めない。いつにも増して真剣すぎる。声を出そうにも先に説明された。
「最初と次の字は同じなんだよ。つまり、これだけで一つの【な】」
一括りにされた文字。振り仮名は『ナカミ』。なのに和田は『ナナカミ』という発音なのだと主張する。
「三番目。【無】」
【奈那無神】。からかわれてる気分になって段々腹が立ってきた。
「だから、何?」
「だから、居ないの」
電波度がこれでもかと言うほど嵩増しされている。
「・・・私は帰る」
勢い良く立ち上がれば眩暈が追ってきた。単なる立ち眩み。今和田に支えられたくない一心で我慢した。つもりでいたが。
ふわりと夢のように視界は回る。ゆるりゆるりと、風車のように。
本当に夢だったのかもしれない。
和田は転倒した私に膝を貸し、横たわらせた。そして、呪文のように事実を紡ぐ。
「ナナカミ様は、精神の支え。何時でも何処にも居ないけれど、支柱としてどこかにある。幽霊は死者ではなく生者の為にあるように。ただ噂として、伝説として、人の中で生きてきた。形を変え、名を変え。・・・例えば、俺にとってのナナカミ様が、『諒子の存在』であるように」
* * * * *
気がつけば、朝になっていた。懐かしい天井。
昨夜の出来事が夢に思えて仕方ないが、ここにいることが夢ではないことを突き付ける。
しっかりと布団で眠っていた私は上半身を起こすと隣りを見た。
畳の上で横になっている和田。
少しだけ、ぼんやりとした何かを信じてみよう。
―――私の奈那無神様。どうか願いを叶えてください。
隣りで眠る、私だけの神に願った。