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2 黒髪の少女


「ぎゃああああああっ! やめて! できる、できるから! 自分でするってばぁー!」

 部屋中に響き渡った声の大きさに呆気にとられる。さっきまで暴れるだけでまともに口を利けなかったはずの少女は、侍女たちと共に浴室に向かわせた途端悲鳴に近い叫び声を上げて、再び暴れていた。
「エリィシエル様……」
 侍女頭のユージアは、めったなことでは根を上げたりしない。けれども、ふらつきながら奥にある浴室から出てくるなり、申し訳なさそうに呟かれた彼女の呼びかけは、主人への訴えを切実に表していた。
 普段は崩れることのない完璧な服装は皺が寄り乱れている。白い布紐で一つに纏め上げられた金の髪のいたるところから、ほつれが覗いていた。
 ユージアの姿そのものが浴室での騒動の凄まじさをはっきりと物語っている。このまま続けるのは、どちらにとっても酷でしかないだろう。
「わかりました。好きなようにさせてあげなさい」
 指示を変えると、ユージアはあからさまにほっとした様子を見せた。礼をして、ユージアはそそくさと浴室に向かう。彼女の命に従い次々と浴室から侍女たちが引きあげてくる。皆、ユージアに負けず劣らず、ぼろぼろでぐったりとしていた。こんな姿の侍女たちは初めて見る。
「エリィシエル様、笑いごとじゃありません」
「ふふっ。ごめんなさい。でもおかしくって」
「一体あの少女は何者なのですか?」
 ユージアは、疲労の滲む顔で浴室に続く扉に目を向ける。
「あのこは陛下に助けられてここに来たのよ。なんでも売られそうになっていたのですって。よほど恐ろしい目にあったのでしょう。……だから、大目に見てあげて」
「エリィシエル様がそうおっしゃるのなら……」
 仕方がありませんね、とユージアは微苦笑する。ありがとう、と私は頷き返した。
「それにしてもあなたたち、本当に酷い格好だわ。もうしばらくしたら陛下があの娘の様子をご覧にお寄りになるでしょうから、今のうちに身なりを整えてきなさい」
「そ、そんなことはできません! 危険すぎます!」
 侍女たちは一斉に青褪めて抗議し始めた。彼女たちにここまで言わせるほどの何が中で起こったのだろう。浴場に続く扉を見ても、今は静かで水音一つしない。
「大丈夫よ。湯浴みをしているだけなのだから、あと一時間は出てこないでしょう。だから安心して着替えてらっしゃい。ああ、タオルと下着だけは準備しておいてあげて。ドレスは彼女が浴室から出てきたら、私が見つくろうから」
「ですが……」
「いいから、行きなさい」
 なおも食い下がろうとする侍女たちをさっさと追い出してしまい、私は椅子に座った。テーブルの前に広げてある書類を、指先で繰る。皆が戻ってくるのも、少し時間がかかるだろう。けれど、今はこなさなければならない書類仕事に手を付ける気にはならなかった。やはり、どうしても、陛下が連れて帰って来た娘のことが気になってしまう。どのドレスが彼女に一番似合うだろうか。
 息をつく。身の入らない仕事道具を片づけて、明日に回してしまうことにした。彼女が浴室から出てくるまで、久方ぶりに本でも読もうと思い立って書棚に向かう。
「あのぉ……」
 ちょうど本を一冊選び取った時、呼びかけられた遠慮がちな声に、私は振り返った。
 しばらく出てこないだろうと踏んでいた少女は、身体にタオルを巻きつけて、扉からちょこりと顔を出している。
 肩まで伸びる黒髪は、豊かに水気を含んで輝き、ぽたりぽたりと床に雫が落ちる。
 予想していたよりも随分と早く彼女が浴室から出てきたことに驚いていると、少女は再び口を開き、か細い声で言った。
「あの、私の服は……?」
「あぁ。あなたの服は洗濯場へ持って行かせたわ」
「え? でも、あの、じゃあ、どうすれば?」
「そこに下着を置かせておいたと思うのだけど、ないかしら?」
 尋ね返すと、照れているのか恥じらうようにほんのりと頬を染めた少女は、私の言葉を聞いて、そそくさと浴室へ引き返した。
「あ、これ、ですか? あと白い長いワンピースみたいなの?」
 浴室から響いてきた少女の声に、思わず首を傾げる。
 ――ワンピース。
 彼女が口にしたその単語が何を指すのかよくわからなかった。けれども、『白い』と言っているのだから、大きく外れてはいないだろう。
「ええ。恐らくあっているいると思うわ。それを着て出て来てみて」
 呼びかけると、中で着替えている気配があった。衣擦れの音がする。やがて姿を現した少女は、肩からすとんと踝まで流れる下着を身につけていた。何か別の全く違うものを着ていたらどうしようと、気が気でなかったと言えば嘘になる。彼女の言う『ワンピース』とやらが、間違っていなかったことに、私はひとまず安堵した。
「さぁ、ここに座って」
 黒髪の少女は首を縦に振って、裸足でぱたぱたとかけてくる。促されるがまま、椅子に腰かけた彼女の髪に、私は彼女から受け取ったタオルをあてた。
 本当に黒い。
 この国から遥か遠く離れた辺境の地には、この少女と同じように黒い髪を持つ者たちがいると聞いたことがある。けれども、それすら真偽が不確かな噂の域をでない。実際に目にするのは初めてだった。
 そうこうしているうちに、戻って来たユージアは、私が少女の髪を拭っているのを見て、慌てて私からタオルを取り上げた。
 黒い髪に櫛が通る。まっすぐに肩まで流れる髪。一見、光とは無縁に思える漆黒の髪は、窓から入り込む日差しに照らされて、時折透き通るように反射する。ユージアが施した香油によって、黒髪の艶やかな輝きはさらに増した。例えるなら黒真珠だろうか。決して仰々しくはないが、柔らかな光を纏い落ち付いて気品がある。
 ユージアに仕事をとられ、手持無沙汰になった私は、少女の向かい側に座り、彼女の黒髪が光を含んでいく様をとくと眺めた。不躾に自分を見つめてくる私に戸惑ったのだろう。落ち着かない様子でちらちらと私の方へ黒いまなこを向けてくる少女に私は微笑みかけた。
「あなたの髪は綺麗な色をしているのね。それにとてもまっすぐで。私の髪は癖があって上手く纏らないから、羨ましいわ」
 少女は、ぱっと顔を赤らめて、勢いよく首を振った。
「そ、そんなことないですっ! だって、あなたの髪の方が綺麗。金色で、きらきらしてて」
 口ごもりながらも、少女は熱心な口調で言う。
「ありがとう」
 私は、礼を口にする。
 すると、少女は安心したように表情を緩めた。それは小さくはあるが、彼女が初めて微笑んだ瞬間だった。
 私までつられて和んでしまう。愛らしい仕草だ。
「そうだわ。ドレスを用意しなければいけなかったわね」
 彼女が持つ珍しい色に、すっかり見とれていて忘れていた。
 ぱちり、と両手を打った私に、彼女は不可思議そうな顔をする。
「あなたは何色がお好き?」
「水色、が好きです」
「だめよ、あなたわかっていないのね。あなたにはピンクの方がよっぽどよく似合うわ。ユージア。メルアのピンクのドレスを」
「はい、エリィシエル様」
 指示すると、少女の髪に編み込むための飾りを用意をしていたユージアは手を止めて、部屋を出ていく。
 少女の目が、部屋を出ていくユージアの姿を追う。取り残された彼女は、どこか複雑そうな顔をしていた。


 少女の細い身体を包みこんだ淡いピンクの布地は、蕾が花開くように軽やかに空気を孕んで広がる。
「重い」
 ユージアがそそとドレスの裾を整えている中、ドレスを身に纏うなり少女はげっそりとした顔で言った。
「そうなのよね。メルアの生地は上質で丈夫だけど、見た目に反して少し重すぎるのが難点だわ。飾りも多すぎるのかもしれないわね。でも、よく似合ってるわ」
 腰のあたりにつけられた大きなリボン。そこを頂点に広がりを見せるドレスは、裾をふんわりと広げるため、幾重にも布が重ねられている。
 ドレスのそこかしこに散りばめられている飾りも少女の愛らしさを際立ててはいたが、やはり何と言っても彼女の魅力を引き出す最たる役目を担っているのは、ドレス自体が持つ淡いピンクの色味そのものだろう。彼女が元来持つ白い肌、黒い髪を際立たせる淡いピンクは、少女の顔を明るく見せ、華やかな印象を見る者に与える。
 とてもよく似合っている。このドレスを選んだことに、間違いはなかった。
 そこへ身なりを整えて戻って来た侍女たちも加わり、三人がかりで少女の髪を纏め上げていく。
 最後に花の蕾を摸した髪飾りをあしらう。それと、同時に部屋の扉が叩かれた。
「これはまた愛らしくなったな。やはり、リシェルに任せて正解だった」
 姿を現した陛下は、ドレス姿の少女を見るなり、満足そうに頷く。
 労いと共に向けられた笑みに、私は謝辞を述べて頭を垂れた。
 けれども、少女はというと、じっと陛下の顔を見上げたまま、呆けたように立ちつくしている。私はちっとも動かない彼女の様子にしびれを切らして、彼女の肘を軽く叩いた。
「ほら、あなた。陛下に礼を言いなさい。街で助けていただいたのでしょう?」
 私の言葉に、少女ははっとして慌てだす。
「あ、ありがとうございました!」
 ひょこり、と彼女は頭を下げる。再び顔を上げた彼女は「それから」と戸惑いがちに切り出した。
「それ、すみませんでした。傷、大丈夫ですか?」
 黒い双眸が後悔を滲ませて、陛下の方へ向けられる。
「あぁ」
 陛下は、今思い出したとでも言いたげな仕草で、頬に走る傷に触れた。
「問題ない。すぐ治るから気にするな」
 打ち解けた気さくさで陛下が笑う。
 少女は、ほっと息をつき、黒いまなこを和らげた。


 テーブルを囲んで席に着く。淹れたての紅茶を一口含んでから、陛下は少女に切り出した。
「お前は、どこから来たんだ? その顔だちはこの辺の国で見られるものではない。随分と遠くから来たんだろう?」
 陛下が口にしたのは、私も疑問に思っていたことだ。
 そろり、と舌先だけ紅茶に口をつけた少女は、陛下に問われて困ったような顔をした。弱り果てた表情で、彼女は向かいに座る私たちを見る。
「遠いって言ったら、遠い、のかな? どうなんでしょう?」
 要領の得ない答えを出して、黒髪の少女は口ごもる。
 私と陛下は思わず顔を見合わせた。
 もしかして。
「記憶喪失か?」
 陛下が硬い声で尋ねる。
 だけど、私たちの懸念に反して、彼女はあっさりと首を横に振った。
「いえ。そうじゃないんです。ただ、ここがどこかわからなくて。これでもお風呂に入っている間中、ずっと考えていたんですけど……ヨーロッパ、とかじゃないですよね? もし仮にそうだとしても、いくらなんでも今の時代、こんな中世風な暮らしをしてるわけがないし。時代超えちゃってる、ってことはないよね……?」
 だんだん尻つぼみになっていく声。それは、私たちに尋ねていると言うよりも、どこか自分の記憶を確認しているように思えた。
 押し黙り、俯いてしまった少女に見かねたのか、陛下は息をついた。
「ここはフィラディアルだ」
 陛下が告げた国名に、少女は顔を強張らせる。
「ふぃらでぃある?」
「そうだ」
 繰り返された名に、この国の王である彼は深く頷き返した。
 やっぱり、と諦めを宿した呟きが、少女の口から零れる。視線を紅茶に落とした彼女は、カップを持つ手に力を込めて、泣き笑いのような顔をした。

「私は、たぶん、こことは別の世界から来ました」