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20


 よろしければいかがですか、と給仕に差し出された葡萄酒をロウリィはあっさり受け取った。あれ、と思ってロウリィに目をやれば、彼はグラスを目線にあわせてかかげ、角度を変えては、「いい色ですねぇ。これは相当いいものでしょうねぇ」としきりに感心している。
 あれ、ロウリィってそんな食い入るように観察するほど葡萄酒好きだったっけ、とか。あれ、そもそもそもそんな見た目と香りだけで判断できるほど詳しかったのかしら、とか。つらつら考えてしまいそうになるけど、そんなことよりも、だ。
 給仕から手渡されるものは基本毒入りだ、と。私に釘を刺したのは、ロウリィ自身だ。なのに、これは大丈夫なのかしら、と私の方へも差し出された葡萄酒とロウリィを見比べて考える。
「奥様もどうぞ」
「いえ。カザリアさんは、こちら苦手なので、ご遠慮しておきますね。お気遣いありがとうございます」
 ぽややんと、ロウリィは給仕の申し出を断って「カザリアさんはこちらで」と長卓に並んでいた果実水の一つを取り上げる。
「ありがとう」
「いいえ」
 ロウリィの手からグラスを受け取れば、給仕は特に食い下がるでもなく一礼して去っていく。
 冬空に似た蒼い目を細め、鼻歌でも歌い出しそうな様子のロウリィには、もう不信感しか漂ってなかった。
「毒入りでしょう!?」
「え、毒入りじゃないですよ。置いてある分は大丈夫だって教えただじゃないですか」
「ほら、やっぱり! こっちじゃなくて、そっちよ、そっち!」
 あくまで目立たぬように小声で、私はロウリィをなじる。本当に何を考えているんだ、この人は!
「よい加減で毒が仕込んであったら、口にするのが礼儀なんですよ、カザリアさん!」
「そんな礼儀聞いたことないわよ!」
「だって、ほら。これなんか、毒を入れることで、より透明度が増していて美しいじゃないですか!? 見てくださいよ、この角度から見る輝き! なのに香りは変わってない。ですが、おそらく味わいは深みが増してより上等な葡萄酒になっているはずです。さすがチュエイルさん。毒の使いどころがよくわかっています!」
 お目が高い! と、訳のわからない絶賛をするロウリィに絶句する。上等な葡萄酒であろうがなんだろうが、毒が入っている時点で、それはもう葡萄酒なんて呼んで言い代物じゃないでしょうが。
 そもそも、その‟上等”のかかる先が、葡萄酒ではなくて、毒な気がしてならない。そんなこと気付きたくはないから、もう気付かなかったことにしてもよいかしら。
 私は目配せで給仕を呼んで、グラスを持つロウリィの手の甲をつねりあげた。
「――い、痛いですよ?」
「わざと呑んだら離婚するって言ったわよね?」
「ま、まだ呑んでいませんし、ですが、今後のために試しておいたほうがよいと思いません?」
「ねぇ。今度同じことしたら、私が先にそれを呑むから」
「すみませんでした」
「わかればよろしい」
 ロウリィの手から取り上げたグラスを、やって来た給仕に手渡す。
「くれぐれも誰の口にも入れないように」とロウリィが念を押したのを見る限り、いたずらでも口にしてはいけないものだったのだろう。
 どこか名残惜しそうに給仕を見送っているロウリィについては無視することにした。
「失礼、領主殿。ご挨拶させていただいてもよろしいですかな?」
 声をかけてきたのは、壮年の紳士だった。その後ろに、奥方とご子息、ご息女がついてきている。十代半ば頃のご子息の方は堂々としたものだが、おそらく十に満たないご息女の方は、まだこのような場に不慣れなのか、落ち着かない様子でドレスをいじっては、奥方に静かにたしなめられている。
 ロウリィは顔なじみらしい。こちらから挨拶できていなかった非礼をわびて、互いに連れを紹介しあう。
「カザリア様、とお呼びしても、よろしいかしら? 私のことはどうぞマリーと」
「ええ、もちろんですわ、マリー様」
 奥方からの申し出に頷くと、ティアンナと紹介されたご息女が目を輝かせて母であるマリーの前に飛び出てきた。
「ねぇ、カザリア様は王都からいらしたのでしょう?」
「そうよ」
「うらやましい。わたし、まだ王都へ行ったことがないのです。王都ってどんなところかしら。きっとすてきなところなんでしょうね。わたしも王都へ行ったら、カザリア様みたいにきれいになれるかしら」
 ティアンナ、とご息女は母にたしなめられる。二人のその様子は、とても微笑ましく映った。ロウリィはロウリィで、紳士とご息子相手に、談笑をしている。
 そうなのだ。意外なことに、今日これまでに悪意を持って近づいてきた招待客はまったくいなかった。
 むしろ会場の入り口で、名と共に紹介され、入場してからは、ひっきりなしに向こうから挨拶にやってくる。あまりに続くものだから、休む暇もない。少し途切れた隙に、軽食のおいてある続きの間に休憩に来たのは、つい今ばかりのこと。わざわざここまで挨拶に来てくれるとは、相当である。
 しかも、この場はチュエイル家の新年会ということもあり、親戚筋やそうでなくても深い関わりのあるものばかりが招待されているはずなのだ。にもかかわらず、チュエイル家側からしてみれば領地を取り上げた敵であるはずの私たちに、誰もがひどく好意的だ。
 追い出そうと、陥れようと企んでいる風でもなく、ロウリィがエンピティロの領主となったことを歓迎している。そうでなければ、こんな田舎の領主に選ばれてしまうなんて不運でしたね、と言った風だ。
 それだけでもチュエイル家当主の対応と、連日の毒や刺客の攻撃との落差に混乱しそうなのに、彼らが総じて口にするのはチュエイル家本家に対する愚痴である。
 あっぴろげに言ってしまえば、「さっさと認めてしまえばいいのに」、「王に逆らわれてこっちにとばっちりきてはたまらない」、「むしろそうまでしてなぜこんな田舎にこだわるのか」といったことが人によって言葉を変え、延々繰り返される。うんざりしている、と口を揃えて言いながら、けれど、その多くは領地を出ている様子もなく、現状を傍観しているだけの姿が、実に奇妙だ。
 ロウリィは、彼らの言葉のそのどれにも確かな答えは返すことなく、あくまで彼らの愚痴を聞いているだけだから、それもまた不思議なのだ。
「あら、カザリア様って、あのカザリア様?」
 その声に振り返ると、興味深そうに栗色の瞳を瞬かせている女性がいた。にっこりと、あけすけのない子どものような笑い方に、少し驚く。歳は、私とそう変わらないであろうに、ほのかに散るそばかすと、その笑い方が、彼女を幼くみせていた。
 ゆるりと纏めあげられた栗色の髪は、こっくりとした色をして、薄色の彼女のドレスによく似合っていた。
 ただ、それよりも何よりも、彼女が手にする皿のほうが気になった。これでもか、と載せられた料理の数々は、絶妙なバランスで積み上げられて、ほとんど山と化している。
 あれ全部一人で食べきれるのかしら、と思っている先で、彼女はいそいそと私たちの間にあった料理をつぎたした。
「ごめんなさいね、こっちの料理がとってもおいしそうに見えたものだから来たんだけど、つい聞こえてきちゃって」
 割り込むつもりはなかったのよ、と言い訳しつつ、そのまま彼女は私たちの真ん中に立つ。
「イレイナ様……」
「あら、マリー様、ティアンナ様、ごきげんよう」
「カザリア様、こちら」
「ああ、ちょっと待って、マリー様。はじめてお会いするのですもの、私自身で名乗りたいわ」
 彼女の言葉に、奥方は困った風に口を開いて、結局何も言わずに閉じた。続いて溜息が聞こえたのは、私の気のせいでしょうか。
 では、夫が呼んでおりますので私たちは失礼いたします、と奥方はご息女の手をひいて、そそくさと立ち去っていく。
 さて、これはどういう状況なのかしら、と奥方たちが合流した先にいるロウリィに助けを求めてみるも、私の視線に気づいた彼は首を傾げて、ほけほけとしているだけだった。
 見ようによっては苦笑している風にも見えるし、普通にぽやぽやと笑っている風にも見える。何分、間に人が入っているせいか、些細な違いでは、ここからじゃ見分けることができない。そのほけほけは、つまりどっちだ! と問いただしたくなるけれど、首を横に振らない程度には、大丈夫なのだと思い、たい……!
 あら、逃げられちゃった、と目の前の彼女は、山盛りの料理を手にしたまま肩をすくめた。
「私、チュエイル家の皆さんには、ことごとく嫌われているようなのよね」
「では、あなたはチュエイル家のご親族ではないのですか?」
 つい、聞き返してしまえば、彼女は「ええ」とにっこり笑う。
「私は、イレイナ・クルイズ。母は貴族の生まれだけど、父は商家の生まれで、だから私も貴族でなくて、商家の娘なの」
 つまり平民ね、とイレイナは笑って付け加える。
「皆さんから苦手意識を持たれているのは、それもまぁ、あるのでしょうけど。チュエイル家とは昔から関わりがあって、その縁で毎年この新年会へはご招待いただいているの。だからまぁ、親族とは言わないわね」
 これだけ大きな会ですもの、チュエイル家よりもむしろチュエイル家と係わりのある家の方々が招待されているわ、と話しながら、イレイナはぱくりと料理を食べた。
 いかが、と勧められた料理を遠慮すれば、イレイナは残念そうな顔をする。「と言っても」と、イレイナは今しがた口に入れた料理をごっくりと飲み込んで続けた。
「王様がチュエイル家から領主の地位を剥奪してしまったでしょう? そのうち、そちらの旦那様が、この土地のご領主となられてからは、チュエイル家と距離を置きたがる者も増えて、実際にここまで足を運ぶ人たちはめっきり減ったんだけど。そりゃあ、王様にまで睨まれちゃってる一族と関わっているなんて、知られたくもないだろうし、こうなってしまった以上、関わる側に得はないもの」
「それなら、あなたはなぜ、こちらへ?」
 微笑んで、尋ねる。
 イレイナの口にした推測は深く考えずとも誰もが思うことだ。ロウリィに対して復讐心がなさそうな以上、それでもここまで足を運んだ者たちは、ただの考えなしか、チュエイル家に恩があるか、あるいは、現領主であるロウリィと少しでもいいから繋がりをつくっておきたいからだ。
 現に、会場に足を踏み入れてからこちら、わざわざロウリィを探して挨拶に来る。会場からは影になるここまで、足を伸ばして、だ。
 ロウリィを通して陛下の意向を知りたい面もあるだろう。自分に被害が及ばないよう立ち回る必要のある者たちは、その手段を知る手がかりを少しでも手に入れておかなければならない。
 それを私は、悪いとは思わない。新年会に来なかった者たちも同様だし、同じ立場に立たされれば私もよりよい手段を選ぶ。
 ただ、伺われる側としては、彼らの言い分をすべて聞き入れるわけにはいかないし、そもそも領主でない私に何をどうするかという判断権もない。私からロウリィへ取り次いでもらえると考えるなら、それは間違いだ。
「そんなに警戒せずとも大丈夫ですよ、カザリア様」
 くすり、と。思わずといったふうに笑いを漏らしたイリアナは、今まで手放さなかった皿をあっさりとテーブルの上に置いて、私の手を取った。
 ぎゅっとてらいもなく両手で握りしめられ、私はわずかおののく。
「私が今日ここまで来たのは、カザリア様、あなたがここに来ると聞いたから。繋がりを持ちたいのもどちらかというとあなた」
「え?」
 思わず聞き返せば、イレイナは楽しそうに瞳を輝かせる。
「貴族なのに、商人のように商売をするテティイルナ家。そのご令嬢であるカザリア様と一度お話してみたかったの」