かわいそうな、ひと


 待って。待ってください。
 どうしてそうなってるんですか、と毎度問いたいのを堪えるのも結構辛いのだ。
「……トゥーアナ様」
「何でしょうか、バロフ」
 今は亡き隣国からやって来た王女。自ら王族を根絶やし、国を滅ぼしたという事実とは裏腹に、彼女は無垢な子どもに似た行動をとったりもする。
 言ってもよいならば、ちょっとずれているのではないかと思うのだ。ガーレリデス様につい口を滑らせてしまったところ、「そうか?」と首を捻られたが、あの人も相当ずれているので主君の意見は頼りにならない。トゥーアナ様を傍に留め置くことに決めた時点で、陛下のずれが決定的になったくらいなのだから。
 で、だ。
「貴方がいて、どうしてこんなことになっているのですか。ガーレリデス様」
「こんなこと?」
「トゥーアナ様の! お髪が! 草切れと花びらまみれになってます!」
「ああ」
 ああ、じゃありません、“ああ”じゃ。貴方たちに道を譲った臣下が、揃ってぎょっとしていたのにお気付きになっていないんですか。
「これなぁ」と、ガーレリデス様は苦笑しながら、トゥーアナ様の頭を引き寄せる。ですから、トゥーアナ様。そこは初恋が実ったばかりの少女のようにはにかむところではありません。
「遠乗りに出ていたんだ」
「知っています。抜け出さないでください。仕事は片付いていたようですが、そういう問題ではありません」
「まぁ、けつまづいたわけだ。足場が悪くてな。見事に穴にはまった」
「ああ、トゥーアナ様が……」
「いや、俺が」
「何をなさってるんですか、貴方は!」
 そういう日もある、と一国の王は、しれっと事実を認める。
「で、トゥーアナが、俺が転ぶのを回避しようとしてくれたらしく服を掴んでくれたんだが」
「支えられるはずがありませんよね。つまり、一緒に倒れた、と」
 そして、倒れた先に花が咲いていたわけですね。納得しました。
「ですが、ガーレリデス様は結局、私を庇ってくださいました」
「当り前です。仮に貴女様が陛下を庇った場合、潰されること必至です。うちの陛下を人殺しにしないでください」
 異国の王女は、眼をきょとりとさせて、だが次の瞬間には「ええ」と打ち笑う。
「もう二度と」
「そんなことしてみろ。今度は怒るぞ。どちらにしろ署名する気はないが」
「……そのような意味では」
 ないのですが。もはや決してそんなことは望んではいないと念を押す。
 彼ら二人が作り出す空気は、端にいる私から見ても、柔らかなもので。
 だが、処断する側とされる側、それぞれの権利を確かに持つ彼らの間に介在し続けるものは、ただただ生易しくもないとふとした一瞬に思い知らされる。
 そうだな、と陛下は、真面目な顔をして頷いた。
「もしもそんなことになったら、飼い殺すか」
「問題発言しないでください、陛下」
「はい。貴方の傍にいられるならいくらでも」
「喜ばないでください、トゥーアナ様!」
「冗談だ冗談。言葉のまま受け取るな」
「……どうも冗談に聞こえなかったようなのですが」
 ガーレリデス様は、口の片端を意味ありげに吊り上げた。「まぁ、そろそろ払ってもいいか」と、トゥーアナ様の頭上に乗せていた手を滑らせ、淡い金色の髪をとき梳かしていく。
 ガーレリデス様が、王女の髪を撫でる度に、細かな黄に薄桃の花びらが、剣にも見えるすっきりと伸びた葉と共に床に降り積もって行く。このまま永遠に同じことを繰り返していたら、回廊に花畑が形成されるのも夢ではないのではないかなどと、がらにもないことを考える。
「……どうしてここで払うのです。掃除を手配する側の身にもなってくださいよ。そもそも、貴方にはまったくついていない草が何故トゥーアナ様にばかりついているのです」
「俺のは、トゥーアナがとっくの前に払ってくれたからな」
「何故トゥーアナ様の分は払ってきていないのですか、と申し上げているのです!」
 いきりたってみれば、彼ら二人は互いに顔を見合わせた。
「似合うようになってたから、そのままにしてみた」
「そのままでいろ、と言われました」
「――意味が分かりません」
「分からなくていい。俺が分かる」
 ガーレリデス様は、嬉しそうに破顔する。あまりのことに虚をつかれそうになった。
 嘆息は、落ちる。自分の意思とは真逆の感情を具象化するように。
「どうして、こんな方がよかったんですか……」
 ずっと疑問に思っていたことを投げかける。前に、陛下と話していても答えを見出すことができなかった事柄。
 トゥーアナ様は、静かに目を綻ばせた。けれど彼女は、ガーレリデス様に頭を預けたまま口を開くことはなかったのだ。