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予兆 04


「セイディルアの族長(カーリア)が私のことをお呼びだとか」

 砦内に直接姿を現した西の魔女は、青ざめた顔で見上げてくる男に苦々しげに吐き捨てた。
 慌てふためき王を呼びに行った兵士の背を冷めた目で見やりながら、初老の魔女は宙に浮かぶ足先を石床につける。淡い茶髪に細布と編み込んだ玉飾りが、背中に降りてしゃらんと音を立てた。
「全く忌々しい」と不快気に皺を寄せた魔女は、去ったばかりの兵士を待たずにくるぶしまで覆い隠す腰布の裾を翻すと、初めて足を踏み入れた砦の回廊を迷うことなく進みだした。



 設けられた砦の一室。外壁と同じく飾り気のない寒々しい石壁に囲まれた部屋で、木机を挟み王と向かい合わせになった魔女は、偽ることなく嫌そうな顔をした。ささくれの目立つ年季の入った木机の上で、彼女は両手を組み合わせる。
「問題の娘って、その子ですか」
「ネズミみたいでかわいいだろ」
「権力者って基本気持ち悪いですよね」
 うんざりと言う魔女の前で、エイディルダブラカーリアは膝に抱えた娘の頭を抱き寄せた。所有を示す王の仕草に、(まなこ)を閉ざしたままの女は意義を唱えるはずもなく、ただ力ない身体を大人しく男の胸板に寄せる。
 魔女は痛みだしそうなこめかみを、溜息をつくことで紛らわせようと試みた。
「ルガーダの前王の娘ですね」
「当たり。確かお前は、まだ次代用の弟子をとっていなかっただろう」
「南の魔女と東の魔女、それに北東と南東の賢者もまだとっていませんよ」
「どうやら呪詛ではなかったようだ。ここ二日何も変化がない」
「のようですね。かけていいのなら、私がとっくにかけています」
「いるか?」
「結構です」
「なら、これは貰っていいんだな?」
 男は視線を逸らさず魔女の真意を探る。「お察しの通り」と前置きした西の魔女は、しゃらんと髪飾りを鳴らして、組み合わせた手に力を込めた。対する王を睨みつける。
「確かにその子には魔力があるようですが、このくらいならそこらの巫女でも持っています。あなたに脅かされるだろうことを知っていて魔女にするほどのものでもないですよ。今回の予言にしろ当たるかどうかはその時が来ないと分かりません」
「なんだ。残念」
 本当にそう思っているのか否か、大して気落ちした様子もなく言った男は、「あぁ、そうだ」と手にしていた女の右足を机上に載せた。
「邪魔だから、これ外してやってくれ」
 示された錆びの浮く足枷に、魔女は顔を顰める。鉄環の内側にある足をぐるりと巡っている赤く擦れた傷には滲んだ血が凝り固まっていた。
「枷の跡も消しますか?」
「できれば。あ。あと、こいつの肉、もうちょっと増やせないか。骨ばっかりでな」
「ちゃんと食べさせなさい。ないところからつくり出すのは私たちには不可能です。お望みなら、あなたの肉を根こそぎこの子に移してあげることは可能ですが」
 王は口を曲げて閉口した。それを見てとった西の魔女は、息をつくと、左手の親指と小指を残し、指三本を錆が塞ぎかけている鍵穴に添わせる。

「戒めの鍵 溶けて鍵となれ
 土くれからいでしもの 崩れて土となれ」

 熱なく紡がれた言葉。それでも、魔女の言に従った足枷は脆く崩れ去った。
 茶の砂鉄と化した鎖を摘みあげた王は、土くれを指の腹でこすり合わせる。
 しばらくその様子を眺めていた魔女は、王が動かぬことを知ると、机上に手をついて立ち上がった。
「ちょっとその子、私に貸してくれませんか」
「いらないんじゃなかったのか」
「揺り起すんです。その子、今、自分じゃ起きられない状態に陥っていますよ。このまま放っておくと、目を開く前に確実に衰弱死します」
 目を瞠った男を無視して机を回り込んだ魔女は、王の了解を待たずに眠る娘の額に手をのせた。
「あなたが使えるほどでなくとも魔力を持っているのは事実です。ただ、統御する術を彼女は知らないし、閉じ込められていたせいで誰もこの子の魔力に気付かなかった。普通、巫女であっても精神修行をしますし、私たちにもそれなりの方法があります。変に意識が途切れたことで、魔力が精神を上回って自然身に付けていた最低限の統制すら、できなくなったのでしょう。まぁ、その辺り、あなたには心当たりがあるでしょうが」
 老年と言って差し支えない男を一睨みした上で目を閉じた魔女は、口の中で文言を積み重ねる。先とは違って、ほとんど聞き取れないこもった音の微動を、王は腕の内にある娘を通して聞いた。
 わずか大きく揺れた呼吸音。それと伴って震えた睫毛に、魔女は娘の額から手を離した。
 目を覚ましつつある女に関心を寄せるでもなく、額から離れゆく手につられて顔を上げた同族の男に、魔女は感情の失せた目を向ける。
「他に何か用が?」
「……お前の旦那と息子は息災か?」
「それを聞いてどうするって言うの」
「クシャハ。別にお前の家族をどうこうしようとは思ってない」
 老熟した深い声には微かに悔恨に似た焦りが滲む。だが、名を呼ばれた魔女は、取り合うことなく宙へと浮かび上がった。
「分かってる。けど、今のあなたにはそれが可能なのよ。もっともそんなことされる前に、あなたも兵も、私こそが瓦礫に還してやる。私は、エイジアをいとも簡単に切り捨てたあなたを絶対に許せない」
 告げられた憎悪に反して、魔女の言葉はどこまでも単調であった。越えられぬのは過去からの郷愁。
 やがて姿を掻き消した西の魔女に、王は行き場を失って久しい苦みを噛み殺したのだ。


 エイ、と零れた吐息に、エイディルダブラカーリアは現実に立ち返る。
 半分しか開いていないながらも、明らかに精彩を取り戻した緑眼は、辺りを彷徨い、最初と同じく王の顔に焦点を定めた。
「エルディ」
「よりによってどんな略し方だ」
「わたしが呼ぶ名前をどう呼ぼうが呼ぶわたしの勝手」
「覚えてないなら、素直に覚えてないと言えばいいものを」
 細い女を肩へと揺すり上げた王は、そのまま歩き出すと木扉を開けた。外に待たせていたカヒルガイが声を出すよりも早く、彼はシィシアの身体を青年に託す。
「後は頼んだ。部屋にこれを戻しておいてくれ」
「げ」
 分かりやすく動揺を示した青年をよそに、エイディルダブラカーリアはわざとらしく腰を屈めると、シィシアの黒髪を撫ぜる。
「シィ。よい子にしておけ」
「それじゃ木の実ではないの」
「そっくりだからそう呼んでる」
「…………」
 にまりと口の左右に皺を刻んで、王は二人に背を向けた。
 まじかよ、と肩を落とすカヒルガイの横顔を、シィシアは至近から見上げる。自分を観察する開かれた緑眼に気付いたカヒルガイは、ぞっと背筋を凍らせた。
 おぞましいという気持ちをちっとも隠せていない年若の青年に、シィシアは「誰」と尋ねる。
「答えたくない」
 逃れるように目を逸らした青年は、言い知れぬ恐怖の原因を腕の内に抱えたまま、早々に大股で歩き始める。
 ふぅん、と鼻を鳴らしたシィシアは、運ばれるままに振動と連れだってとろけ落ちてきた瞼を再び閉じた。