マッチョ実己氏とつるつる騒動


マッチョ実己氏



「実己はとてももこもこしてるよね」
「もこもこ?」

 唐突に少女が切り出した言葉の意味を計り切れず、実己は怪訝そうに問い返した。
 けれど、それは聞き間違いでも何でもなかったらしい。紅は、そう、と頷いて「もこもこしてる」と繰り返す。
 はて、どういう意味だろう、と首を傾げたのは実己だけで、彼女は構わずくすくすと笑った。
 迷うことなく伸ばされた手。小さな手は彼の頬を包みこんでから、血脈の集まる首筋を伝い、胸へと辿る。
 とうとう彼の腹のあたりまで下って来た手は、興味深そうに、胸元から臍のあたりまで、行ったり来たりを繰り返した。
「ほら、もこもこ!」と、彼女は彼の腹に浮き出た凹凸をさする。
「もしかしなくとも筋のことか?」
「きん?」
 紅は不思議そうに問いかえす。いろいろと説明する手立てを考えて見たが、どれも回りくどく、らちが明かない。よって、実己は、単純に己の腹に力を込めた。
「わぁ! もっともこもこだ」
 さらにはっきりと現れた山。深みを増した凹凸の溝に紅ははしゃぎ出す。
 やはり筋のことだったらしい、と悟った実己は、紅に筋を発達させることがどういった役割を持つのかを説明してやることにした。そうして、彼は、あろうことか、どうやったら筋力を増すことができるのか、そのあらゆる方法まで少女に説明してしまったのである。
 結果。
「じゃあ、私も実己みたいにもこもこになりたい!」
 無邪気に夢を語り出した華奢な少女。袖を捲って、腕を曲げ、なんとか力瘤はできないものかと試みる。
 その姿を見た実己は、一瞬、全体的にもこもこになった紅を想像してしまい、「やめておくように」ときつく彼女を諭したのである。



つけるなよと言われようがおまけ。



「あのね、実己」

 そうして、少女は、今日も今日とてよからぬことを彼に言いだす。

「実己の頭はつるつるだともっといいと思う」
「つるつる!?」
 あまりにも突飛のない話。思わず頓狂な声を張り上げてしまうのもいたしかたのないことだろう。
 つまりどういうことか。頭をそり上げろと、彼女は言いたいのだろうか。
 少女は、こっくりと頷くと満面の笑みを広げた。
「実己の頭がつるつるだったら、きっと気持ちがいいよ」
「……そうか?」
は、実己の頭がつるつるがいい」
「…………なら、全部剃ってしまうか」
 そういえば、髭も伸びっぱなしでそのままだった、と今更ながら思い至った彼は、顎をさする。だが、耳聡く、髭のこすれる音を聞きつけた紅は、それを許しはしなかった。「だって、髭は面白いよ」というのが彼女の言い分。「髪も髭も大して変わらないのではないか」という彼の言い分はすっぱりきっぱり却下された。
 結局、ぼさぼさの髭だけを残して、あとはきれいさっぱりつるりと自ら禿げになった実己。見ずとも分かる、ちぐはぐ具合に、実己はどのような表情をすればいいのか、迷った。
 当然、喜んだのは紅だけである。
「つるつるー!」と、嬉しそうに頭の頂に、頬を擦り寄せてくる少女の行動を奇妙に思いながらも、これはこれで楽だしいいかと彼は単純に思う。
 けれども、ほんの数日後。うっすらと生えてきた髪に、紅が「ざらざらする」と文句を言いだした。
「初めは実己のざらざらも楽しかったけど、もう楽しくない。やっぱりつるつるの方がよかった。つるつるの方が楽しかった」
 果たして紅の願いは、聞き入れられた。
 青みがかるまでとなっていた微々たる髪を、実己は再び剃りあげ――その後、数日毎に、己の禿げ具合を整えることにしたのである。
 綺麗な禿げは結構、手間がかかる。