日差し緩やかな冬の午後。ケルティカは淹れたばかりの茶を、ぐったりとテーブルの上に突っ伏している弟子の傍に置いた。
「なんだが、日に日にげっそりしていくねぇ」
 対面に座したケルティカは、疲労が目に見えて濃くなっている弟子に同情の籠った視線を投げかけた。
 ふわり。窓の閉じ切られた部屋の中で、そよ風が沸きおこる。風がカップから立ち上がる湯気をさらうと、つんと鼻につく爽やかな香りが辺りに広がりだした。
 ソラリアは茶の香気に惹かれるように顔を横に傾ける。顔の向きを動かしたことで、頬に貼りついたテーブルが冷たかったのか、ソラリアはわずかに顔をしかめた。
 時折、風に踊りながらも、天井へ向かって軽やかに立ち上り続ける湯気を眺めながら、彼女は溜息と共に「ありがとうございます」と零す。
 部屋の中を行き交い始めたそよ風は、慰めるようにソラリアの銀の髪をふわふわとなびかせた。
 ケルティカは何も見えない部屋の中を見渡して、肩を竦める。
「ただでさえ目立つのに銀髪になんてするからだよ」
「ええー。だって銀の方が綺麗じゃないですか」
 口を尖らせて言い募る弟子に、魔女は声を立てずに微笑った。
「ソラリアはいつもそう言うけれど。時がたてば嫌でもみんな白髪グレーになるのに」
「だって師匠の髪色、綺麗なんですもん」
「おや」
 ケルティカは深緑の双眸を瞬かせ、ぬるめに淹れた茶をゆったりとすする。
 こちり、と置時計の針はまた一つ歩みを進めた。同時にソラリアが、ケルティカの向かいで思い切り顔を歪める。どうやら時計の針が進むその瞬間を目撃してしまったらしかった。
 閉じた窓の向こうでは寒風が激しく唸り続ける。けれども二人にしてみれば、静かに流れる穏やかな午後だった。それが間もなく終わりを告げようとしている。今日も。
「もうそろそろだね」
「いっそ馬に蹴られてしまえばいいのに」
 時間に近づけば近づくほど、普段元気のよい弟子はぐったりと力をなくしていく。
 一時の気まぐれかに思われた青年の魔女の弟子に対する想いは、予想を違えて長続きしているようだった。聖イリヤネスの祝祭以来、ほぼ毎日、夕方近くに砦にやって来ては、意中の魔女の弟子に対して愛を叫んでいく。
 あと数分もすれば、青年は今日もここにやって来るだろう。できることなら、愛する弟子と平和に楽しく午後を過ごしたい東の魔女にとっても、あまりにしつこい青年の来訪は嬉しいものではなかった。
「イージェクに教えたら血相変えて怒りそうだね」
「あのオヤジまで来たら余計に疲れるのでやめてください、師匠」
 名前を聞いただけで心底疲れたと言わんばかりに、ソラリアは嫌そうに呻き声を出す。
 ケルティカは口元に微笑を刻んで、頬杖をついた。ゆるり、深緑の双眸を窓に向ける。晴れ渡った空では、雲が勢いよく風に流されていた。
「……大分、飽きてきたしね。そろそろ釘を刺しておいてもよい頃合いかな」
 テーブルから顔を浮かせたソラリアは、こわごわと師匠の横顔を伺い見た。
 弟子の視線に気付いたケルティカは、ソラリアの方へ向き直る。
「サーシェイナに頼んで、連れて来てもらいなさいな」
 東の魔女は、深緑の双眸に光を孕ませ、笑みを深めた。魔女の提案に呼応するように、部屋を巡るそよ風は嬉しそうに勢いを増す。
 異議を許さぬ雰囲気に、ソラリアは顔を強張らせながら慌てて首を縦に振ったのだ。

***

 堂々と空に向かって聳え立つ東の魔女の砦は普通、見上げる者に己の卑小さを思い知らせる。
 ここ一月、魔女の砦に通い続けているエドワルドは、見慣れつつある砦を仰ぎ『相変わらず大きいなぁ』とのんきな感想を抱いていた。
 王都の中心に位置する大学から、東の魔女の砦があるこの場所まで、馬を使えばそう遠くはない。が、今日は他に寄るところがあったせいで、いつもよりも遅くなってしまった。
 王都の関門は日暮れにあわせて閉まる決まりになっている。閉門時間を考えると、ここまで来たのはよいものの居られる時間は残りわずかだ。しかし、これも彼女のためである。
 愛馬から降りたエドワルドは、馬にくくりつけておいた荷から買って来たばかりの贈り物を取り出すと、両腕で大事に抱え込んだ。腕にかかる確かな重みに、彼は人知れずほくそ笑む。
「お前はいいこにして、ここで待っておくんだよ、ジョーア」
 エドワルドは、愛馬の黒い瞳に優しく語りかける。
「じゃあ、行ってくるよ」
 東の魔女の砦には、早くも色濃く夕日が伸び始めている。
 彼の賢い愛馬は、一人砦に向かう主人を見送りながら「ぶるるるる」と嘆くように鼻を鳴らした。