第3戦 緑の土地のつくりかた


「お か し い !」
 むむむん、とエドワルドは、腕を組んだまま首を傾げた。
 じーっと睨んだ赤茶けた地面は、一週間前と三日たった今も何も変わったところがない。
 聞いてきた通りにしたはずなのに、一週間後には出ると言われたはずの芽がまったく出ていない。ちょとくらい誤差があるかもしれないと、加えて三日待ったもののまるで変化がない。
「お か し い !」
 むむむん、とエドワルドは、唸りながら立ち上がった。
 遠くのほうで王都に続く公道を一台の馬車が駆けてゆくのが見える。立ち上がった瞬間、御者台に座る男と目があった気がしたが、さっと顔がそらされてしまったので、実際のところは定かではなかった。
「つまりは、相談をしに行かなければならないわけだ!」
 一人納得したエドワルドは、同意を求めるように愛馬ジョーアの首を叩いた。「ぶるるん」とジョーアは咎めるように鼻を鳴らしたが、とにもかくにも無視である。
「よーし、じゃあ行こうか」と、意気揚々と背に跨った主人をのせて、ジョーアは公道よりもさらに奥に見える魔女の砦へしぶしぶ向かうこととなった。

***

「――と、いうわけなんですよ」
 ソラリアの向かいの席を陣取ったエドワルドは、満面の笑みで事の次第を話し終え、うきうきとした気分で相手の答えを待った。
 対するソラリアは、げっそりとした表情を隠しもしない。師からエドワルドの事案を担当するように厳命されてしまった手前、邪険にしようにもしにくいという状況が発生していたが、嫌で面倒くさいものはやはり嫌で面倒くさいものである。
『私情を挟まず、誠意を持って』
 一理あるとわかっているからこそ、心を鎮めようと深呼吸をする。
 けれども、ソラリアを諭した師のケルティカこそが、今日も今日とて、シュレーゼの蜜漬けの瓶をいそいそと戸棚にしまいにいくので説得力は正直皆無であった。
「……そもそも本当に農民になる気だったんだ」
「当たり前だよ、ソラリア」
 胸を張って答えたエドワルドが、そっと手に触れてくる。ソラリアは、さっと引っこ抜いた手を嫌悪も露わに手巾で拭いた。
 睨みつければ、ものすごく至福そうに微笑まれて、ソラリアの腕には反射的に鳥肌がたつ。
「――ケルティカ様っ! 今日もうちのソラリアが可愛いですっ!」
「誰がお前のだ!」
「そうだね。まだあげる気は毛頭ないけど、うちのソラリアはいつだって可愛いよ」
「うううううう、嬉しいけどこんな奴に同意しないください師匠!」
 きちんとシュレーゼの蜜漬けを収納して戻ってきたケルティカは、よしよしと愛弟子の頭を撫でる。
 簡単に機嫌を浮上させたソラリアは、見上げた先でケルティカから愛おしそうに目を細められて、にやけだした唇をすんでのところで引き結んだ。
 ケルティカ様うらやましい、と呟かれた不気味な声は当然、無視である。
「それで?」と、ケルティカは弟子の傍らの席へ腰かける。
「あれから顔を出さないから、どうしたかと思ってたんだけど、まさか本当に作物を育てようとしてたなんてね」
「はい。きちんと認めていただくためにも、発芽してから報告に伺おうと思っていたのですが、どうにもこうにも芽が出なくって。さすがにこれ以上はソラリアに会えない日が続くのには耐えられなくなって来てしまった次第です」
 あ、ついでに原因について相談しようと思って、と付け加えたエドワルドに、ソラリアは胡散臭げな目線を向けた。
「うん、まぁ、君の誠意なんてどうでもいいんだけどさ、エドワルド」
 ひたり、とケルティカに視線を定められ、エドワルドは緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
「もう少しこっちに来る頻度があげられないものかな?」
 真意の見通せない表情でそう言ったケルティカに、エドワルドもさすがに戸惑ったらしかった。
「え、いいんですか」と遠慮がちに聞き返した彼は、期待に満ち満ちた目でソラリアの様子を窺ってくる。
 恐らく嫌われていること自体は一応理解していたのだろう。ただ完全に嫌われるのは嫌だったらしく、会う理由をとりつけた現在は少しだけ、ほんの少しだけ自重しようと決めていたらしかった。
 おかげでここ一週間は平和だったのに、と今日までを振り返りはじめたソラリアは、師が言わんとしていることに察しがついたがために、浮上したはずの気分が急激に下落していくのを感じた。
「もちろんだよ。じゃなきゃ、困る。シュレーゼの蜜漬けが三日でなくなってしまってね」
「えっ! 一瓶全部ですか?」
「ほら。その前までは毎日来てただろう? すぐ来ると思っていたから食べすぎちゃったんだよね。日を空けるなら空けるで、前もって余分に貰っておきたい」
 真剣な顔で訥々と言いつのるケルティカに、エドワルドは「はぁ」と相槌を打つ。それをどう受け取ったのか、ケルティカは焦ったように「もちろん」と付け加えた。
「依頼料より余分にいただこうとは思ってはいないからね。超えるようならこちらで料金は持つつもりだし、なんなら入手経路さえ教えてくれれば、こちらで買うんだけど」
「いやいやいやいや! そんなっ! 全然っ! ただの気持ちですし!」
 途端、がたんと椅子から立ち上がって慌てだしたエドワルドは、ぶんぶんと目の前で手を振った。
「入手経路を教えて、必要ないからもう来るなって言われたら困りますし! ……って、“その手があったか”って顔しても、教えないよ、ソラリア!?」
 ちっ、とソラリアが舌打ちをすれば、「いや、舌打ちをする君も素敵だけど教えないからね!?」と意味のわからぬ念を押される。
「それよりもケルティカ様」と、エドワルドはテーブルに両手をついて言った。
「ケルティカ様のご出身という中部とは、オウリッヒで間違いないでしょうか? ご希望とあれば、シュレーゼ以外にも彼の地の特産物を取りそろえることができますが!」
「おや」
 ケルティカは深緑の目をきらめかせる。本当に、と問うその視線に、エドワルドはしかと頷いた。
「ただし、一度につき一つ。うちシュレーゼは、三日に一度は必ずお持ちしましょう」
「わかった。毎日でも来るといいよ、エド。もちろん無理にとは言わないけど」
「ありがとうございます」とにっこりと笑うエドワルドを尻目に、「ううん、どうしようかな」とケルティカはおっとりと頬に手を寄せ首を傾げた。
「そうだね。欲しいものをちょっとリストに仕立てておきたいから……うん、ソラリア。その間にちょっとエドの畑の様子をしっかり見にいっておいで?」
「……」
 ここでソラリアが『嫌です』と主張しても、既にこちらのことは上の空状態のケルティカの耳には何も聞こえないだろうし、聞こえたとしても『仕事だからね?』と諭されて追い出されるだろうことも目に見えている。
 項垂れながら「わかりました」と言ったソラリアは、嬉々として差し出されたエドワルドの腕をとりあえず見なかったことにした。