「ねぇねぇねぇねぇ、無理ってどうしてだと思う?」
 代々仕えるラグナド家の四男エドワルドに追いかけまわされ、庭師見習の少年ヤンは、「いい加減にしてくださいよ、エドワルド様!」と半泣きで叫んだ。
 荒野での野菜栽培の失敗談を話し、庭師長のグロアに呆れられたエドワルドは、以降、グロアが一向に取り合わないと知るや、その弟子のヤンのあとをついてまわり、しきりに質問を繰り返してくる。
 暇なら手伝ってくださいよ、とヤンが言えば、諦めるどころか率先して肥料運びを手伝う始末である。いい加減にしてほしい、とヤンは新しく花壇にする予定の場所の地面をシャベルで掘り起こしながら、溜息をついた。横では見様見真似で、エドワルドも土を掘り起こしている。
「頼むよ、ヤン。グロアは頑固だから教えてくれないんだよ」
「頑固もなにも、エドワルド様。今回のことで、旦那様にお叱りを受けているでしょう? 僕たちが手伝えるわけないじゃないですか」
「大丈夫、大丈夫、父さんはもう呆れてほうっておいてくれるようになったから。ルアンナの家との婚約も破断。つつがなく示談になったし、問題ないよ」
「問題ありまくりじゃないですか!」
「うん、それで、残る問題は、ソラリアを怒らせた理由を探ることなんだよね。畑のことで怒らせたってことは、さすがの僕にもわかるから、ちゃんと畑をつくりたいんだけど、肝心の畑の作り方がわからない。花屋のトトゥティさんに聞いても無理ってしか答えが返ってこなかったし。何か解決策ないかな?」
「……そんなの僕からも無理としか答えられませんよ」
 土を耕し終えたヤンは、しゃがんで雑草と石を丁寧に取り除いていく。掘り起こし、やわらかくなった土からは、雑草も石も取り除きやすく、ひょいひょいととれる感覚がおもしろいため、ヤンはこの作業が嫌いではない。シャベルを脇に置き、ヤンに倣ってしゃがんだエドワルドは、石を拾いあげながら不思議そうに尋ねた。
「なぜ?」
「だって、あの、東の魔女がいる荒野でしょう? 僕は行ったことがないですけど、いつも強風が吹いているって聞きます。そんなに風が強いんなら、種なんて簡単に土ごと飛んでいっちゃうじゃないですか」
「えっ!」
「えっ?」
 気づいていなかったのかと驚いてヤンが顔をあげれば、エドワルドは目から鱗と言わんばかりに衝撃を受けている。
「え、でも、植物って、種から育てるものでしょう?」
「そうですけど……例えば、苗まで育てて植え替えるとか、種じゃなくて球根のものを植えるとか。そっちの方がまだマシだったんじゃないですか。あぁ、芋系とかも重みがあるから、風で飛びにくいかなぁ?」
「え? どういうこと? 芋って食べるものでしょう? だいたい、球根って何?」
「え? そんなことも知らないんですか」
 ヤンが聞けば、「残念ながら、そんなことは初耳だよ」とエドワルドは真面目な顔で応じた。
「ああ、ええっと、まぁ、球根は、ここにありますけど」
 これです、とヤンは持ってきていた袋からこれから植える予定の球根を取り出してみせた。エドワルドは、ころりと球根を一つ掌に転がして、まじまじと眺める。
「タマネギみたいだね」
「そうですね」
「これが、種みたいに土に植えたら、育つの? 種とは全然違うのに?」
「そうですよ」
「へぇ! 生命の神秘だね!」
「そうですね!」
 次第に面倒になってきてヤンは、感動しているエドワルドをよそに、さっさと石拾いを進めることにした。
「ヤン! これ、くれない?」
「いいですけど。野菜でなくて、育つのは花ですよ」
「うん、花農園もいいかもしれないし」
「まぁ、いいんですけど、恐らくそれもエドワルド様の畑じゃ育ちませんよ」
 え、とエドワルドは声をあげる。雑草と石を拾い終えたヤンは、強ばった背をほぐすため伸びをした。持ってきた肥料をシャベルですくって、耕した花壇に梳き入れる。
「無理ですよ。だって、その花、この庭でだって育てるのに苦労しますもん。荒野みたいな厳しい環境で育てられる花じゃありません」
「じゃあ、何だったら育てられる?」
「残念ですけど、僕にはわかりません。きっとグロアさんも知りませんよ。僕らは庭師で、荒野に畑を作るのは僕たちの仕事とはかけ離れていますから」
「そういうもの? 同じ植物なのに?」
「勝手がまったく違います!」
 断言すれば、エドワルドは見るからにしょんぼりとした顔つきになる。やたらと長い上下の睫毛がしょぼしょぼと瞬いているのを見て、ヤンはなんだか悪いことをした気持ちになった。
「……エドワルド様の大学にお詳しい先生はいないのですか?」
 植物学とか農学とか、そういう類の研究をする人たちがいるとヤンは庭師長のグロアから教えてもらったことがある。エドワルドが通う大学というところは恐ろしく頭のよい学生たちが国中から集まっていて、その学生を教える教師もすばらしく頭がよいのだとも聞いた。ならば、中には、荒野での植物の育て方を知っている人だっているかもしれない。
 なるほどその手があったか、とエドワルドは手を叩いた。無邪気に喜んでいるエドワルドを見ていると、大学にいるのはすごい人説に疑いをもちたくなるが、少なくとも自分よりも植物に詳しい人がいるはずだ。たぶん。
「ありがとう、助かったよ、ヤン」
 エドワルドはにっこりと笑う。使用人に対しても変わらず、裏表なく接するところが、この人の憎めないところだよなぁ、とヤンはぼんやり思いながら「いえ」と笑い返した。
 不要となった球根も返してもらい、ヤンはこれで解放される、とひそかにほっと息をつく。相手をしていた分、遅れがちになっていた作業を取り戻すため、早く肥料を梳きこむ作業を終わらせないといけない。
「ところで、ヤン」
 エドワルドに呼ばれ、ヤンはまだ何かあったかと、シャベルを動かす手を止めた。
「花を植えるって聞いてたけど、さっきから一体何をしているの? 石を拾ったかと思えば、また土を混ぜ返してさ。球根植えるんじゃなかったの?」
「え」
 ヤンは驚いて、まじまじとエドワルドを見つめ返した。きょとん、とした表情で突っ立っているエドワルドからは、本当に純粋な疑問しかうかがえない。
 これはだめだ、とヤンはがっくりと肩を落とした。

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「教授! マイルズ教授! お伺いしたいことがあるのですが」
 講義が終わると同時に教壇へやってきた学生にマイルズは眼鏡の奥で思慮深い黄緑の眼《まなこ》をくるりとひらめかせた。
「珍しいな。ラグナド君が授業が終わるや一目散にかの魔女の元でなく、私の元へやってくるとは」
「ソラリアは魔女でなく、魔女の弟子ですよ、教授」
「要点はそこではないよ、ラグナド君」
 まぁよい、とマイルズは手早く教壇の上の教材を片付けると、教室に併設している自身の研究室へエドワルドを招き入れた。応接用の席へエドワルドを座らせ、自身も対面に腰をおろしたマイルズは、それで、とエドワルドに話を促す。
「はい、教授。実は、王都の外の荒野で野菜を育てる方法をお伺いしたいのですが」
「脈絡がないのはさておき……君の専門は何で、君が私から何を学んでいるのか忘れたのかね」
「法学です!」
「わかっているのに、その質問をしてくる意図が私には理解できないのだが」
「家庭菜園がご趣味だとお伺いしておりましたので、何か妙案がいただけないかと。うちの庭師見習いが大学の教授ならご存知だというものでして」
「……趣味の件はその通りで、最近の君の言動からして魔女殿関係だということは理解できるんだけどね。それから君と魔女殿のことはおもしろいから応援しているけどね、あいにくそのあたりは専門外だ」
「再度、申し訳ないのですが教授。僕が恋しているのは、魔女殿でなく、その弟子のソラリアです」
「要点はそこじゃない」
 はぁ、と重く息を吐いて、マイルズは寄せた皺ごと額を掌で抑えて、天井を仰いだ。
「……ジェラールに紹介状を書くから向かいの棟の彼の部屋を訪ねなさい。三階の突き当りの部屋だ。家庭菜園では私も彼に世話になっている。彼は農学専門だし、公道の並木をあの地に根付かせたのも彼だ。きっと興味を持ってくれるだろう。君は今、有名人だしね。いいかい、順を追って詳しく説明をするんだよ。おそらく楽しいことになっているんだろうし、私もジェラールから後で事の詳細を聞くからね。最初から最後まで、きっちりしっかり説明しておいてくれね」
 念を押して、マイルズは用意した紙にジェラール宛の紹介をさっそく書きつける。
「しかし、本当に君は、頭がいいのか、悪いのかわからないねぇ」
 一応次席のはずだったろう、とマイルズは首をひねる。
 若干の呆れと共に手渡された紹介状を、王都で噂の青年はほくほくとした顔で受け取った。

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 大学の渡り廊下から中庭を見下ろして、「ね」とルアンナは、前を行くレイルの袖を引っ張った。
「あれ、エドよね。見間違いじゃ、……ないわよね?」
「ほんとだ、何してるんだ、あれ」
 レイルが見下ろせば、中庭ではつば付きの大きな帽子をかぶった学友が、泥だらけの前掛けと長靴を身に着け、背丈の半分もあるシャベルを抱えて、よろよろと走っている。その行く先では、同じ格好をした老教授が中庭の端に作られているガラスの温室を指さし、愉快そうに笑っていた。
 二人が何を話しているかはわからない。頼りない足取りでようやく老教授に追いついたエドワルドは、教授にばしばしと背を叩かれた後、そのまま引きずられるようにして温室へ入っていった。
「今度は、いったい何をしているのかしら。本当にあれが元婚約者だなんて泣けてくるわ。おかげで私には同情票が集まっていて、思ったより笑われなかったから正直助かってはいるけど」
「あれ、ジェラード教授だよな、農学の。この間、図書室で、やたら野菜関係の本を抱え込んでいるなと思ったら、そういうことか」
「どういうこと?」
「いや、なぜかまではわからない。あの時、エドはあまりに真剣に読んでいて話しかけることができなかったからね。けど、なぜあんな本を読んでいたのか、繋がった気がする」
「私はますます訳がわからないわ! 話をしようにも最近あからさまに避けられているし、訪ねて行っても家にもいないし。エドのおじさまとおばさまには謝られるばかりだし。エドは私の友人までやめるつもりなの!?」
 なじるようなルアンナの言い方に、レイルは「まさか」と一笑した。
「だって、エドは昔からルアンナのこと大切に想っているよ」
 ルアンナは、レイルを見あげる。そうして彼女は「そう思っていたし、私だって大事な友人だってこと今も疑ってはないけど」と肩をすくめた。
「正直、公衆の面前であんなこっぴどい振られ方をされたら疑いたくもなるのよね。だって、国中の貴族が集まっていたのよ」
 それをあいつ、とルアンナは、キッと、温室を睨んだ。
「それ言われると、エドを弁護できない」
 困った表情になったレイルを、ルアンナは横目で見あげる。しばらく怒った表情を繕っていたルアンナは結局、「ごめんなさい、嘘よ。怒っていない」と静かに首を振った。
「だってね、レイル。エドのことは本当に憎たらしいけど、本当のところでは怒りきれないんだもの。エドと私はね、それこそ物心がつく前から婚約をしていたの。それで、これはどうしたって友情の延長の愛情にしかならないわね、ってもうずっと早くに気づいて、二人で話していて。でも、家の問題だから私たちにはどうにもできないし。お互い尊敬できる相手だったことは幸運なんだから、このまま仲よく末永くやっていきましょうって約束していたのよ」
 うん、とレイルは頷いて、ルアンナの言葉に耳を傾ける。「だから、寂しいのね」とルアンナは、はにかむ。
「私との約束なんて飛んで行ってしまうくらい、周りの目なんて気にならないくらい、一瞬で恋に落ちて、迷うより先に彼女の手を取ってしまったのよ。せっかく本気で恋に落ちたようだから、応援してあげたいのに、私たちにはちっとも頼ってくれないもの」
 だから寂しくて、つい怒ったふりをしたくなるの、とルアンナは苦笑した。