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● ラプンツェルの鏡  --- 01 ●

 
 高い、たかーい塔の上。
 下に広がるふさふさとした青く生い茂る葉の畑も、飴色に輝く屋根を揃え持つ街並みも越えて、遠い山野まで見渡せる塔の上。どんなに遠くまで見渡せようとも、都合よくそびえ立っているお城などありません。どこまでも広がるのどかで、のどかで、のどかすぎる田園風景。それでも、朝靄に包まれた時の眼下の景色は美しい。時折空いっぱいに架かる七色の虹はここからなら完全な弧を描く橋に見えます。けれども、どんなに美しい風景がここから見えようとも、見るのは彼女ただ一人。そう、たった一人だけ。
 塔にあるただ一つの窓からは、今日も娘の淡い溜息が一つ落ちました。ついでに、今日は鏡も一つ落とされました。
「つまらなぁーい」
 腰まで伸びる栗色の髪、深く色づいた緑の瞳を持つ娘――ランチェルは頬杖をついて、もう一つ溜息を落とします。ついでに、今度は近くにあったブラシを手に取ると、そのまま窓からひょいと投げ落としました。
 ひゅるるるると落ちて行った鏡に、ブラシ。高い、高い塔から落とされたものですから、もちろん威力はすごく強い! ものすごーく強い! 殺傷能力が出てくるほどの威力があります。ですから、塔の真下にいた者はたまったものではありません。今日も今日とて、何とか昇天の危機を乗り越えたゴーテル婆さんは地面にめり込んだ鏡を皺くちゃな手で勢いよく引っ掴むと、空近くにある塔唯一の窓に向かってぶんぶんと鏡を振りまわしながら悪態をつきました。
「ランチェル! お前はまた……! いいかげんにしなっ! 物は落とすなといつも言っているだろう。お前は、私を殺す気かい!?」
 ゴーテル婆さんが怒るのも無理はありません。ランチェルは、ゴーテル婆さんがやって来たのを見計らって窓から物を投げ落すのです。それも、ゴーテル婆さんが立っている場所――と言うより、ゴーテル婆さんの頭に狙いを定めて物は正確に投げられます。ゴーテル婆さん、お蔭で日課の畑仕事ですら命がけです。
「だぁって暇なんだもーん」
 下から聞こえてくる叫び声はゴーテル婆さんのお決まりのお小言。ランチェルものんびりと毎日お決まりの文句を繰り返しました。
 はふう、と溜息をまた一つ落とします。
 するとランチェルのいる窓の傍へちよちよと桃色の小鳥が機嫌よさそうに飛んできました。ランチェルは小鳥に指を指し伸ばします。黒い目をくりくりとさせた可愛らしい小鳥。塔の上の生活に退屈しているランチェルの為に、小鳥はさえずり歌いました。ランチェルは澄み渡った歌声に、うっとりと目を和ませます。そして、きゅっと小鳥の首を絞めると、そのまま、いまだ塔の窓を見上げてがなっているらしきゴーテル婆さんに向かってぽとりと落としました。
 またもや、ひゅるるるると落ちてきたものを目で捉えて、ゴーテル婆さんは年寄りとは思えぬ軽い身のこなしでさっと落ちてくる物体を避けました。憐れ、小鳥。可哀相な塔に住む娘を慰めようと思ったばっかりに鏡、ブラシに並んで、地にのめり込むこととなりました。美しい桃色の羽も台無しです。
「ランチェル!」
「だってぇ、ゴーテル婆さん狙いやすいんだもの。塔に住んでる者からしてみれば、そんな色のスカーフを頭に纏ってたら狙って下さいって言ってるようなものよ?」
「…………」
 ゴーテル婆さんのスカーフ――真っ赤。まごうことなき赤。ちっとも薄れていない鮮やかな赤です。赤でない日は、黄色。遠くからもちかちかと光って見えるほど綺麗なまっ黄色です。当然、ゴーテル婆さんは言いかえす言葉を持っていませんでした。ゴーテル婆さんは、「はあああああー」と長く長い息を吐きだしました。疲れがどこまでも滲んでいる溜息です。分かっています。ゴーテル婆さんにだって分かっているのです。塔の上に一人でいるランチェルがどんなに寂しいのか。ランチェルが物を投げ落すのは、決まってゴーテル婆さんがやって来た時。なぜなら、誰もいない時に投げ落したって、誰も気付いてくれませんからね。ただ、物がゴスッという音を立てて、地面にのめり込むだけです。だから、ランチェルは人がやって来た時に構って欲しくて物を落とすのでしょう。そう。塔に一人でいなくてはいけないのは、退屈すぎるだけでなく、とても寂しいことなのです。ゴーテル婆さんにも経験があります。
 ひゅるるるるる、ひょいっ、ゴスッと今度は絵本が地面にのめり込みました。絵本か。薄いから問題ない、なんて侮ることなかれ。絵本です。絵本ですよ。当然、絵本の角が当たったら大惨事間違いありません。
 分かっています。ゴーテル婆さんもよーーーーく分かっているのです。塔の上にいるランチェルがとても寂しいのだと言うことは。分かっているのですよ!

「――ランチェル!!!!!」

 ゴーテル婆さんの金切り声は、今日も今日とてのどかな田園風景の片隅に立つ塔の真下から響き渡りました。



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