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● ラプンツェルの鏡 --- 02 ●


「ラプンツェルや、ラプンツェル。
 お前の髪を垂らしておくれ」

 待ち人は塔の空近くを見上げます。しばらく待っていると、するすると黄金の髪の梯子が塔の上から地へと降りてきました。しっかりと編まれたその髪は、秋にたわわに実る麦穂のように光り輝いています。
 するすると髪の梯子を登り行けば、塔の上に在るのは指折りの器量の良い娘。綺麗な歌を奏でることのできる一人の美しい娘でした。

*****

 村のはずれからでも見える、空まで伸びる高い塔。その塔、唯一の窓からキラリと光る何かが落ちて行くのを見て、ハイデルはひくり、と口元を引きつらせました。
 思い出していたのは遠いどこかの世界の御伽話。彼の友人と同じように塔の上に住んでいたという美しい娘の物語。
「同じ塔の上なのに、えらい違いだなぁ」とハイデルはぽつりと呟きました。どうやら、今日も余計な仕事が増えてしまったようです。
「仕方がない」
 ハイデルは、ポリポリとこめかみを掻くと、今日ものんびりと彼の仕事場――ゴーテル婆さんの家へと向かいました。



「こんにちは〜!」
 気持ちのよい挨拶が辺りに響き渡ります。と、同時にふわふわとした薄茶色の癖っ毛、鼻と頬にそばかすを散らした青年――ハイデルがゴーテル婆さんのいる畑に顔を出しました。彼は歳をとって昔に比べると体の融通が利かなくなったというゴーテル婆さんの畑仕事の手伝いをもう何年も前からしているのです。この仕事とは、それこそハイデルが少年だった頃からの付き合いです。彼にしてみれば、ゴーテル婆さんの見かけは今も昔もちっとも変ってはいないのですが、それはゴーテル婆さんが今と変わらず昔も相当な歳をとっていたお婆さんだったからでしょう。
 ハイデルは井戸から汲んで来た水と柄杓の入った桶をゴーテル婆さんの横に置きました。ゴーテル婆さんが摘んだのでしょう。底の浅いザルには、青々とした大勢の葉がさやさやと風に身を揺らしていました。
 それから、ゴーテル婆さんのすぐ近くには、鏡にブラシ、絵本、ついでに小鳥までもが地面にのめり込んでいました。『何故だろう』と、そんな愚かなこと、ハイデルは思いません。もう、こんなことは慣れっこです。代わりに、彼が思ったことは納得に近いものでした。『ああ、あのキラリと光ったものは鏡だったのか』と。そう思い当ったところで、ハイデルは深々と頷いたほどです。
「あぁ、ハイデル。いいところに来たよ。そこに落ちている小鳥を拾っておいておくれ」
 ゴーテル婆さんは、のめり込んだままの桃の小鳥を目で示してみせて言いました。
「はいはい」
 こちらも慣れたものです。ハイデルは言われた通り、目を閉じたままの小鳥を優しくその掌に拾いあげました。そのまま、ザルの中――ふさふさとした青菜のベッドへ小鳥を寝かせてやりました。
 柔らかなベッドに寝かされ、小鳥の表情が和んで見えたのはきっと気のせいではなかったでしょう。
 ハイデルは、ザルの中に桃色の小鳥がきちんとおさまったのを見て、にっこりと笑いました。
「と言うことは、今晩は極上のスープですかね?」
「ああ、そういうことになるね」
 ゴーテル婆さんも、にんまりと笑みを浮かべました。鳥のスープなど久しぶりのごちそうです。小鳥は骨が多すぎて、少なすぎる身は食べられたものじゃありません。けれども、この桃色の小鳥、出汁に関しては極上のものを取ることができるのです。豆なんか入っていなくても、スープそのものが幸せを運んで来てくれます。
 ランチェルは飛んで来た小鳥を選別しては夕食の材料を仕留めてくれるのです。その点では、ゴーテル婆さん並びにハイデルは、彼女に深く深く感謝していました。おかげで、美味しい食事にありつけます。ただ、塔の上からゴーテル婆さんを狙っては、落としてくることだけがいただけません。
「あー……それと、ハイデル。悪いんだけど、またランチェルに届けておくれでないかい?」
「えぇー、またですかぁ?」
 ここに来る前から、予想なんてとっくについてはいましたが、ハイデルは一応不平を示してみることにしました。
「これも仕事の内。給料の内だよ。文句は聞けないね。それに、お前の言う通り毎度のことだろう」
 毎度のことだから嫌なんです、と言うハイデルの意見は今日も通りませんでした。今日もきちんと用意をしていたのでしょうね。「ほれ」とゴーテル婆さんは先に鉄鉤のついた長いロープをハイデルに投げ渡しました。
 そのロープを受け取りつつ、ハイデルは鉤付きロープと、ゴーテル婆さんのローブのポケットを見比べました。この長さ、そしてこの鉤の大きさ。今にも破けそうなローブのポッケに入っているとはどうも思えません。ですが、ゴーテル婆さんは魔女ですから、何かとんでもない仕掛けがあるのでしょう。
 ハイデルは未だ地面にのめり込んだままだった鏡、ブラシ、絵本を全て拾いあげると、ゴーテル婆さんが新たに差し出してくれた籐の籠に詰め入れました。それから、高い位置にある窓を見定めると、手にしていたロープの鉄鉤が付いた側を頭上でぶんぶんと振りまわして勢いをつけ始めました。塔には一つの階段もなければ、窓にかかるくらい長い梯子もありません。つまりは、ロープを伝ってよじ登るしかないのです。
 お陰さまで、少年の頃より塔に登る役を言いつかっていたハイデルの腕には、無駄に筋肉がついてしまいました。何か重いものを持ち上げる時には、楽をすることができるようになったので助かってはいます。そこに辿り着くまでは至極大変だったのですが、なよなよっとしたこの青年――今では、腕の太さだけは偉丈夫のそれに近いものがあります。
 ゴーテル婆さんは万が一にも鉤が自分の頭に当たらないようにと首を竦めました。彼女の頭上ではぶんぶんと風切り音が小気味よく鳴っています。
 ぶんっと最後に、より勢いを込められた鉤は目標物へと向かって綺麗に飛んで行きました。
 カンッという高い音が打ち鳴らされて、鉤はひゅるるるると落ちて来ました。どんなに勢いよく投げられた鉤だって、引っかかるべき窓を失えば重力には逆らえません。
 鉤です。鉄鉤です。ブラシや絵本など比べ物になりません。何ったって鉄鉤は、とんがった鉄の塊なのですから。間近で見たって凶器の塊でしかありません。それが、真上から降って来るのです。当たってしまえば、ひとたまりもありません。
 急降下してくる鉤付きロープをハイデルとゴーテル婆さんは信じられない面持ちで眺める暇もなく、逃げました。ゴスッという、重く鈍い音がこだまして、ハイデルがさっきまで立っていた場所に深々と突き刺さっています。のめり込むどころではありません。鋤で彫りやったよりもなお深ーく、深ーく、土が抉れているではありませんか! ぎりぎりセーフ。すんでの所で二人は命を取り留めたようです。

「ハイデル、敗れたりぃ!」

 高く離れた塔の上からは、キッシッシッというなんとも可愛らしくない声が降ってきました。
 唖然として、天頂を見上げてみれば、表情はわからないながらも、ランチェルが真っ黒なフライパンを手にしていることに気付きました。どうやら彼女は、飛んで来た鉄鉤をフライパンで見事打ち返したらしいのです。

「「――ランチェル!!!!!!」」

 早くも今日何度目か分からなくなってきたゴーテル婆さんの怒声に、ハイデルのものが加わったことは言うまでもありませんね。


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