ラピスラズリのかけら 2:宵の歌姫 5 夜伽話【1】

 

 昔々、って言っても本当はこの頃の話なんだけどね、今日するのは東の国の魔女のお話。
 
 この世界には、東、西、南、北それぞれの国に四人の魔女、そして北東、北西、南東、南西それぞれの国には四人の賢者がいるっていうのは知ってる?
 ちなみに、この国、ダランズール帝国には北西の賢者が住んでるんだけどね。
 
 会ってみたい? そうねぇ、テトが王都まで来たら会えるかもしれないわよ?
 
 北西の賢者もすごく長生きかって? 違う、違う。確かにテトみたいに彼らがジン(魔人)やジーニー(魔神)みたいに何百年も生きているって勘違いしてる人も多いわ。
 けどね、彼らはジン(魔人)たちの様にすごい力を使うことはできるけど、私達と同じ人間なの。だから普通の人みたいに生活しているし、寿命だって普通の人と同じよ?
 ただ、生まれた時からすごい力を持ってる人たちのことをそう呼ぶの。
 だから本当は絶対八人とは限らないし、時代によってはそれよりも少し増えたり、減ったりするわ。
 でも、なぜか、たくさんの魔女や賢者が生まれることはないし、その逆もまたしかりなの。
 それに不思議なんだけど、生まれる地域もなぜか結構きれいに別れるみたいなのよね。
 そんな風に力を持って生まれた子供達はね、親の元で普通の子と同じように育った後、皆が学校へ行く代りに、近くの魔女や賢者の元で修行するそうよ。その力が暴走したり、悪いことに使われるのを防ぐ為にね。
 そして、充分に一人前と認められた時、自分の師匠である魔女や賢者からその名を受け継ぐのよ。
 だから私の“宵の歌姫”と同じ称号のようなものかしら?
 
 なんだか話がずれちゃったわね。
 
 まぁ、とにかく、今からするのは東の国の魔女っていわれているのに、この国に住んでいる魔女の御伽話。
 
 
 ―――彼女の名はサーシャといった。
 東の国の言葉で“たなびく者”というその名の通り、波打つ豊かな黒髪をいつも風にたなびかせていた。
 東の国の者が特徴とする黒の髪と緑の瞳を彼女もまた持ち合わせ、しかし、その髪と瞳の色は常人のものとは明らかに逸したものだった。
 その黒はどこまでも濃く深く、まさに黒の中の黒だった。かと思えば、その黒い髪が月の光を受けた時、滑らかなるその髪は月の光に染まるのである。
 緑の瞳もまた然り。その瞳は例えるならばエメラルドの輝きであった。
 
 この二つの特徴をより映えさせるかの様に透き通る白い肌、朱い紅(べに)を持ち合わせていた彼女は魔女として恐れられるというよりもむしろ、絶世の美女として数多くの吟遊詩人たちによって歌い称えられるほどであった。
 美貌だけではなく果てしない力を持ち合わせていた彼女は先代の東の国の魔女に師事してたった三年、13歳という異例の若さで“東の魔女”の座を譲り受けたのである。
 
 そんな彼女が公の場に姿を現したのは魔女披露目の儀から三年、サーシャが16歳の時であった。
 東の国、カーマイル王国に海賊退治を頼まれたのである。
 
 魔女は普通、相談を受けること、簡単な占いを施すことはあるが、その偉大すぎる力の為、よほどの理由がない限り政治や争いの表舞台に立つことはない。
 サーシャも、初めは慣例に従い王の申し出を断った。
 けれども、王は一向に食い下がる気配を見せず、サーシャの元へと家来を送りつけ、それでも承知しないと解ると御自ら押しかけ、遂には泣きついてきたのである。
 さすがにそれに辟易していたサーシャはとりあえず被害状況を見ることにした。
 それを見て驚く。なんと、カーマイル王国の港に来航する船の貨物の半分以上が被害を受けており、被害が始まってまだ半年にも満たないというのにその総額は国費5年分にも及んだ。
 なぜここまで放っておいたのだと、怒鳴り付けると、兵を出したのだが全く手が立たなかったと言う。
 唯一救いなのが、金品さえ奪えれば人には手を出さない、もし、やむなく傷つけることになったとしても命までは取らないということだった。
 
 とにかく、そのあまりにもひどい被害状況に目をつむるわけにはいかず、サーシャはこの申し入れを受けることにした。
 ただし、魔女としての矜持を守る為、自分が捕らえた海賊たちの命は取らないことを王に約束させて―――
 
 
「お前達が噂の海賊どもか」
 海に浮かぶのは東の国の魔女。
 その黒い髪が風にあおられ波のようにたゆたう。
 エメラルドの双眸に映されたのは、一艘の船。
 
 そう、決して大きいとはいえないこのたった一艘の船によって莫大な損害がもたらされたのだ。
 
 甲板にいた海賊たちは突如現れた美貌の持ち主にただ惚けるだけであった。
 
 魔女は彼らを一瞥すると、凛と響く声で以って海賊たちに警告する。
「ただちに、ここを立ち去れ。そうすれば命は保証しよう」
 しかし彼らは魔女に見惚れたまま、僅かも動かない。
 そんな彼らに嘆息すると、彼女はめんどうくさそうに一度片手を振った。
 それと同時に突風が巻き起こり、収まった後にはただ凪いだ海のみが残った。
 
 これで一安心だ、とハーブティーを一杯飲んだ後、眠りについたサーシャはしかし、翌日ドアを叩くけたたましい音で目を覚ますことになる。
 
 眠り眼のまま、それでも袖口がゆったりと広がっている紺のドレスに身を包むとドアを開けた。
「いったい何の御用ですか?」
 機嫌が悪そうな魔女に怯えながらも、王宮からの使いは言いにくそうに用件を述べた。
「実は、昨日と同じ場所にまた海賊どもが現れまして……」
「はぁ!?」
 そう叫ぶと同時に、サーシャは怒りにまかせて海の上へと転移する。
 すると確かにそこには昨日と同じ海賊たちがいた。
 
 海賊たちも魔女を認めると、上空を見上げ、「魔女が来たぞー!!」 と叫びだした。
 しかし、何故かそこには歓喜が混じっていた。サーシャが疑問に思い首を傾げると、その体に何かが絡み付き、甲板へと落とされる。
 とっさのことに何もできず、甲板に打ちつけられるのを覚悟した時、その体は一人の男の腕によって受け止められた。
 茶の髪に青い目、日に焼けて浅黒い顔をしたその男はサーシャに向かって、にかっと笑う。
「やあ、魔女さん。手荒な真似をして悪かったな。俺はこの船の頭、ガジェン。あんたの名は?」
 男の言葉を無視して、状況を確認し始めたサーシャは太いロープによって編まれた網で絡み捕られたらしいことに気付いた。同時にガジェンという男に抱えられていることを認識すると、頬を赤らめ、慌てて元居た場所へと転移する。
「昨日立ち去れと言ったはずだ。なぜまたここに居る?」
 誰もが怯える魔女の凄みにも全く動じる気配を見せず、「俺は名前を聞いたんだが」 と呟きながらガジェンはその問いに答えた。
 
「俺は美しいものが好きだ。生ける宝石、吟遊詩人がそう歌っているのを聞いた時は大げさだと思ってたけどな。どうやら本当らしい。だから是非とも東の魔女を貰い受けたい」
「―――っな!?」
 求婚とも馬鹿にしているともとれるガジェンの言葉に、魔女はその白い肌に再び朱を散らした。
 ガジェンは動揺する魔女を見て楽しそうな笑みを浮かべる。
「もう一度聞く。あんたの名は何だ?」
「お前に名乗る名などない!!」
 怒りを宿らせるエメラルドの瞳を面白そうにニヤニヤと見ながら、ガジェンはすかさず言った。
「そうか、じゃあ、勝手に呼ばせてもらうぞ。あんたはディアナ(我が愛しきもの)だ」
「―――サーシャだ!!」
 からかいともとれるその愛称に思わず名を名乗ってしまったサーシャはしまった、と後悔した。
 ガジェンがしてやったり、という風に笑ったのである。
 そうか、サーシャか、と何度も頷いて、その名を咀嚼している。
 
 サーシャはその男の様子を見て諦めると、さらに上昇し、男に魔女の笑みを向けた。
 そこには、先ほどの年相応の少女のような様子などかけらも見当たらない。
「我が名はサーシャ、たなびく者なり。けれど、お前にたなびくことなど万が一にもありえない」
 そんなサーシャにガジェンは挑戦的な笑みを投げた。
「やってみないとわからないだろう?」
「無駄だ。私はもうここには来ない」
 あっさりと切り捨てた、魔女の言葉にガジェンは「それはないだろう」 と呟く。
 だが、そのまま背を向けようとするサーシャに向かって慌てて声を掛けた。
「お前が来ないならまたここで船を襲うぞ?」
 その言葉にサーシャは固まる。そんなことになってしまえば、毎朝、王宮からの使いがたたき起しに来るのは目に見えている。今にも頭を抱えたくなる自分を叱咤しながら、サーシャは「勝手にしろ」 と叫ぶと転移した。
 
 予告通りというかなんというか、その翌日もガジェン達はやって来た。
 そして、またその翌日も翌々日も再びやってきた。
 しかも、来るたびに網を投げかけてきては、サーシャを捕らえようとするのである。
 最初のうちは幾度か捕まりもしたが、最近は難なくよけられるようになってきた。
 それでも毎回同じ方法で投げられる網を今日もよけつつ、サーシャはげんなりとした顔で言った。
「……そんなに毎度毎度同じ方法にひっかかると思うなよ?」
 そんなサーシャの言葉にガジェンはにやりと笑う。嫌な悪寒がサーシャの背を襲った時にはもう遅かった。
 新たな網が両方向から投げられ、サーシャは見事ガジェンの腕の中へと落ちたのである。
「この日のための布石に決まっているだろう?」
 今までにない慈しむような顔で微笑まれ、サーシャの顔は赤く染まった。
 サーシャは気付いていた。いつもガサツだが、サーシャを受け止めるこの逞しい腕がいつも優しいということも。時には恐れられるほどの力を持つ自分を壊れ物のように扱っていることも。
 だからこそ、サーシャは男から顔をそらす。自分の赤い顔をこれ以上見られないためにも。
 
「―――もう、凪の季節は終わるぞ」
「ああ」
 二人の間を強い風が通り抜ける。
 それは、冬の到来をつけるナディール(季節風)であった。
 この風が吹き始める頃カーマイル王国の海は荒れ始め、それが収まるのは春が終わる頃。
 ガジェン達が操るこの小さな船ではひとたまりもない。
 
 ガジェンは何を思ったのか、サーシャを抱えた格好のまま腰を下ろすと、おもむろにサーシャの左手の中指にはめられた赤い石の指輪を抜き取った。
 男の不可解な行動にサーシャは首を傾げる。
「……それは、魔法具だが、別に高価なものじゃないぞ? まして、ただの人であるお前には何の役にも立たん」
 その答えにガジェンは笑い出した。
「ほんと、何にも解ってないなぁ。これはそこらの宝石よりも価値があるんだぞ?」
「そうだったのか?」
 エメラルドの瞳を大きくさせて尋ねてくる魔女にガジェンはまたもや笑いだした。
 その周りでは彼の部下たちもニヤニヤとこちらを見つめて笑っている。
 意味は分からないが、さすがに居心地の悪くなったサーシャはガジェンの腕の中から転移すると、片手を突き出して男の前に立ちはだかった。
「とりあえず、その指輪を返せ」
「まぁ、まぁ、代わりにこれをやるからさ」
 急に伸ばしていた手を引っ張られ、サーシャはガジェンの胸の中へと再び舞い戻る。
 文句を言おうと口を開いたが、その口はぽかんと開けられたまま、結局文句は奥へと引っ込んでしまった。
 その原因、指にはめられた指輪にサーシャは目を瞠っていたのだ。
 細い銀の指輪には少し大きめの緑の石が一つ、周りには小さな宝石がそれを際立たせるようについていた。
 指輪を茫然と見つめるサーシャを見て、ガジェンは得意げに笑う。
「綺麗だろ?」
「……うん」
「まぁ、サーシャの瞳の色には敵わないけどな」
「……何が?」
 ガジェンはサーシャの問いに絶句する。
 指輪に見惚れてたんじゃないのかよ、と思わず拗ねたような顔になる。
 けれども、サーシャが見ていたのはガジェンの見ていたものとは違っていたのだ。
 彼女が見ていたのは……
「すごく綺麗。お前の瞳の色と同じだな」
 その言葉にガジェンは再び絶句した。
 柄にもなく、頬を赤らめるとそれをごまかすように波打つ黒髪をわしゃわしゃとなでる。
 サーシャが見ていたのは一番目立つ緑の宝石ではなかったのだ。サーシャが見とれていたのはその周りに配された石の一つ、ガジェンの瞳と同じ青の石だった。
「あんた、それわざとなのか?わざとやってるのか?」
 はぁ!? と不審そうな眼で見上げるエメラルドの瞳の持ち主をガジェンは思いっきり抱きしめた。
 ぎゃっと、悲鳴を上げるサーシャの耳元で笑いの混じった低い声が囁かれる。
「本当に、このまま連れて帰ろうか」
「―――御免こうむる!!」
 そのくすぐったさにサーシャは慌てて転移する。今度は男の手の届かぬ所に。
 火が出るほど顔が熱い。きっと耳まで朱に染まっているのだろう。
 眼下で笑っている男が本当に憎たらしかった。
 
 ガジェンは「残念」 と呟くと空中に浮かぶ魔女を見上げた。
「来年までここには来れないからな、これはあんたの代わりとして貰い受ける」
 サーシャの赤い石の指輪を掲げる男に彼女は嘆息する。
「お前、来年も来る気だったのか……?」
「当り前だろう。来年こそは生ける宝石を手に入れる」
「……まだ言うか」
「寂しいか?」
「―――誰が!!!」
「俺は寂しいぞ?」
「…………」
 これ以上続けても無駄だと判断したサーシャが自分の家へ転移しようとした刹那、ガジェンが魔女に声を掛けた。
 
「というか、あっさり受け取ったが、その指輪の意味分かってる、よな?」
 
「え?」
 
 咄嗟にガジェンの言葉の意味を理解したサーシャの顔が一瞬にして赤く染まり、消えた。
 
 今はない魔女の姿に、ガジェンは満足そうに笑う。
 
 
 
 
「……返し損ねた」
 
 あまりの恥ずかしさに思わず慌てて逃げ帰った自分に溜息を落とす。
 
 そんなサーシャの左の薬指にはエメラルドの石の周りで、小さな青い石が輝いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
(c)aruhi 2008