風に揺れる

 

 目の前を、ふらりふらふら、ふらっとふらりと歩かれれば、気になるのは仕方がないことだと思います。
 
「トゥーアナ様!」
 自身の部屋の中から、開かれた扉の方へと向かってくる人。この国の王を自ら出迎えようとしてくれているのは分かっているのだが、もう座っていて下さいと叫びたい。
 呼び止めた彼女は、ぴくりと驚いたように立ち止まって、だが、何故かすぐにふわりと笑みを広げた。
花のようだとはよく言ったものだと思う。彼女の微笑みはいつも風に揺れる小さな花を彷彿させる、とそう言われれば、まあ、反論する術もない。いつも風を受けたようにふらふらと揺れ続けているのだから。
「全く、貴女は……どうして御子を産んだ後だと言うのにふらふらしているのですか?」
 倒れないようにと手を差し伸べる。
 ぽっこりと膨らんでいた腹は今ではなくなっていて、代わりに一人の小さな子が隣室には寝かされていた。
重みは無くなったはずなのに。彼女の主軸を崩す要因は一体何なのだ。
「もう動かないでくださいよ! 危なっかしくて仕方がない」
 支えていないと、いつかこけて、崩れて、大変なことになりそうだ。
「大丈夫ですよ、バロフ。ただ少しラルーが居なくなった分、不思議な感じですね。ラルーが大きくなるにつれていって増した重みよりも、急に消えた重みに違和感を覚えてしまいます」
 けれど、とても幸福な違和感です、とトゥーアナ様はほんのりと微笑を浮かべる。
そうですね、と同意しかけて、いやいや、と寸での所で首を振った。
ラルシュベルグ様の生誕は祝福すべきこと。それは変わらないのだが、この均衡の危うさは困りものだ。つまりは、ラルシュベルグ様の重みが消えた分、彼女の中で均衡が崩れたらしい。
彼女の言い分に素直に同意できないのは、彼女がラルシュベルグ様を御身に宿していた時もふらふらと歩いていたからだろう。
 もういいですよ、と諦めるしかないのは、今回に限ったことではない。特に突然現れたこの王女に関しては。
 
「ガーレリデス様!」
 共に入室したと言うのに、まだ扉の近くで事の成り行きを見ては楽しんでいたらしい陛下を睨む。
「もういいですから、貴方がトゥーアナ様を抱えて移動してください!」
「お前、仮にも一国の王に向かって命令するなよ」
 苦笑は聞こえなかったことにする。
 だけど、僅かに困惑を含んだ彼の妃の言葉は無視できるものではなかった。
 トゥーアナ様はゆったりと述べる。
「大丈夫ですよ、バロフ。そうですね、それならばラルーを抱いていましょうか。そうすれば元のように均衡もとれるはずですし」
「余計危険です! ラルシュベルグ様まで巻き込まないでくださいよ!」
 まくしたててしまえば、きょとんとされる。
「ガーレリデス様が運ばないなら、私がお運びしますよ!? 外聞など知ったものですか! こっちが気を取られて仕方がありません。大体、貴方はただ抱き締めているだけよりも、抱き上げておく方がお好きなのでしょう? ちょうどよいではありませんか」
 ガーレリデス様は、一瞬虚をつかれたような顔をする。トゥーアナ様をちらと見やった後、こちらに向き直ってから口を開いた。
「……何故知ってる」
「……知らないとお思いですか」
 良くも悪くも私はずっとあなた方の傍にいたのです。知りたくなくても、気付いてしまったあの瞬間の呆れ具合と言ったら――――とても言い表せませんので、どうか察してください。
 念が通じたのだろう。ガーレリデス様は溜息をついた。
 それでも、こちらに歩み寄って来て、視線は必ず逸らされないこともまた分かっている。
 貴方の目が一番和らいでいく瞬間を私は知っているのです。
 ふわりと広がっては揺れる淡い金の髪の様子を、ふわりと小さな微笑が零れゆく様子を、貴方が見逃した瞬間など私は存じ上げませんから。
 
「あの、歩けますよ、きちんと」
「ああ、そうだな。分かったから落ちるなよ、トゥーアナ」
 
 そっと背に添えられた手は、恐らく離されることはない。
離す必要もないのだけれど。というより、離されると、今のトゥーアナ様なら落ちかねないので、私の心の安寧の為にもガーレリデス様にはトゥーアナ様をしっかり支えていて欲しいと思う。
「……全く、ただ庭園に降りるだけなのに、どうしてこう心労が絶えないのですかね……」
 嘆息と苦笑は増える。
 ここにメレディ殿が居なくて良かった。ラルシュベルグ様のご様子を見ているのだろう彼女がここにいたら、何を言われるか知れたものじゃない。
「ああ、でも、普段からもう少し庭園に降りるようにしてくださいね、トゥーアナ様。歩く練習をした方がよろしいかと」
 貴女自身の為ではなく、周りの平穏の為に。
 せめて、しっかりと地に足を付けて歩んでくださいよ。
「それでは、私は退出させて頂きますね」
 疲れましたから、いろいろと。
ついて来てしまった自分が悪いのですが、部屋にいて仕事をしていた方が幾分か楽でした。
 けれども、退こうとしたところで、「バロフ」と声がかかった。
 
「バロフも一緒に庭園へ行きませんか?」
 
 風が吹いたと思った。
トゥーアナ様の笑みはいつも唐突に広がって、そして、私の方へも向けられるから。
 
「いや、いい、いい。バロフは来なくていい」
「はい、私の方も全力でご遠慮申し上げます」
 
 しっしっとまるで犬のように追い払われなくても、私だってこれ以上の負荷を自身に与えるつもりは毛頭ありません。
 ただ一言最後に申しあげておきましょう。
「楽しんできてくださいね」と。
 はい、と耳に届いた軽やかな声は、耳にとても心地良く響いた。
 
 
*****
 
 
トゥーアナ様。
 
私は貴女が、飛ばされていく花びらのごとく、あっという間に風に巻き込まれていってしまうとは思っていませんでしたよ。
突然現れたかと思えば、突然消えて。
消えて欲しいと思った時には消えずに、消えてしまった人。
 
ですが、貴女はやはり風に揺れる小さな花だったのでしょう。
まるで前からここにいたかのように、この場所に居ることが自然でした。
野には、花が咲いているように。
風に吹かれては、ゆったりと静かに揺れるように。
 
 
 
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(c)aruhi 2009