星を数える 2

 

 眠れないの? とテトはフィシュアに尋ねた。
 同じ寝台の中で横になっていた彼は、フィシュアがそろりと起き上がったことに気が付いて目を覚ましたのだ。
「大丈夫? きつい? シェラート呼ぶ?」
 テトは慌てて跳ね起きた。フィシュアの額に手をあてがい、熱がないかを確かめ始める。
 エルーカ村を襲った『病』という名の災厄。呼吸も困難な程の咳と高熱をもたらす、ついこの間まで未知であった病は、村人たちの為に奔走した彼女の体も容赦なく蝕んだ。
 処方薬を投与され、フィシュアの病状はすぐに快方へと向かったものの、テトにとっては母の命を奪った恐ろしい病であることには変わりはない。小さな変化だって見逃すことはできなかった。
 不安そうに、ひたひたと手を額に当てては異常がないかを確かめ続けるテトを見て、フィシュアは微笑した。少年の背に手を廻し、安心させるよう優しく引き寄せる。頬に当たる細く柔らかな髪の感触を感じながら、フィシュアは目を閉じて言った。
「大丈夫。もう大丈夫よ。テトのおかげで、元気になったもの」
「本当に?」
「ええ、もちろん」
 体を引きはがし、真偽の程を見極めようとする黒い瞳に向かって、フィシュアは力強く頷いて見せた。
「ただね、ここずーっと、夜だけじゃなくて、朝も昼も寝てたせいか、今は全く眠くないのよ。これ以上は眠れそうにないの。だから、ちょっと外にでも、って思ったんだけど……テトまで起こしちゃったか」
 ごめんね、と謝って、フィシュアは少年の頭の頂を撫でる。
 テトは、彼女の手が行き過ぎるまでの間、フィシュアの顔をじーっと見つめていた。
「――フィシュア」
「何?」
「ホントのホントに大丈夫?」
「ええ」
 フィシュアは、にっこりと笑みをつくる。
 テトはフィシュアを見上げたまま、うーん、と唸り、考え込んだ。それから、フィシュアの腕をとって、くいくいと引っ張る。
「あのね、それならね。ちょっとだけ……ちょっとだけ外に行ってみよう? 僕もついていくから」
「いいの?」
 フィシュアは驚いて問い返す。
テトはこれまで、隙をついては度々寝台を抜け出そうとするフィシュアを咎めてきたのだ。当然今回も、見つかったからには反対されるだろうと思い、外に出ることは半ば諦めていた。
けれども、テトはすぐに「うん」と頷いた。
「だって、眠れないんでしょう? そんな時はね、星を数えに行くんだよ」
「星を?」
「そう。前にお母さんが教えてくれたの」
「――そう」
 どう? と尋ねてくるテトに、フィシュアは首肯を返す。
「ええ、行きましょう。星を数えに」
 フィシュアはテトの手を取って、寝台から降りた。テトも、もう片方の手で掛布を引っ掴んで、嬉しそうにぴょんと飛び下りる。
 しかし、テトの体に対して、彼が持つ掛布は長すぎた。抱えても、端が落ちてしまっている。布はずりずりと少年の後を追いかけてきた。
 その様子を目にしたフィシュアは、クスクスと笑いながらしゃがみ込み、床を這いゆく布の端を手に持ったのだ。
 同じ一枚の掛布を、テトとフィシュアは手にして、寝室の出口に立つ。二人は息をつめて、扉を開けた。そろそろと慎重に行ったつもりではあるが、それでも、年季の入った木製の扉は、きぃっと微かな音を立てる。
 テトとフィシュアは、ほんの少し開いた隙間から、隣の部屋の様子をうかがい見た。テトの家で最も広く、居間の役割も果たしているこの部屋に、外へ繋がる玄関があるのだ。
「大丈夫そうね」
「うん」
 中の様子をうかがっていた二人はこっそりと目配せをして、頷き合った。
 彼らは扉を引き開いて、次の間に入る。窓の近くにある食卓――そこでは椅子に座ったまま、シェラートが眠っていた。
 この家にある寝台はたった一つ。先程まで、二人が横になっていたものだけである。
「……全く」と、フィシュアはぼやきながら、卓の上で自身の腕に顔を埋めて寝こけているシェラートを見やった。テトから許しを得て、寝室から二人で持ってきた掛布を彼の肩にかける。
「体、痛くならないのかしら。だから、警備隊のテントに行けばいいって言ったのに。それか、私がそっちに行ったのに」
 エルーカ村には、今現在、麓の街であるバデュラから警備隊が支援に来ている。フィシュアの要請に応じ、村で横行していた病の対処に携わっている彼らは、寝泊まりする為、村の入り口にある野に、いくつかのテントを張り、宿営地を築いている。したがって、彼らの宿営地に行きさえすれば、簡易なものではあるが寝具が用意されているのだ。
「ねー、テト?」とフィシュアは、横目でテトに同意を求める。しかし、「フィシュアもシェラートのことは言えないじゃないか」とテトに笑われ、彼女は口をつぐむこととなった。
 テトが閉じこもっていた間、つまり、彼女自身が倒れるまで、ちゃんとした寝具で眠ることもなく、この家に留まっていたのはフィシュアも同じであると、この少年は言っているのだ。
 彼女は気まり悪げにとりつくろいの笑顔を貼り付け、テトに向き直った。早々に話題をそらすべく、「さあ、星を数えに行きましょうか!」と明るく、だが、声だけは潜めて言う。
 
 ぱしり、と腕を掴まれたのは、その時であった。
 フィシュアは「――ひっ!」と悲鳴を上げ、恐る恐る背後を振り返る。薄い暗がりの中、そこにはやはり彼女の予想通り、冴え冴えと澄み渡った翡翠の双眸があった。
「どこに行くつもりだ」
「えーっと……?」
 半眼となっているシェラートから、フィシュアは目をそらした。どうやらお怒りのご様子である。ばれてしまっては仕方がない、とばかりに、意を決したフィシュアは、早口でまくしたてた。
「ええ、あのね、ちょっと外に……星を数えに行くのよ。起こしちゃったわよね、ごめんごめん。シェラートはこのまま寝てていいからね。あ、なんなら寝台でゆっくり休んでくれても全く構わないから。うん、それがいいわ。おやすみ、おやすみ」
 フィシュアはぽんぽんとシェラートの頭を撫でた後に、彼の額に口付けると、そそくさと外に出ようとした。
 が、当然の如く、許されるはずもないし、シェラートが掴んでいる手を離すはずもなかった。
「――おっ前は、また……! まだ完全には治ってないだろう。ちゃんと寝とけと言ってるだろうが!」
「や、だから、眠くないのよ! 大丈夫よ、ちょっと外に出るだけだから、すぐに戻ってくるし。問題ないわ」
「こないだも、そう言って具合悪くなったのはどこのどいつだよ!?」
「えーっと……、それは、はい、私、なん、だけど……」
 フィシュアは首を竦める。それでも、懲りることなく「いや、でも、今回は大丈夫。きっと、……いや、絶対!」としどろもどろで訴えてみたところで、特大の溜息が落ちた。
 
「あのね、シェラート。僕が誘ったの。星を数えに行こうって」
 テトはシェラートの服の裾を引っ張って言った。どことなくしょんぼりと落ち込んで見えるテトを見て、シェラートは、ぐっと押し黙る。テトも、ぐっと両手を握りしめて、自分を奮い立たせるよう拳をつくった。
「ねぇ、僕がちゃんと見とくから! フィシュアがきつそうになったら、すぐに戻ってくるから!」
 テトは勢い込んで告げた。「だから、だめかな?」と許可を求める。
 こうなってくると、やはりシェラートには折れるしか道が残されていなかった。
 はーっと諦めの息を吐き出す。
「……分かった。俺もついてく」
 言って、シェラートは彼女の腕から手を離した。
「ホント?」とテトは、顔を輝かせる。対して、シェラートは了承の頷きを返した。
 わーい、と両手を上げてみせては、笑いを噛み殺しているらしいフィシュアを、彼は一瞥する。せめてもの抵抗として、いつのまにか自身に掛けられていた掛け布を、シェラートはフィシュアの上からばさりと落とした。
 頭からすっぽりと掛布を被せられたせいで、視界を奪われたフィシュアは「ちょっと!」と、布の外にいる人物に向かって抗議を上げたのだ。
 
 
 
 
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