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「それで? さっき見ていたのはなんだったの?」

 長身のお義父様の肩の上から颯爽と降り立ったお義母様は、ロウリィの部屋の中に入ると、「これだったわよね?」と机の上に置いたままになっていたらしい布袋を手にした。
 中から取り出した球を、ふんふんと匂う。それで何かわかるのかわからないけれど、布袋を携えて廊下にいるお義父様の元まで戻ったお義母様は「新作よね?」と尋ねた。
「そうだと言っていた。正確に言えば、燻し玉の改良品だと」
「あら。この間、ルカウトから見せてもらったけれど、随分と小さくなったのねぇ。火口もなくなっているじゃない?」
「衝撃をあたえて、中の薬品を混ぜ加熱させることで起動するらしい」
「なるほど、火がいらなくなったわけね? 考えたわね」
「前のは相手に痺れが出るよう効果を足していたらしいが、こちらに被害があっても困るから、基本は煙幕用に特化したと言っていた。相手の目眩ましもあるが、無理と判断した時は一旦逃げられるようにと」
「へええええ、いいわね。役に立ちそう」
 物騒な話をしながら、お義母様は無邪気にはしゃいでいる。
 きらめく眼差しが、こちらを向いて、私は怯んだ。ちょいちょい、とお義母様に手招きされる。私の隣で、ロウリィがやってしまったとばかりに溜息をついた。
「カザリアさんに試してもらいましょうよ。さっきも見たでしょう。すごいのよ、この子。もうね、しゅっときれいに投げちゃうの。百発百中よ」
「そうか。それは、たいした嫁さんをもらえて、うちは儲かったなぁ」
 うきうきと報告をするお義母様に、お義父様まで興味深そうにこちらを見てくる。今更ながらではあるけれど、その評価は嫁として大丈夫だったのだろうか、と疑問に思う。
「カザリアさんを巻き込まないでくださいよ!」
「あら、だってこれカザリアさん用でしょう?」
「うむ。さっきの姿を見たら疑いようがないな」
「あくまで警備の皆さん用です!」
 抗議するロウリィに対し、義両親は顔を見あわせた。
「さっそく庭で実験しましょうよ」
「庭よりここに来る途中に川原が見えた。あちらの方が広くていいだろう」
「そうねぇ。何かあっても困りますからね。なら、川原にしましょうか」
 早速出かけましょう、と言わんばかりに、お義母様がぱちりと両手をあわせた。
 取り合うつもりのないらしい二人に、ロウリィの顔が憮然となる。
「あの、私、靴が」
 すぐにでも川原に出かけることがなりそうな気配に、戸惑いながらも私は申告した。いつものことではあるけれど、投げてしまった今、私には片方の靴しか残っていない。
 お義母様は、心得ているとばかりに微笑んだ。いつからそこにいたのか、廊下の先の角からこちらの様子を見守っていたらしいお義母様の侍女たちがキラキラした笑顔で揃って頷く。
 まもなく戸惑いの表情を浮かべながら彼女たちに背を押され連れられて来たケフィは、私に一揃いの靴を差し出した。
 私はロウリィの手を借りて靴を履きながら、憮然とした表情のままのロウリィの腕をついとつつく。
「あれ、爆発する、……のよね?」
 声を抑えて、ロウリィに確認する。
 平気なふりをしようとしたけれど、さすがの私も声が震えた。爆発するような代物なんて、当たり前だけど今まで触ったこともないから許してほしい。
 ロウリィは情けなさそうに眉を下げた。
「すみません」
「いいの。興味がないわけではないし。その……落としたりしたら危ないかしら?」
 聞けば、ロウリィは肩を落として首を横に振った。
「大丈夫です、爆発はしません。可能な限り安全に携帯できるものにしたかったので、そう危ないものではないんです。ちょっと煙が出るだけです。強く地面に叩きつけるくらいの衝撃がないと起動しないので、落としたくらいではなんともありません」
「そう。よかった。なら、大丈夫だから」 
 私は苦笑する。
 やっぱりロウリィにはあまりにも似つかわしくないから。できたら、いつものようにぽややんとしていてほしいと願う。
「だから変な顔しないで?」


 寒風吹き荒ぶ川原に、歓声が響き渡る。
 声援に励まされるように、刺客に見立てた木の根元めがけて煙球を投げつければ、ぽんと音をたて赤い煙がもくもくと立ちあがった。
 もう一つ投げれば、青の煙が。さらに投げると黄の煙が。それはもう木を覆い尽くさんばかりに盛大にもくもくと立ちあがっていく。
 これは、庭でしなくてよかった。もしも庭でしていたら庭師のルーベンと彼が精魂かけて育てた花木に多大な迷惑をかけてしまうところだった。
 ちょっと煙が出るだけなんて言っていたくせに、煙の量も、混ざりあった色味も尋常ではない。
「な、なんであんな色」
「あの色、顔とか服とか靴とか、あらゆるところにつくんです」
 ぼやけば、ロウリィは少しだけ真面目な顔をして言った。
「逃げても、足跡を辿れます。あんな色がつけば目立つので追いかけやすいですし。あと結構洗っても半月は落ちないので、その間は刺客としては役に立たないかと」
 ロウリィの説明を裏付けるように、煙が川から吹く冷たい風に流され徐々に晴れて行くにつれ、とんでもなく色鮮やかで、まだら模様の木が現れた。
 つまり、赤や青や黄の顔のまま半月も過ごさないといけないわけで、想像するとそれはなかなかにえげつない。
 刺客なんてしているのだから、それ相応の罰は受けてしかるべきかもしれないと納得しておくことにする。うん、同情なんてしてはいけない。
 木に視線を戻せば、今度は紫と緑の煙が立ちあがっていた。
「あら。あなたたちもなかなかだわ!」と、お義母様が誉めていらっしゃる。
 自分たちも練習しておきたい、と二人して申し出てついてきたバノとスタンは、新たな煙球を手に、再度、腕を振りかぶっているところだった。これは本格的に領地のみんなに説明しておかないと、木の怪奇現象として大騒ぎになりかねない。
 すごいすごい! とはしゃぐお義母様は、お義父様と両手をあわせて喜んでいる。
 そうして、いつの間にやら喧嘩に終止符を打つことにしたらしいお義母様は「またなぁなぁにしてしまった」と嘆いてはいたものの「代わりに思う存分、採寸してやる!」と意気込んで、翌日にはお義父様と家に帰っていった。
 当然、お義父様の馬車の修理は間に合わなくて、お義母様がいらした時の馬車に二人して乗り込むことになったから、長い長い王都までの道中、お義母様はきっとお義父様と向き合い、じっくり話すことができただろう。
 いったいどんな話をしたのか、今度、手紙を出して伺ってみようと思う。

「ああああ、やっと帰ってくれた!」

 食堂の長机に突っ伏して、ルカウトが叫んだ。
 せっかくごちそうのためにと磨きあげたばかりの食卓に、ぐでんと頬をつけられ、コックのリックがムッとしている。その隣で、並べた料理の皿を乱暴に押しやられたコック長のジルも恐い顔をして腕組みをしていた。
「ルカ、邪魔です。隅に行ってください」
「ロウリエ、その言いようはあんまりじゃないですかねーえ。こっちはあの母に追いかけまわされて大変な目あったというのに、そんなかわいそうなわたくしめを、いたわる素振りも見せないとは!」
「はいはい。わかりましたから。バノ、これ、あっちのほうに運んでやってください」
 嘆かわしいと首を振るルカウトをあしらって、ロウリィはバノに頼む。
 本当に疲れきっているらしく、後ろから脇を抱えられたルカウトは、抵抗もせずに食堂の隅へずりずりと引きずられていった。
 私は話す機会がなかったけれど、ルカウトの母はお義父様の護衛要員の一人として来ていたらしい。来る途中、馬車が襲撃に遭遇したことで「お前がいて全然改善していないこの状態は何事か!」と、到着してから帰るまで息子を追いまわし叱りつけていたという。
 相変わらずでしたねぇ、とロウリィが言っていたから、ロウリィの乳母でもあったというその人は、きっと昔からなかなかにパワフルな方だったんだろう。
 話してみたかった、と夢想すれば、ロウリィと目があった。どうしました、と目線で声なく問いかけられ、私は首を振るい、彼の元に並び立った。
 侍女のケフィに手渡された果実酒入りのグラスを、私とロウリィはそれぞれ手に持つ。
 目の前では、厨房から次から次へと運ばれてくるご馳走が、賑やかに食卓を埋め尽くしていく。
 今日は、屋敷の使用人のみんなに加え、義両親の喧嘩に巻き込まれた役人のみんなもお詫びとして呼んでいたから、集まった顔ぶれもいつにも増して大賑わいだ。
「ちゃんと全員揃いましたかね?」
「ええ。料理も全部出揃ったわね」
 頷き、楽しくなってきて、笑う。
 私たちと同じように果実酒を手にしたみんなも期待に満ちた眼差しでその時を待っていた。
 それじゃあ、というロウリィの声に、続いてみんなの声がばらばらに重なりあって大きな渦になっていく。
「おつかれさまでした!」
「かんぱーい!」
 あちらでもこちらでも、グラスが思い思いにかち鳴らされていく。
 笑い声に満ちた食堂で『おつかれさま会』は、この日、和気あいあいと騒がしく、夜が更けるまで開催されたのだ。