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「いやぁ、新婚さんのやりとりは目に毒だなぁ」
「あらっ、……初々しくってよろしいじゃないです、かっ!」
 お義母様が、だん、と床を踏み抜いた音に我にかえった。
 お義父様は、私たちのほうに目を向けたまま、足元も見ずにお義母様の攻撃を避け続けている。口許を手で覆ってはいるものの、明らかににやにやとしていらっしゃって、たじろいでしまった。
 目を泳がせば、バノとスタンまで生温い目でこちらを見ている。
 違う。これは新婚だから、とか断じてそういうのではなくて、と妙に焦りはじめた訳のわからぬ気持ちのまま、ロウリィから距離をとる。
 だって互いの親が決めた結婚とはいえ、もう家族だから、と言い訳めいたことを誰にともなく言い募りたくなるのを義両親の手前堪えた。
 混乱しだした私にスタンが生温い眼差しのまま、ぐっと親指を突き立ててくる。声を出さぬまま口を動かし「よかったですね」としきりに頷いてくる。
 すかさず同僚に肘鉄を喰らわせ黙らせてくれバノにあとで何かお礼の品の手配をしようと誓った。
「なにも両親の前で、ねぇ?」
「あらっ、ロウリエはともかくカザリアさんの愛らしいところは、私もぜひ見たくって、よ!?」
 言いながら踏み抜いたお義母様は、またもや的を外したことで腹立たしそうにお義父様の腰あたりの服を両手で引き掴んだ。とうとう動かぬように固定した上で、足元を狙いはじめる。
「仲のよいことはよいことです、よっ!」
「そうだな。よかったな。よいことだ」
 頷きながら、お義父様は無言でお義母様の足元を脚で払った。体勢を崩したお義母様の身体を抱きとめて、そのまま肩へ担ぎあげる。
 急に視線が高くなったお義母様が小さく悲鳴をあげて、お義父様の頭にすがりつく。
 私もロウリィの肘を掴んで、強く後方へ引いた。
 私が靴を投げるよりも早く、バノが天井から現れ出た刺客のみぞおちに、長剣の鞘を叩き込み昏倒させる。
 ちょうど同じ頃、お義父様が、背後から襲ってきたもう一人の刺客を、後ろ手に殴り倒したところだった。
 どうやらこちらの刺客はロウリィの部屋の窓の鍵を開け入り込んできたらしい。ちょうど仲間の失敗を目にして逃げ帰ろうとしたもう一人の刺客がまだ窓近くに見えたので、私はすかさず靴を投げた。
 小気味よい音がして、靴の踵が後頭部に直撃する。衝撃に驚いた刺客は足を絡ませたのか前のめりに倒れ、窓枠から見える景色の外へ消えた。
「スタン! あっち、窓の外! 行って、確保をお願い!」
 お義父様の手際にあっけにとられていたらしいスタンを叱咤する。すぐさま彼は、ロウリィの部屋を横切り窓から外へ飛び出した。
 バノは、廊下と室内でのびている刺客を手早く縛りはじめる。
 ふむ、とお義父様は辺りの様子を吟味して頷く。お義父様の肩の上では、お義母様が「カザリアさん、相変わらずすごいわぁー!」とぱちぱちと拍手をしてくれていた。
「ロウリエ。もう少しルカウトに指導させた方がいいんじゃないのか?」
 私のほうが早く気づいてしまった、と嘆くお義父様の足元で、縛りあげた刺客を廊下の隅に寄せようとしていたバノが「面目ないです」と肩を落としていた。
「いや、あなたやルカと比べられても」とロウリィが呆れたように苦言を言う。
 素直に落ち込んでいる真面目なバノに同情していた私は、ロウリィの隣で控えめに同意した。
 気配を気取られないようやって来たはずの刺客をお義母様から退けて、一発で軽く倒すなんて——その間一度として振り返らないなんて芸当は常人には無理だから、そんなに落ち込む必要もないと思う。
「バノもスタンも他の警備のみんなもよくやっていますよ。ただ、やってくる人数に対して、こっちの人員が圧倒的に足りないんですねぇ」
 原因をつくった張本人が、どうしたものか、とでも言いたげに、眉根を寄せて付け加える。
 うっかり隣を見てしまったものの、私は義両親の手前、黙殺することにした。
 それにしても鮮やかな手腕だった、と憧憬の眼差しでお義父様を見つめてしまう。まったく動じた様子もなく肩の上で「今来たばかりのあなたが図々しくこちらの事情に口を挟むものではありませんよ」と窘めているお義母様もやはり相当に肝が据わっていらっしゃる。
 黙り込んだままの私に、ロウリィは何かを思ったのか、はっと息を呑み込んだ。
 ぱしりと腕を掴まれる。怪訝に思って振り返れば、ロウリィは慌てた様子で口を開いた。
「カザリアさん、ほら。こちらも、隠していたわけではなく、ケルシュタイード家は元々武人を多く排出して功績を得た家なので!」
 それはロウリィについているルカウトのことや、だから必要ないと言われたあの時のことで、さすがに理解していたし予想はついていた。だから、お義父様のこともそう大して驚きはしなかったけど。
 事情を説明してくれることが、自分でも思いの外、嬉しく誇らしかったらしい。ほくほくと暖かくなりはじめた気持ちを持て余しながら——だから止めることもできず、私は続きを待ってしまった。
「武術も戦術も一応、代々、習いはします。ここ数代は、どちらかと言えば文官のほうに向いていたと言いますか、興味がある者が続きましたので、父や祖父を含めそちらの道を選んでいますけど」
「ええ」
「代々、習いはするんですが、武術は知っての通り僕に関してはからきしでした。あまりの才能のなさに祖父も父も先生方も、ずいぶんと早い段階で諦めたそうです。僕自身、正直習った記憶すら曖昧なくらいです」
「……」
「ですので、本当に隠していたわけではありませんし、嘘もついていないので、安心してください!」
 自信満々に、力を込めてロウリィは宣言する。
 初日に説明されたことに嘘偽りないことは、もうこれまでで充分わかってはいたし、疑う余地すらない。
 機敏に動くロウリィだってどうしても想像できもしないのだけれど。
 ぐっと拳を握り、若干身を乗り出してきたロウリィの額をついと指先で押す。
 いとも簡単によろけたロウリィは、額を抑えながら「え、何か悪かったです?」と疑問に満ちた表情で聞いてきた。
「……むしろお義父様を見る限り身につけておきたい必要技術だったんじゃないの?」
 毒が見分けられる技術も知識もここではそれはもうありがたく大事だけど、せめてもう少し自分の身を大事にしてほしいと思うのも事実だ。方法は多ければ多いほどいい。
 願いを込めた私の問いかけに、ロウリィは「いいんですよ、そっちは他の人も覚えられるので」と、ほやほやとうそぶいてきた。
「そうじゃないのに」
 でも説明するには悔しくて、もう一度ぺしりと彼の額を軽く叩けば、不服そうな声があがる。
「カザリアさんだって、踊れないじゃないですか」
「そ、その通りだけど……どうして今、それを引き合いに出すのよ?」
「恐らく同等くらいかと思うので」
 そんな風に言われてしまうと、もう何も言い返せなくなる。ぐぬぬ、と呻く私を見て、腕を組んだロウリィは「ううーん」と思案するように唸った。
「……今からでも練習したほうがよいですか、ね?」
 いくらか真面目な調子で聞かれ、私はロウリィの両肩を掴んだ。全速力で首を横に振るう。
「いいわ、やめましょう、危険だから。ごめんなさい。私が悪かったわ。冗談なのよ。ね。だから、絶対にやめましょう」
「そ、そんなにです?」
「そんなになのよ」
 ロウリィのことも、私のことも、どちらの意味に対しても、自信をもって私は頷いた。それはもう重々しく頷いてみせる。
 そもそも無理だとわかって言ったことだったけれど、私のアレと同等なんて、ほのめかされた提案が想像以上で怖すぎた。
「ほらねぇ、やっぱり。口なんて出さないほうがいいんですよ」というお義母様の朗らかな声が、「なるほど、これが毎日か。さすが新婚さん」という妙に落ち着いたお義父様の声が、急に耳に届きだす。
 私は、ぱっと両手をロウリィから離した。変にあがった両手が宙をさまよう。
 お義母様たちの方へ向き直るなんてできるはずもない。
 見ずとも恐らく送られているのだろう生温い視線のいたたまれなさに、私は言いわけすら思いつかないほど硬直してしまった。