お菓子をくださいな【後編】



 空の面積は薄く長い筋雲が大半を占めている。雨は降りそうにはないが、すっかり夏の深い青色の面影を失くした秋の空の下。
 長くはない商店街通路の片隅で、今日も今日とて、はかったように彼らはばったりと出会ったのだ。

「あれ、有馬さん? ……ですよね?」

 スーパーによった帰り道。
 自分の進行方向から歩いてきた見知った顔に、奏多は声をかけた。けれども、どこか自信が持てないのは、よく見知った人物の右隣に見知らぬ小さな少女がくっついていたからに違いない。
 しかも、少女の姿は、遠目に見ても相当目立つ。目立たない方がおかしいくらいには目立つ。
 黒のとんがり帽子に、くるりと回ればふわりと広がりそうな黒いワンピース。魔女のいでたちをしている少女を、彼女はまじまじと見つめてしまった後、やって来た有馬に向かって首を傾げた。
「有馬さんて、妹さんがいらっしゃったんですか?」
 知りませんでした、と言う奏多に、有馬は「僕の妹ではないんだけど……」と小さな魔女をちらりと横目で見やると、今にも溜息をつきたそうに言葉を切った。どうも疲れたご様子である。
「ねぇ、魔女子さん。ほんとにこの子、魔女子さんの妹じゃないの?」
「はい!?」
「魔女子さんと全く同じ行動ばかりとるんだけど」
「……と言われましても」
 かわいらしくはあるが、魔女っこ少女と顔を合わせるのは、全く以って初めてである。
「それにしても、どうして魔女っこなんですか?」
「魔女子さんがそれを言う?」
「だって、今日は、はろうぃーんだもの!」
 有馬と奏多の会話を遮って、えっへんと威張って見せたのは、りおなだった。
「ハロ、ウィン……?」
 問い返した奏多を見上げ、りおなは「そうよ」と頷く。
「おばあちゃんが教えてくれたの。はろうぃーんの日は、呪文さえ唱えれば、お菓子がたくさんもらえるんだって。お菓子をくれなきゃ悪戯するわよ!」
 にっこりと笑って、りおなは奏多に両手を差し出す。
「え、あ、ちょっと待ってくださいね。お菓子、お菓子……」と、奏多は戸惑いながらも自分の鞄の中を探った。タイミングよくさっき買っておいたばかりのキャラメルの袋をその場で開けると、内いくつかを、りおなの掌に落とそうとして――奏多は、ハタと我に返った。

「――っぐああああああっ! ハロウィン! 先を越されたあああああ!!!!」

 奏多は、ちび魔女を指差して、叫んだ。
「どうしてもう少し早く言ってくれなかったんですかっ!?」
 びっくりしているりおなの横で、「え。魔女子さん、今年も来るつもりだったの?」と、有馬は一人静かに、今にも呻きだしそうな奏多に問いかけた。
「もちろんですよ!」と勢いよく頷いた彼女の叫び声は、賑わいつつも穏やかな空気が流れている商店街の隅々にまで響き渡ったと言う。


***


「忘れてました! ハロウィンの本番は今日だってことすっかり忘れてました! 今年は、依月ちゃんとのりちゃんの都合が合わなかったから、ハロウィンパーティーは明日することになってたんですよ。だから、ハロウィンはすっかり明日だと思い込んでました、すみません!」
「謝られる理由が全く分からないんだけど」

 結局、いつもの喫茶店に流れ着いてしまった有馬は、向かいでアップルポテトパイを前に両手で頭を抱えている奏多を見ながら、珈琲を一口啜った。彼のすぐ隣の席では、りおなが巨大パフェのグラスを右へ左へと回し、さぁどこから食べようか、とほくほくとした表情で、長いパフェ用のスプーンを握りしめている。バナナにイチゴ、ミカン、パイナップル、チョコ、おまけにアイスまで詰め込まれ、並び立てられた具の周りを、これでもかと言うくらい生クリームが取り巻いている。生クリームの山のてっぺんに、ちょこり、と申し訳程度に添えられたミントの葉が爽やかな分だけ、至極甘ったるそうである。
 甘物があまり得意ではない有馬にとって、りおなが今にも突こうとしている巨大パフェは、一口だけで遠慮したくなりそうなもの。それを意気揚々と食べようとしている少女を彼はすごいなぁと感心した目で眺めていた。
「だって、有馬さん、去年約束したじゃないですか!」
「少なくとも僕はした覚えがないんだけど……っと、魔女美さん、スプーンにそんな全部載せて食べるのはたぶん無理だからやめようか」
 バナナを掬い、イチゴを掬い、ミカンを、アイスを、と少しずつスプーンの先で掬いとっていたりおなの行動を有馬は止めた。容量を考えずに、盛りすぎているせいで、スプーンには塔と見まがうほどこんもりとした山が形成されている。ここまで来ると、スプーンの先にパフェのグラスそのものをひっくり返して載せているようだ。
 りおなは口をとがらせ、パフェのグラスとスプーンの先とを見比べると、有馬をじとりと睨んだ。
「梅昆布のけち!」
「けちも何も、食べようとする前に、その塔が倒れると思うよ」
 有馬の予見通り、りおなが手にするスプーンの先の塔は早くもぐらぐらとふらつきだした。今にも雪崩が起こりそうである。
 奏多は呆気にとられて、有馬とりおなを交互に見比べた。
「有馬さん、有馬さん。その子、本当に有馬さんの妹さんじゃないんですか?」
「むしろ、本当に魔女子さんの妹じゃないのって、もう一回聞きたいんだけど」
「だから、どこからそうなったんですか……」
「だって、魔女美さん、駄菓子屋に連れてったら、あそこで選ばないで、パフェが食べたいとか言いだしたから」
「だって、あの駄菓子屋さんのお菓子は昨日おじいちゃんにいっぱい買ってもらったんだもん」
「ケーキは買わないって初めに言っといたよね?」
「だから、パフェがいいって言ったんじゃない」
「パフェもケーキも大して変わらないでしょう」
「違うよ! 全然違うじゃない! 梅昆布ってば、ばっかじゃないのー」
 奏多は、フォークでアップルポテトパイを掬ったまま、ぽかんと二人の言い争いを眺めた。まるで本物の兄妹だ。
「えーっと……、仲良しです、ね?」
 奏多の言葉に、有馬とりおなはぴたりと言い争いを止めた。互いに顔を見合わせ、「「魔女子さん、おかしいんじゃない?」」と声を揃えて言う。重なった声に、二人は気まずそうに横目で見あい、ふいと視線を反らした。
 一連の仕草が数秒も違わず行われたのを、目の前で見ていた奏多は、笑いを通り越し、感嘆して息を飲んだ。
 なんとも不思議で変な組み合わせだ。
「ねぇ、魔女美ちゃん」
 奏多は、アップルポテトパイを口に運ぶのも忘れて、今はとんがり帽子を外しているりおなに話かけた。りおなは生クリームまみれのミカンを口に放り入れ、奏多を見る。
「りおなよ、魔女子さん」
「私も、本当の名前は奏多なんだけど……」
「そうなの? だって、店員さんも魔女子ちゃんって呼んでたから、お姉ちゃんは本当に魔女子って名前なのかと思ってた」
 まさか、と奏多は思わず乾いた笑いを浮かべた。けれども、ついつい呼ばれ慣れ、それどころか違和感なく反応してしまうのが現状でもある。
 そうか、あれから一年か、と奏多は少し感慨深く思った。道理で、この一風変わったあだ名が、身に馴染んでしまったわけである。
 りおなは、じーっと、奏多を見つめた。それからずい、と奏多の方に身を乗り出して「ね、当ててあげましょうか」と話を振って来る。
「……そのへんてこなあだ名つけたの、梅昆布でしょう」
 何故“梅昆布”なんだろう、と思いつつも、さっきからこの子が指すのは有馬しかいない。と言うことは、りおなは『有馬が魔女子という変なあだ名をつけたのでしょう』と言っている訳で――全く以ってその通りなので、奏多は素直にこくこくと頷いた。
「うん、正解」
「やっぱり! 梅昆布ってば、ネーミングセンスないよね!」
「――だ、だよね!? りおなちゃんもそう思う? 私も去年の今日はそう思ってたはずだったんだよ!」
 ぐっ、とフォークを握り込んで、りおな同様身を乗り出した奏多に、有馬は眉をひそめた。
「魔女子さん、危ない」
「わっ……と、すみません」
 大人しく注意を聞きいれ、ひとまずフォークをケーキ皿の端に置いた奏多は、申し訳なさそうな視線をりおなと有馬に向けながら、「けど」と切り出した。
「有馬さんのネームセンスのなさは本当に酷すぎると思いますよ」
「りおなっていってるのに、魔女美さんだなんて言い張るしね! 梅昆布はおかしいわ」
 ぎゃあぎゃあと女子二人に責められ、だが、当の本人は「そうかな、普通じゃない?」と珈琲を飲みながら、何ともない顔をする。納得のいかないのは、へんてこなあだ名をつけられた被害者二名である。
「大体どうしてそんなに頑固なのよ。りおなだって何回も言ってるじゃない!」
「なら、梅昆布って言い続ける魔女美さんも魔女美さんだと思うけど?」
「ああ言えばこう言う!」
 むーかーつーくー! と自分よりも数倍年上の有馬に、りおなは遠慮なく悪態をついた。彼女がダンダンと机を叩く度に、グラスの中でオレンジジュースが波を立てる。有馬はグラスが落ちぬようにと、りおなのオレンジジュースを机の中央へと寄せた。
 どうどう、とりおなを落ち着かせつつ、この際ずっと疑問だったことを聞いてみようと思い立った奏多は、緊張と共に生唾を飲み込んだ。恐々と有馬を見上げる。
「あの、……そもそも、有馬さんて、私の名前覚えてるんですか?」
「奏多」
「覚えてた!」
 目を丸くしてりおなに報告している奏多を見、「そりゃ、あれだけ目の前で連呼されてたらさすがにね」と、彼はあっさりと答えた。
「じゃあね、梅昆布。もしも三人目が来たらどうするのよ!?」と、尋ねたのはりおなである。
「来る予定があるなら、その子を止めてくれると嬉しいんだけど」
「も・し・も・の話よ!」
 有馬はふむ、と考える。
「魔女恵さん、とか?」
 一分もかからずに、彼が出した答えに、被害者二人は声を揃えて「「センスがない!」」と叫んだ。


***


 さてさて、ところかわりまして、土曜日の商店街をのんびりゆったりと歩く安田さん。最近はやりのエコバックに、週に一度の土曜市で手に入れたお目当てのお買い得品を詰め込んで、ほくほくと家路についていた。どちらかといえば、おばあちゃんの分類に入る彼女が手にしているエコバックは、歳の割に愛らしいパンダのキャラクターがついていて、どこかちぐはぐ感が否めない。けれども、安田さんは、もらったばかりのこのバックをパンダの絵を含めて気に入っていた。
「あら」
 安田さんは、足を止めた。たまたま目を向けた喫茶店の窓に、先日パンダバックをくれた張本人が座り、パフェを食べていたからである。しかも、彼女の隣には、同じアパートに住んでいる学生と、時たま廊下で出会う女の子までいる。
「どこでお友達になったのかしら」
 安田さんは、空いていた左手を頬に当てると、おっとりと小首を傾げた。



 カランコロン、と来客を告げるドアベルが鳴る。
 入口にほど近い窓際の席に座っていた有馬、奏多、りおなの三人は、ドアベルの音に惹かれて扉へと目を向けた。
「あ、おばあちゃん!」
 いち早く店を訪れたのが誰であるかに気付いたりおなが、席から立ち上がった。
 目をさまよわせ、外から見た孫が座っていた位置を店内でも探していた安田さんは、りおなの呼びかけに、微笑を浮かべるとひらひらと手を振る。
「あ、チョコレートの方ですよね? のりちゃんのお隣さん?」という奏多に「そう」と有馬は頷く。
 席を離れ、パタパタと入口に駆け寄っていくりおなを見送りながら、有馬は「安田さんのお孫さんだったんだ」と呟きを零した。


「りおなちゃんが、有馬くんと知り合いだったなんて知らなかったわ」
 安田さんは、運ばれてきたばかりのチョコバナナパフェを品よく口に運びながら、微笑んだ。どうやら、りおなのパフェ好きは安田さんから来ていたものだったらしい。
「いえ、知り合いと言うわけでもないんですが……」
 まさか、『お宅のお孫さんがいきなり乗り込んできたんです』とも言えず、有馬は曖昧に苦笑して、ごまかすようにそろそろ冷たくなってきた珈琲を飲む。
 りおなと席を入れ替わり有馬の隣へと来た奏多は、本日二個目となるイチゴタルトに手をつけた。普段よりも随分とスローペースである。
 奏多は、イチゴの甘酸っぱさを頬の奥で味わいながら、「並ぶと目元なんかがりおなちゃんとそっくりですね」と有馬にこそりと話しかける。
「わがままばかり言って、ご迷惑をおかけしてないといいのだけれど」
 ふふ、と苦笑を洩らして安田さんは「お父さんがね」と続ける。
「りおなちゃんが、せっかくハロウィンの仮装をして来てくれたからって、張り切っちゃって。だけど、いざ写真を撮ろうって、こないだ買ったばかりのデジタルカメラを取り出したのはいいんだけど、扱い方が分からなくってねぇ。おかしいでしょう。あんまり時間がかかりそうなものだから、ちょっとお買い物に出かけてたのよ。りおなちゃんも、抜け出して有馬さんたちと遊んでたなんて思わなかったわ」
「だって、おじいちゃん、説明書ばっかり読んで遊んでくれないんだもん」
「あらあら。あの人は、すぐはまり込むんだから、困ったものね。もうそろそろ、使えるようになってるかしら?」
 安田さんが、りおなに向かって首を傾げると、りおなも「ねー?」と首を傾げた。
「しかたがないから、お土産にケーキくらい買っていってあげましょうか」と言う、祖母の提案に、魔女姿の孫は「なら私、チョコの!」と嬉しい悲鳴を上げて答えたのだ。


***


 四人はそろって 店を出た。
 あと一店、ベランダの鉢植えに植える花を買いに花屋に寄る、と言う安田さんとりおなの二人と、彼らは店先で別れた。
 二人手をつないで仲良く商店街を行く安田さんとりおなの背を見送りながら、奏多はちらと横に立つ有馬を見やった。
「元気な子でしたねぇ、りおなちゃん」
「魔女美さんに張り合える魔女子さんも、僕から見たら相当元気だけどね」
「有馬さんが言いますか、それを」
 ふと、可笑しさがこみ上げて来て、口元から零れ落ちる。
 くすくすと笑っていた奏多は、「あ、そうだった!」と、唐突に声を上げた。途端誰に聞いても不気味だと断言されそうな奇妙なものへと様変わりした彼女の笑い声を耳にして、有馬は怪訝そうな顔をした。
 奏多は、くるりと有馬の前に回り込む。
「有馬さん、有馬さん。今日はハロウィンですよ。お菓子をください!」
「ケーキ八個も食べといて、まだ食べる気なの? 確かに、いつもよりか少ないし足りなかったのかもしれないけど」
「そういう問題じゃないんですよ。空気を読んでください空気を。くれないなら、悪戯しますよ」
 どういう問題ということもないだろう、と彼は思ったが、口にはしなかった。
「つまり、魔女子さんはお菓子がほしいってだけでしょう」
「そうとも言います」
 きっぱり、と言いきった奏多は心底楽しそうだ。
「――と言っても、ね。あげるも何も……梅昆布しかないんだけど」
 それでもいい? と有馬は奏多に尋ねた。
「ああ、それで“梅昆布”だったんですか」
 奏多は納得したとでも言うように、ぽんと手を打つ。
「いいですよ。私、キャラメル持ってますから。さっきゆず茶も買ってみたばかりなんです。ちょっと味が気になって。ちょうどいいですから、梅昆布とキャラメルでお茶しましょう」
「それって、組合せとしてどうなの?」
「美味しければ、いいじゃないですか」
「まぁ、別にいいんだけどね」
 有馬は、苦笑する。
 そうして彼らもまた、ゆず茶会を催すべく、午後の光指す商店街を歩きだしたのだ。