真夜中の箱庭
A Tale of the Night and Eadelt Crawdelier



 イーデルト・クローデリア。
 それは神子の目を持つ異形の娘に与えられた名前。



 目が覚めると待っていたのは、とこしえの夜だった。



 イーデルト・クローデリアは暗い黄金色の睫毛に縁取られた瞼を持ちあげる。開ききるかに思われた瞼は、半分開いたところで不自然にひっかかり、とまった。
 銀と瑠璃。色違いの瞳が、歪な瞼から覗く。ちょうど昼と夜を分けて嵌め与えたかのような娘の双眸は、瞼が半分も覆いつくしている分、ちょうどそれぞれの時間帯の天空を逆さまにしたふうにも見えた。
 彼女の父は、娘の双眸をよく褒めそやしたものだった。左右で色の違う瞳を持って生まれてくる者など稀も稀。まして彼女が持ち合わせたのは美しい昼と夜の色である。
 神の使い子イーデルト。総じてそう呼ばれる色違いの瞳を持つ子どもたちは、人々の厚い信仰と共にあがめられ、尊ばれてきた。彼らの中でも、朝昼夜の三大神を象徴する金と銀、瑠璃は最も高貴とされる。くしくも彼女は、そのうちの二つも持ち合わせていた。
 神の使い子イーデルトの恩恵にあずかろうと彼女の屋敷を訪ねる人々の列は絶えなかった。しかし、いくら贈物を積まれようとも、彼女の父は決して娘を人目に触れさせはしなかった。はて、と人々は首を傾げた。
 彼女の母は、娘の双眸を見るたびに眉をひそめたものだった。腹を痛めて産んだ娘は、生まれ落ちた時から既に瞼が不自然だった。それでも目が開かぬうちは、そう気になるものではなかった。瞼の奇形が誰の目にも明らかになったのは、娘が目を開いたその瞬間からである。半分しか瞼を開けぬ娘の歪な容姿から、彼女の母はいつも苛立たし気に目を背けた。
 異界の迷い子クローデリア。総じてそう呼ばれる奇形の子どもたちを、人々は異界から迷い出てきた人ではないものと信じ、疎んでいた。異形は異界へ返さねばならぬ。信心深い人々にとってそれは責務であり、神へ示す忠誠であった。
 異界の迷い子クローデリアの世話を命じられた屋敷の召使たちは、彼女の母に異界返しをするようしきりに薦めた。しかし、どんなに諭されようと頑として首を縦に振らなかった彼女の母は、娘が決して人目に触れぬよう屋敷に閉じ込め続けた。はて、と召使たちは首を傾げた。
 神の使い子イーデルトであり、異界の迷い子クローデリアである色違いの双眸を持つ異形の娘。彼女が十五になったその年に、両親は娘を屋敷から出すことにした。はたして彼らの娘は神の使い子イーデルトであるのか、異界の迷い子クローデリアであるのか。伺いをたてておく必要があった。答えを出しておく必要があったのだ。


 イーデルト・クローデリアが目を覚ましたのは、ふと空気が傾いだ気がしたからだった。意外に大きな羽音がばさり、森の木立に染み渡る。イーデルト・クローデリアは冷たい石床から身を起こして、辺りを見渡した。相違の双眸に映るものは何もなく、いつの間にやら訪れていた夜に、闇が沈み込んでいる。
 イーデルト・クローデリアは、膝を引き寄せ身を縮めた。息を潜める。神殿の入口にいるはずだった。しかし、一寸先は闇が広がるばかりで、昼間見たはずの蔦が巻きつく支柱さえどこにあるのか見当がつかない。
「ここで何をしている」
 夜は突然口をきいた。
「お前は誰だ」
 イーデルト・クローデリアは、声のした方を仰ぎ見る。そこには確かに闇しかなかった。けれども、風が葉を揺らすのとは違う息づかいがあった。
「私は」
 ――イーデルト・クローデリア。
 彼女は震える声で言った。
「あなたが、夜の盟主?」
 夜は呼吸を続ける。ゆったりとした胸の躍動が見てとれるかのようだった。
 イーデルト・クローデリアの元には、肯定も否定も返りはしない。
「私は」
 こくりと唾を飲み込んで、イーデルト・クローデリアは貼りつく喉を溶かした。妙に渇きを覚える下唇を巻き込んで、ほんの少し舐めてみる。
「あなたに見定めていただくため、ここへ来ました」
 はたして神の使い子イーデルトであるのか、異界の迷い子クローデリアであるのか。身を寄せるべきは神の御許か、無の異界か。イーデルト・クローデリアは問う。
 つぶれた瞼、互いに違う色の瞳を持つ娘は、そこかしこに満ちる夜を見上げる。
「朝の盟主は『いらぬ』と私に仰いました。昼の盟主は目を伏せ私を映すことを厭われました」
 三大神の現身うつしみである各盟主が住まう神殿は全部で三つ。朝の盟主と昼の盟主を訪ね、最後にここへ来た。
「私は。夜の盟主、あなたにお仕えするに足るでしょうか」
 声音を落としてイーデルト・クローデリアは、最後の盟主に伺いをたてた。
「それとも異界へ返るべきでしょうか」
 これが最後。思いがけず泣き笑いのような表情になったやもしれなかった。イーデルト・クローデリアはそんな気がした。暗がりが自分の表情を相手に悟らせぬだろうことを承知してはいたけれど、意図にそぐわぬ表情となってしまったことに、彼女は少なからず落胆を覚えた。
 夜の盟主の答えを聞けば、ようやく身の置き場が定まる。神の使い子イーデルトであるべきなのか、異界の迷い子クローデリアであるべきなのか。たえず問われ続けた彼女自身が、最も判別をつけがたい事柄だった。神の使い子イーデルト異界の迷い子クローデリアは、確固とした答えを知らない。
「お前は」
 不快気な声が闇に吸い込まれた。
「異界が何かわかっているのか」
 問いの形を模された言葉は、過去を鑑みるような響きをしていた。イーデルト・クローデリアは、とこしえの夜を注視する。
「あれは無。あれは虚。すべての真であり、すべての偽。すべてを許容し、全てを否定する。今のお前のその身には、あれはそぐわぬ場所であろう」
「それでは私はどうすれば」
 夜の盟主の言葉は、イーデルト・クローデリアの理解に届くものではなかった。どちらにせよ、知りたいのは異界のことではない。夜の盟主に『そぐわぬ』と言われようがそれは大きな問題になろうはずがなかった。
「お前は異界へ返りたいのか、イーデルト・クローデリア」
「いいえ。夜の盟主」
「ならば自分で考えればよかろう」
「ですが。伺いは立てねばなりません」
「知らぬ」
 イーデルト・クローデリアは困惑した。てっきり回答を得られるものと思っていたのに、最後の最後でこのように突き放されるとは思いもよらなかった。ならば一体、両親へはなんと伝えればよいのか。イーデルト・クローデリアは言葉を失う。
 ほひゅると、呆れたような細い息が夜に吐かれてたなびいた。
「憐れな娘よ。自分で自分を定めることもできぬとは」
 大きな羽音が傍から飛びたつ。代わりに、離れた場所にある木が重みにたわんでざわめきたった。
「確かに人間にしては面妖な顔をしているが。どちらにせよ、お前はいずれここからいなくなるよ、イーデルト・クローデリア。それまででよいのなら答えを探す猶予くらいは授けよう」