ever after 3


 牢塔に幽閉されているのは、傾国の姫と呼んでも遜色のない程の美貌の持ち主で、今は亡き隣国の王女。
 その王女が、誰の手によってでもなく己の手で自国を傾けたというのだからこれほど滑稽な話はない。
 連なる冷たい鉄格子越し。
 べっとりと絡みついていた血が落とされた金の髪は、薄暗い牢の中、淡い輝きを放っていた。
 紫の双眸がこちらを捉えるのと時同じくして、歌を刻んでいた口元が笑顔へと転じる。
「ガーレリデス様!」
 少女のように破顔され、真っ先に感じたのは呆れに似たものだった。
 本当にこの王女が策を弄しているのだろうか。いや、そう思わせることこそが策なのか。
「歌うのをやめろ」
「……と、申されましても。他にすることがありませんので」
 トゥーアナは、ちらと自分が身を置く牢の中へ目を配らせながら、苦笑する。
 すぐ傍に仕えていた彼女の年老いた侍女も、布に刺繍を施す手を休め、同じく困ったように苦笑した。
 彼女の視線につられ、牢の中を見渡す。
 この王女が留め置かれているのは牢と言っても、罪を犯した王族や高位の貴族のためのもので、城にある他の部屋と大した変わりはない。
 机に椅子といった調度品から、筆記具や茶器等、その他生活に必要なものは全て整えられ、床には毛足が長く肌触りのよい絨毯まで敷き詰められている。
 ただ一点。異なるのは、小さな窓と扉の代わりに鉄格子がはめられているのみ。
 何かをしようと思えば、いくらでもできるはずだ。
 現に王女の侍女は真白な布に、刺繍を縫いとっている。
「あなたも刺繍をすればいいだろう」
「刺繍は苦手です」
「それなら何が得意なんだ。必要なものは用意してやろう」
「必要なものなどありません。私が得意とするのは歌ですから。この口一つ。あれば充分でございます」
 言って、トゥーアナは人差し指を唇にあてた。ふっくらとした紅色が指に押されてわずかに沈む。
 そのあまりにも妖艶な仕草に目をすがめ見れば、王女は唇の両端を吊り上げ、鮮やかに笑みを広げた。
「元々、私の母は何の後ろ盾もない踊り子でした。ルメンディア王都へ巡業に来ていたところを、父に見初められ後宮へと入ったのです。自身で歌い、それに合わせて踊る。歌と踊りのどちらをも得意とする踊り子でした。だから、母の歌を聞いて育った私も、自然歌が得意となったのでしょう。母が亡くなった後も、よく父にせがまれて歌い聞かせたものです」
「だが、その父を殺したのはお前だろう?」
 トゥーアナは、ふっと吐息を洩らし微笑する。
「そして、血の繋がった兄さえも殺した」
「ええ」
 頷き、静寂の中でただ微笑むだけの亡国の王女に嫌悪をもよおす。
「自分の親兄弟を殺し、自国を滅ぼして少しも心が痛まないのか? よくもこんな所で笑って、のんきに歌っていられるものだ」
 侮蔑を込めて睨みつけても目の前の瞳は揺らぎもしない。澄んだ紫光を湛えてそこにある。
 例えば、自らの潔白を主張し醜く慈悲を請うたり、己の境遇を悲観し泣き叫んでいたら、また違っただろう。
 だが、彼女は一切の憂いも見せずにこの場に立つ。そのことが、無性に腹立たしかった。
「誰よりも民のことを考えていると聞き及んでいたが、そうではなかったらしいな、冷酷な姫君よ」
「――それは!」
 打ち震えたのは、王女ではなく老侍女だった。床に膝をついた侍女は、布を放り出し、格子を握りしめる。
「違うのです、ガーレリデス様! トゥーアナ様は……!」
「メレディ。よいのです。言っては駄目」
「ですが!」
 なおも喰い下がろうとする老侍女にトゥーアナはゆっくりと首を振った。一度、侍女を宥めるように笑んだ彼女が、再びこちらに向き直る。
「来てくださってありがとうございました。あなたに会えて、これに勝る喜びはありません」
 穏やかに笑むその表情からは何も読みとれない。先程、侍女が何を言おうとしたのかも。彼女が何を止めようとしたのかも。老侍女が口を閉ざした今となっては分からなかった。
 ただ一つの疑問が頭をかすめる。
「なぜ己の国を滅ぼした?」
「前にも申し上げました。ただあなたのため。私の国が手に入ってあなたにも利があったでしょう?」
「確かに。こちらの得た利益は大きい。あなたの国は肥沃で広大だ」
「もう一つは私のため。ただあなたに会いたかった」
 紫の双眸は、こちらを見上げて幸せそうに微笑んだ。
「例えあなたに触れることは許されなくても、私とあなたの間に近いとは言えない距離が保たれようとも、私はあなたの国にいるというだけで、あなたと同じ城の中にいるというだけで幸せなのです」
「牢の中でもか?」
「ええ」
 嬉しそうに目を細めて笑う王女の怪訝さに眉根を寄せる。
「一体あなたは何を考えている?」
「何も。ただ、あなたの傍にいること以外は」
「その願いが叶うことは決してない」
「存じています。それでもいいのです」
 変わらず笑み続ける目の前の王女には屈託がない。その皮肉さに苦さを感じずにはいられなかった。
「変わった女だ」
 言葉はなく、感情の見えない笑みに見返される。一瞥したそれに、踵を返し、牢を後にした。