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 ルメンディアの王女トゥーアナは、老侍女もろともすぐさま牢へと繋がれた。
「傍に置くのは危険だ」という臣下の忠言にこちらも異存はない。
 彼女の処遇について決定が下される間も、王女は膝を床につけたまま、平然とその場にあり続けた。周りの喧騒など聞こえてないような静けさで、自らがもたらした証の剣を前に座し続ける。
 下されたさしあたりの処分に関しても、狂乱するどころか異議を唱えることもない。むしろ粛々と決定を受け入れた彼女は、穏やかそのもので、どこか嬉しそうにも見えたのだ。
 自分の置かれた立場すら理解できていないのではないかと訝しく思う。兵に身柄を拘束され、牢へ向かう道中さえ、トゥーアナはやわらかに微笑みを浮かべていた。
 今にもこの場から連れ出されようとしている隣国の王女を玉座から見下ろし、彼女の立ち姿に思わず顔をしかめる。視線に気づいたのだろう。彼女を囲む兵の間でふと立ち止まったトゥーアナは、こちらを振り返り、言った。
「あなたと同じ国にいられると思うだけで嬉しいのです」
 耳を疑いたくなる告白。しかし、これこそが違えようもない真実なのだと彼女の表情は声なく語る。
 嫣然と笑み、兵に促されるがまま彼女は踵を返した。そうして亡国の王女は扉の向こうへ姿を消したのだ。



 王女が牢に入るのと前後して、急ぎ事実確認のためにルメンディアへ送った使者が戻ったのは三日後のことだった。
「やはりトゥーアナ王女の仰っていたことに相違はありませんでした」
 開口一番にそう告げた使者は、隣国の貴族議会から受け取って来た親書を懐から取り出す。
「あの首がケーアンリーブ国王と王子のもので間違いないというのは確かなようです。他に王族もいません。名のある貴族が自ら王として名乗り出ることも証の剣がなければ不可能のようです。唯一の王族である王女が剣と共に宣言したのなら、貴族議会は王女の決定に従うという旨を伝えてきました。陛下が証を取り、王となるのなるのならば、認める所存だそうです。それどころか、認めざるを得ないとまで申しておりました」
 使者から差し出された親書を受け取る。蝋印を確認すれば、確かにルメンディアの貴族議会を示す八脚の椅子が輪状に並んでいた。銀の蝋で押された封を開く。あらわれた書面にしたためられていた内容は、使者が今しがた口にした事柄を裏付けるものにすぎなかった。
 到底理解できない内容に、眉根が寄る。
「貴族議会があの王女に従うというのか? 狂っているとすら言えるあの王女に?」
 問いただそうと、答えは返るはずもなかった。これが彼らの真意だと、本当にそう言い通すつもりだというのか。歯切れの悪い沈黙が場に落ちる。
 その間、硬く口を閉ざしていた使者は、しばらくの後、逡巡しながらも重々しく口を開いた。
「恐れながら申し上げます、陛下。あの王女は気が違っているわけではないようです」
「どういう意味だ?」
「トゥーアナ王女は、とても賢い方だったとルメンディアの誰もが口を揃えて語るのです。それは、王や王子を凌ぐほどに。常に民のことを考え、助言していたと言います。王女には何か策があるのだ、と。そう考えているからこそ、彼らは王女に付き従うのです」
「裏があると?」
「そうとしか考えられないでしょう」
「なるほど」
 使者の推測に頷きを返す。使者の言う通りであれば、貴族議会が下した判断から不可解な点は消える。もし今回の件に関して、王女と貴族議会が最初から繋がっていたとすれば、なおさら、表面上のつじつまは合うのだ。
 少なくともルメンディアの貴族は王女に何らかの意図があると考えている。貴族議会に面会した使者が、自身の推測を進言するに値すると踏んだ以上、そう考えるのが妥当だろう。ルメンディアの現状を目の当たりにしてきた者だからこそ、見えるものもある。何らかの確信を使者自身、ルメンディアで得たということだ。
「ご苦労だった」
 労うと、使者は深く一礼し、退出の文言を口にする。扉が完全に閉じたのを見届けてから、傍らに控えていた男に目を配った。
「どう思う、バロフ?」
「順当に考えれば、その辺りが穏当でしょうね」
 この国の宰相である彼は嘆息した。
「気をつけた方が御身のためですよ。今の状態では、彼の王女もいくら策を講じようと、手の出しようはないでしょうが。油断はなさらないことですね」
「ああ。俺もそう思う」
「まぁ、万が一にもあなたが死ぬなんてことはないでしょう。うっかり殺されないくらいには、あなたはお強い」
 バロフは苦笑しながら、肩を竦めた。
「あまり他人の仕事を取るのは感心しませんよ」
 連なったバロフの諫言が冗談とも取れかねないのは、宰相自身が武芸に関して相当な腕を持っているからだ。まったく一体どの口がものを言うのか。
 そう罵ってやろうと、開きかけた口を閉ざさせたのは、バロフがふと窓の外に視線を向けたからだった。
 のびやかに晴れ渡った冬空には筋状の雲が広がる。薄ぼんやりと空に白さを滲ませた雲の合間を辿るように、澄んだ音色は凍える空気を震わせた。耳に届くか届かないかという微かな声が、とぎれとぎれに音律を刻む。
 ――歌か。
 悟った瞬間、意味のある連なりとして流れ出した声色は、軽やかに歌を弾きだした。一度、気付いてしまえば、混じりけのない歌声は、高く冴え渡りよく響く。まるで夜を体現しているかのようなその歌は、星に似た小さな瞬きを繰り返しながら、それでいて無邪気に野を飛び回る子犬のように楽し気だ。
「塔からですね」
 バロフは一人ごちて、窓の外にそびえたつ塔を見上げる。
 城の西端に位置する石造りの塔。そこにあるのは牢だけだ。もっぱら政治犯を拘置することの多いこの牢塔には、今も囚人がおさめられている。
「あの王女か」
 数日前に見た微笑が脳裏に浮かぶ。牢の中で歌うなど、彼女の他に思い当たる者はいなかった。
 牢に繋がれてなお、状況を顧みてもいないのか。美しい旋律は、豊かに響いて、繊細に表情を加えていく。軽やかに紡がれ続ける歌声がなんとも忌々しかった。
 舌打ちをする。バロフはあからさまに顔をしかめた。
「どこへ行くのです」
「あの歌をやめさせる。不愉快だ」
「――陛下!」
「すぐ戻る。別に問題はないだろう」
 扉の取っ手を引いたのと、バロフの溜息が聞いたのはほぼ同時だった。
 もうから王女の策に弄されてどうするのです、とバロフは嘆かわし気に言い募る。
 繰り返された小言の代わりに、歌ばかりが耳元で木霊した。
 忠言が無意味だと諦めたのだろう。後ろ手に閉ざした扉と共に、宰相は口をつぐんだらしかった。
 言ってみれば、ただ歌っているというそれだけのこと。バロフの言い分はもっともだ。
 それでも、出所の知れない憤りはわずらしく、牢塔へ向かうその間も、王女の歌は耳に障り続けた。