5
煌々と月光が漏れ入る大きな窓辺にトゥーアナは立っていた。
そっと窓の淵に手を添え、窓の外を見下ろしている彼女の姿は、柔らかな白い光にそのまま溶けて消えてしまうのではないかと。いっそ錯覚してしまいそうになるほど儚く見える。
部屋の中へと歩を進めれば、静かさを強調するように、靴音だけが浮かび上がって、開けた空間にやけに響いた。
気付いたのか、ゆっくりと振り向いたトゥーアナの金の髪は薄く淡い月明かりをそのまま宿していた。
「何を見ていた?」
「ここから見えるケーアンリーブの家々を。この国は本当に豊かですね。皆、惜しみなく家に火を灯すことができる。裕福な者も貧しい者も、皆」
そう言って彼女は再び窓の外に広がっている都の街並みへと視線を戻した。
遠く離れた
「あなたの国ではそうではなかったのか?」
問えば、トゥーアナは虚をつかれたように表情を潜めた。「残念ながら」と、寂し気に、首を横に振る。
「ですが、あなたならきっと私の国もここと同じように豊かにしてくださいますよね? 誰もが皆、火を使うことが当たり前となるような、そんな国に」
紫の瞳が窓辺から離れ、真摯にこちらを見上げてくる。
それが恐らく彼女が持つ王女としての顔だったのだろう。
国王や次期王となる王子よりも民のことを考えていた、と謳われていたほどの王女の顔。
笑むだけではない、彼女の真の顔。
そこに込められた願いは、いかほどのものか。
ひた、と見据えられた紫の双眸を前に、嘘偽りは通用しない。計り知れない真剣さに押されるように、重々しく頷き、誓いの言葉を述べた。
「ああ、約束しよう」
トゥーアナは顔を綻ばせる。
それは、やはり知らず花を思わせる微笑みだった。
小綺麗に整え、梳かれたのであろう金の髪。
この上なく磨かれたであろう白く透き通る肌。
けれど、彼女が身に纏っている白い夜着は、血まみれでこの王宮へと現れた日のことを色鮮やかに思い出させて、それがひどく皮肉だった。
彼女の前に立った俺の方へとトゥーアナが手を伸ばし、だが、触れる直前で、怯えるように、ぴたりと止めた。
「……触れても、よろしいですか?」
「ああ。好きにするといい。そういう約束だ。ただし、今日だけだが」
「ええ」と、どこかほっとしたように呟きながら、トゥーアナが恐る恐る俺の頬へと触れる。
「冷たいな。ずっと窓辺にいたのか?」
ひやり、とした感覚にそう尋ねたら、彼女は、また「ええ」と頷き、微笑んだ。
「人々の生活はいつ見ても、いつまでも飽きないものです」
「ここからじゃ、人がどのように生活しているかまでは見えないだろう」
「それでも、安心するのです。そこに確かに存在すると。……あなたに触れているみたいに」
優しく頬に触れてくる柔らかな手の感触を確かに感じて、その手折れそうに細い身体を抱えあげた。
紫の瞳が不思議そうに上からこちらを覗きこんでくる。
「どうしてあなたは私があなたに触れることを許してくださったのですか? ただ、牢に閉じ込めておけばよかったのに。どうしてあなたは私の望みを叶えてくださろうとするのですか? 牢に留めて置きさえすれば、あなたに不都合などなかったはずなのに」
「さぁ。ただ単に歌を止めて欲しかったからだ」
「そんなに私の歌がお嫌いなのでしょうか?」
首を傾げて絶えず微笑み続ける彼女を、見上げる。
「そういうわけではない。綺麗だと思うが、あれは……」
綺麗すぎて、楽しげで。
――逆に哀しいのだ。
何と言えばいいのか、と言葉に詰まっていると、トゥーアナは僅かに目を伏せて、長い睫毛を小さく瞬かせた。
「もう、歌いません。もう……歌いませんから。だから今日だけは……。今日で終わりにします。他にはもう何も望みません。望むものなどありません」
柔らかく形のよい彼女の唇が自分のそれにそっと触れ、離れた。
それと同時に紫の瞳から落ちた雫が、先程まで彼女の指が触れていた頬を伝う。
「あなたは本当にそれでいいのか?」
「ええ」
もうそこに涙はない。
再び降りてきた柔らかなものを今度は離さず、さらに深く重ねた。