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 寝台に横たえたとたん、トゥーアナの身体が、強張ったのがわかった。
 涙の筋が残る頬を手の腹で拭えば、感情の読めぬ茫洋とした眼差しで見上げてくる。
 それを無視して口付けた。
 触れる範囲を広めるごとに肢体が震え、深く寝台に沈みこむ。
 時折、堪えるように漏れる吐息を、肌近くに感じながら行為を進めた。
 そこには、何の感情も無い。ただ、この無意味さを終わらせるためだけに、義務的に肌に触れることを繰り返す。
 彼女自身そのことは承知の上なのだろう。感覚を逃そうと敷布を握りしめる以外は、されるがままで、行為を引き伸ばす気配もなかった。
 衣が剥がれ、露わになった白い肌が月明かりの元にぼんやりと浮かびあがる。
 輪郭すら曖昧なその肌を、確かめるようになぞり、まろぶ白い腹に顔を埋める。
 弱々しい啼き声とともに、何をされるのかわかったらしい彼女は激しく身じろいだ。
 逃れようとする身体ごと押さえ込み、敷布に両手を縫い付けなおすと声も出せぬように己の口で彼女の口を塞ぐ。
 膝裏に留め置いていた手を滑らせる。
 途端、王女は、今までになくびくりと身体を大きく仰け反らせ、震えを催しはじめた。
 その様子に、自分で望んでおきながら何を、と、どこか冷めた心地で思う。構わず、紅い唇から離れ、首もとへ鼻を埋める。
 だが、次の瞬間には、明らかな異変を感じ彼女の身体に埋めていた顔をあげていた。
「……トゥーアナ?」
 先ほどまで微々たるものだった震えは、かたかというのをとうに通り越し、今はがくがくとひきつけを起こしたように異様なものになっていた。
 トゥーアナは、両手を口に当て、必死に何かを堪えるように荒い息を繰り返す。
 際限まで見開かれた紫の瞳は溢れそうなほどの涙を浮かべて、縋るように寝台の天蓋を見上げていた。
「どうした?」
 訝しさに眉を寄せ、トゥーアナの頬に手を添えながら彼女の顔を覗き込んだ。
 その間も、彼女は問いに答えることない。ただ、ひたすら喘ぎ続ける。
「一体あなたは何を見ている」
 暗がりにある紫の瞳には、映っているはずの己の姿が映ってはいなかった。
「一体あなたは誰を見ているんだ、トゥーアナ」
 彼女の頬にもう片方の手を添え、両手で顔を包み込む。揺り起こすように、指で頬をさすりながら、もう一度トゥーアナの瞳を覗き込む。
 あっ、という掠れた声と共に紫の瞳から涙が一滴ひとしずく零れた。
 まるではじめて息の吸い方を思い出したかのように、上下する胸と共に、呼吸が徐々に落ち着きを取り戻す。
「ガーレリデス、様……?」
 確かめるように呟かれたトゥーアナの言葉に一つ首肯を返してやる。
 すると、王女は口に当てていた手を外し、俺の身体へとその手をまわした。
 弱々しく、その手が背中に触れる。まだ微かに震えが残っているのを感じながら彼女の腰の下に手をまわして、王女ごと体を引き起こした。
「悪かった。もう何もしない」
 汗で絡まった金の髪を梳き流しながら、肩口にもたれかかる彼女の後頭部をさする。
 けれど、トゥーアナは震えたまま首を振った。
「……い、嫌です。あなたは私に約束してくださいました」
「しかし」
「お願いです。一度でいいのです。一度だけで。私を抱いてください。そうすれば、もう私は……」
 震えながらも言葉を繋げようとするトゥーアナを遮るように静かに、寝台へと横たえる。
「ガーレリデス様?」
「これで、ちゃんと抱いているだろう」
 ほら、と、あやすように彼女の背をぽんぽんと叩く。ようやく震えの治まりはじめた細く白い身体にまわした腕に力を加えながら抱きしめる。
「……はい」
 トゥーアナは自身も俺の背に回した手に力を込めながら、腕の中で小さく頷いた。


 夜が明けて、陽の光が差し込む頃。身体近くに温かく柔らかなものを感じて目を覚ました。
 瞬間、昨夜のことを思い出し、隣で眠る王女を見る。
 規則正しい寝息を繰り返す彼女の頬にそっと触れて涙の跡をぬぐう。
 上半身を起し軽く溜息をつきながら、再び彼女の白い肢体へと視線を落とした。
 なんとなしに眺めやり、しかし、そこに不可解なものを見つけて眉をひそめる。
 掛布から出て露わになっている肌の部分。
 朝日に照らされて、輝きを増している肌には、昨夜、つけた跡が花びらのように散っている。
 首筋、鎖骨、胸へと順を追うように記された赤い軌跡をなぞる。
 それに促されるかのように、トゥーアナの睫毛が震え、彼女がゆっくりと瞼を上げた。
 肌に触れられていることに気付いたトゥーアナはその頬に、ぱっと朱を散らせ、胸元へと掛布を手繰り寄せながら、深々と頭を下げた。
「昨夜は申し訳ございませんでした」
 頭を垂れたままの彼女と己の手を見比べ、首を振る。
「いや、それはいいんだが。トゥーアナ、あなたは……」
 その先は、口にしてよいものか憚られた。
 唐突に言葉を切ったことを不思議に思ったのだろう。窺うように顔を上げた彼女が、首を傾げる。
「いや、何でもない。ひとまず今日からこの部屋を使うといい。後であなたの侍女にも伝えておく」
「……ですが」
「仕方がない。約束がまだ果たされてないからな」
 言えば、息を飲み込む気配がした。
「よろしいの、ですか?」
 驚きと同時に戸惑いを見せながら、恐る恐る尋ねてくる彼女に溜息を落とす。
「あなたに歌われると困る」
 トゥーアナは呆気にとられたようにこちらを見つめ返す。意図を探ろうとしたのか、寸の間、惑って見えた彼女も、結局、何かを問うことはなかった。
 代わりに、やがて微笑し、はにかむ。
 はい、と落ちた彼女の答えは、やけに静かに耳に残った。