唐突に、空け開かれた視界。立ち並ぶ者たち。
けれども、そういったものなのだと聞かされていた男は、混乱をきたす前に口を開くことにした。
「あなたが、時の魔女か」
静寂を遮った男の声だけが、違和感を含んで木々の合間を浮かび上がる。
「そう」と男の問いに一つ肯定を返したのは、少女と言うには静謐な雰囲気を纏い、かと言って娘と言うに無垢すぎる稚気を携えている女だった。
「魔女としか名乗ったことはないのだが、いつの頃からかよくそう呼ばれるな」
少女と娘の境目に立つ魔女は、微笑を浮かべ、男を迎え入れる。たおやかな手が、警戒もなく来訪者へと差し伸ばされた。
歓迎を示すかの如く、男の目の前に差しだされた魔女の掌。
その時になって初めて、彼は自分が何の疑いもなく“時の魔女”その人を、“時の魔女”だと思い込んでいたことに気付き、今更ながら息を呑んだ。
彼女のすぐ傍には、青年と銀の毛並みを持つ獣、そうして、彼女と幾許も変わらないくらいの少女が佇む。にもかかわらず、彼は、彼女と少女を一度も見紛うことなく、疑問すら抱かずに、“時の魔女”として話しかけていた。
見紛うはずがない、と彼は眼前に立つ魔女を見、改めて実感する。それほどまでに、彼女の存在はこの場において圧倒的であった。強大すぎる故に、目を惹いて、やまないのだ。しかれども、魔女の存在は周りに溶け込む自然ささえあった。不思議さに気付かされなければ、気付かずにもいられたのだろう。
瞬きもせず立ちつくす男を見やったまま、魔女は緩慢な仕草で小首を傾げる。一向に取られる気配のない己が手を彼女は静かに下ろすと、彼に問いかけた。
「名も知らぬ来訪者。よくぞこの『森』まで辿りつけたな。あなたの労を私は労おう」
水を打ったように、辺りのさざめきが耳元で蘇る。我に返った男は、「失礼」と魔女に向かって、軽く会釈した。
「私の名は、ゼーヴィク。――ゼーヴィク・オルビバーン。賢者に教えを請うて、ここへ辿りつくことができました。これが、賢者からの紹介状です」
彼は、土埃と血に汚れた服の内より、賢者から託された手紙を取り出すと、時の魔女へと差しだした。
魔女は、黄茶に褪せた薄い手紙を一瞥する。
「久方ぶりに『森』にやって来る者がいると思ったら、賢者の一人に聞いたのか」
「はい、大方の場所なら、賢者が教えてくださりました。そこから先、『森』への道は行った者にしか分からぬと」
――まさに、その通りだな、と彼は胸中で呟いた。
ざぁっと潮が引くように『森』への道が開いた。気がつくと、彼らは目の前に立っていたのだ。果たして、彼らが動いたのか、自分が動いたのか、ゼーヴィクにはとんと見当がつかなかった。
魔女は、ゼーヴィクと名乗った男が手にしている手紙を、指先で摘みとると、確認すべく封筒を裏返した。くしゃくしゃと皺の寄った手紙は、だが見かけによらず、きっちりと黄の封印が為されたままだ。崩れのない印に摸された絡み合う蔦紋様は、紙色が褪せている分、目に鮮やかに映える。
「黄に蔦――南東の国の賢者。なら、賢者とはグストのことか。グストの居は確か東よりではあったはずだが……ゼーヴィク、あなた自身は東の出か、それとも、南?」
「どちらかと言うのならば、賢者と同じく東になるでしょうか」
「へぇ……」
わずかに興味を示してみせた魔女は、「ならば、トリティアと同じだな」と、横に立つ少女に目配せをする。「そのようですね」と、黒髪の少女は、魔女の隣で控えめに微笑した。
「トリティアは東の国の魔女だよ、賢者と非なる者であり、ある点では似ている者。限りある範囲で、やって来た者の悩みをきき、時には願いを叶えながら、世を静観する。世にある八人の一人」
「存じ上げております。そうして、世にある魔女と賢者、彼ら全てが、あなたの弟子であると。世界に魔女と賢者をおくり出し、知恵を授けてくださった方。彼らの師である時の魔女は、彼らが叶え得ぬ願いさえも叶えてくださると」
「だから、ゼーヴィクはこの『森』に来た?」
魔女の問いに、彼は重々しく頷きを返す。
「ええ。私の願いは、『森』にある魔女にしか叶えられぬ、と賢者が言っておりましたから」
「そう」
時の魔女は、手にしていた手紙を、指先でピンと弾いた。途端、宙でこまぎれにはじけ飛んだ紙片は、読まれることのなかった文の代わりに、ぱらぱらと地に落ちていった。
最後の一片まで地に着いたのを目だけで追って、時の魔女は顔を上げた。『森』への来訪者と向かい合う。
「では、聞こう、ゼーヴィク、あなたの願いを。どうせグストはしょうもないことしか書いて寄こさないから。せっかく、ここまで来たんだ。直接、ゼーヴィクの口を使って願うといい」
『森』に佇む魔女は、緑の光の中、嫣然と男に微笑みかける。
「では」と、対する男は内震えることもなく、地に膝を付き、時の魔女を見上げた。地に、鞘に入ったままの長剣を両手で突き立て、彼が知る最高礼を、時の魔女を前に示す。
そして、ただ一つの願いの為だけに途方もない道のりを旅してきた男は、ぶれることのない意志を鳶色の双眸に湛えて、魔女に告げたのだ。
「助けてほしい女があります。死した彼女を蘇らせてください。我が命に代えてでも」
この世でたった一人――『森』に在る魔女にしか使えぬ、“時渡り”の術を望む為に。
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