ラピスラズリのかけら 1:奇妙なめぐり合わせ 6 水場で

 

「わぁ、綺麗だねぇ」
 テトがキラキラと光る湖面に向かって走って行く。始めに手だけでちょっと水に触れ、その冷たさにはしゃぎだしたテトは靴を脱ぎ棄て、パシャパシャと湖の中に入って行った。
「気持ちいい!」
「あんまり奥まで入るなよ
 馬を木に繋げながら、シェラートがそう言ったが、テトは夢中でその言葉には気付いていないようだった。
 シェラートは半ば呆れつつも苦笑して、テトのほうを見ながらフィシュアに確認した。
「何か危ない生物とかいないよな?」
「いるわよ」
「おいっっ!!」
 シェラートが血相を変えたその瞬間、テトが二人の横に転移してきた。
「シェラート、何するんだよ!」
 テトが不機嫌そうにシェラートを見上げる。それを見てフィシュアは笑った。
「嘘よ」
「あのなぁ……」
 呆れたように呟くシェラートを横目で見ながら、フィシュアもまた呆れたように盛大な溜息をついた。
「もし、そんな危険な生き物がいるんだったら、多少遠くても皆、安全な水場の方に行くわよ」
 本当に、このジン(魔人)はテトに過保護すぎる。
「ねぇ~、何の話?」
 まだ、むくれた顔をしたままのテトが二人の間に割り込んできて、ぴょこぴょこと跳ねた。
 フィシュアはそんなテトの背中を促して、水が湧き出ている方へと向かうことにした。
 
 木々の緑がそよそよと揺れ、湖面いっぱいに青い空が映し出されている。太陽で熱された砂漠の乾いた風は、このオアシスの水と木陰に冷やされて肌に心地いい。
 フィシュアにとってここはお気に入りの場所の一つだった。
 このオアシスの源である湧き水は、湖より少しだけ高い所にある。土と土の間から勢いよく、こぽこぽと湧き出るその水は木漏れ日から漏れる太陽の光に反射してキラキラと輝き美しい。
 本当に綺麗だな。
 途中で拾ってきた甕(かめ)に再び新しい水を汲み直しながら、頭上の木々を見上げたフィシュアは葉と葉の間から漏れる光に目を細めた。
 
「フィシュア、これ、しょっぱい」
 フィシュアが頭上の木々から声のした方へ目を向けると、テトがコップを手に、うげぇ、と顔を歪めていた。
「当たり前でしょう。塩を入れてるんだから。文句言わないでちゃんと飲む!」
 反論を容赦しない藍の瞳に睨まれたテトは急いで自分のコップの残りをぐいぐいと飲みほした。
「えらい、えらい」
 フィシュアはテトの頭をなでると、空になったコップを受け取り、新しい水を注いでからまたテトに手渡してやる。コップを受け取ったテトは今度も急いでぐいぐいと飲んだ。
「あぁ~、しょっぱかった!」
 普通の水を飲んで満面の笑みになったテトから再び空になったコップを受け取ると、フィシュアはそれをすすいでコップを湧き水の横に戻した。
 このオアシスは、近くの街々の水汲み場であると同時に、隣の街へ行くための中継地点でもあった。
 その為、ここはよく行商人や旅人の休憩場所となる。だから常に湧水の横に置いてあるこのコップは人々の間で共用として使われているもので、このオアシスで一息つくのにはとても便利なものであった。
 そのことを知らなかったテトは始めコップが置いてあったことにすごく驚いていた。
 この子には、まだ知らないことが多すぎるのかもしれない。誰かが一つ一つ、いろんなことを教えていかなければ。
 そう思ったフィシュアはテトに生きていく為にも必要な知識の講義を始めることにした。
「でも、テト。水だけじゃなくて塩も大事なのよ?」
「どうして?」
 すぐにテトは自分の疑問点に首を傾げて尋ねた。
 フィシュアは、水分を補給して再び流れ始めたテトの汗を指さして言った。
「テトの汗はしょっぱいでしょ?」
「うん」
 素直に頷くテトを見て微笑むと、フィシュアは続けた。
「汗の中にはね、塩も入っているの。だからしょっぱいのよ」
「へぇ~」
「だから、汗をいっぱいかいた後は水と一緒に少しは塩も取らないといけないの。だから、ちょっと嫌でも今日は塩水を飲まなくちゃいけなかったの。分かった?」
「うん、塩って僕にとって、とっても大切なんだね」
「そうよ」
フィシュアは「よくできました」とテトの頭をなでる。
「お前、あんまりテトに触るなよ」
 そんな二人の様子を見ていたのだろう。テトの後ろから少し不機嫌そうなシェラートが空のコップを持って水場の方へとやって来た。
「あなたにだけは言われたくないんだけど。さっきから、テトのことなでまくってるじゃない」
 フィシュアはムッとしつつ、呆れ半分で言った。
 あぁ、なんか今日はすごく呆れまくっている気がする。まったく、お前はどこの年頃の娘を持った親だ。
 フィシュアの心の叫びなど、もちろんシェラートには届くはずもなく、シェラートはさも当たり前のように呟いた。
「俺はいいんだよ」
「…………」
 どういう論理だ。フィシュアは呆れて、もう何も言い返すことはできなかった。
 ジン(魔神)って契約者に対しては皆こうなのだろうか?
 
「僕もシェラートとフィシュアは僕の頭をなですぎだと思う」
 テトが二人を見上げながら拗ねたように言った。
「おかげで、僕の背は全然伸びないよ……」
 その言葉を聞いたシェラートとフィシュアは、お互いの顔を見合わせた。相手が自分と同じように、それはないだろうと思って呆れていたことに気付き、少し苦笑する。
「でもね」
 再び顔をあげたテトは嬉しそうに続けた。
「僕、二人に頭なでられるのすごく好きだよ。シェラートのはちょっと乱暴な時もあるけどすごく安心するし、フィシュアのはふわふわしてすっごく気持ちいから」
  
「―――テトっ、なんて可愛いの!」
 
 満面の笑みを浮かべるテトをこちらも満面の笑みでガバッ、と抱きしめたフィシュアは、同じく満面の笑みを浮かべ、テトをなでようとして一歩遅れたシェラートに再び睨まれることになった。
 
 
「フィシュア、ちょっと苦しいかも……」
ぷはっ、と息を吐いたテトを、「ごめん、ごめん」と笑いながらフィシュアは離してやった。
 その瞬間、まだ不機嫌そうな顔をしたシェラートが、テトの頭をガシガシとなでる。
「シェラート、ちょっと痛いかも……」
 嬉しそうに笑いながらもそういうテトの頭から、「あぁ、悪い」と言いながらシェラートは手を離す。
 フィシュアはふと、不機嫌な顔のままのシェラートとその手に握られているコップを見比べて呟いた。
「もしかして、あなたも塩水しょっぱくて嫌だった?」
 シェラートはその言葉に一瞬固まり、自分のコップに新しい水を汲んでごくごくと飲み始めた。
 そんなシェラートを見て、フィシュアとテトがぷっと同時に吹き出す。
 ケタケタと笑い続ける二人を横目で、笑うな、と睨みつけながらシェラートがコップをすすぎ、元の場所に返した。
 テトが腰に手を当て、シェラートを見上げながら得意げに言う。
「シェラート、塩はとっても大切だからしょっぱくてもちゃんと摂らなくちゃダメなんだよ?」
「知ってる!!」
「ぎゃ~~!! やめてよ、シェラート!! 背が縮む!! ――っわぁ! フィシュア助けて~~!!」
 シェラートに頭を押さえつけられながらもテトは楽しそうに叫んだ。
 じゃれあう二人を見つめながら、フィシュアは一緒に笑いだす。
 さっきまで、ジン(魔神)とその契約者を危惧していたはずなのに、早くもそんな二人に馴染み始め、しかもそれが微笑ましいと思っている自分にフィシュアは自嘲する。
 
 そして、その苦笑を消そうとするかのように、フィシュアはまだじゃれあっている二人に向かい合い、少し意地悪そうに、ニヤリと笑って言った。
 
 
 
「さて、それじゃあ、約束していた説教をはじめましょうか」
 
 
 
 
 
 
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