ラピスラズリのかけら 1:奇妙なめぐり合わせ 9 一つの別れ

 

「フィシュア~、ちゃんと盗ってきたよぉ~!」
 テトが満面の笑みで麻の袋を掲げた。テトには少し重そうなその袋をシェラートはテトの頭上から取り上げるとフィシュアの方へと軽く投げる 
「―――たくっ、テトに盗みなんかさせるなよな」 
「ちょっと、二人とも人聞きの悪いこと言わないでよ!」
 フィシュアは袋を受け取りつつも、不服そうな声で抗議した。
「これは元々私の何だから盗みにはなりません!」
 
 中身がきちんとあるかを確認し始めたフィシュアを見ながらシェラートが盛大な溜息をつく。 
「結局願いは二つにするし」 
「いいじゃない、次の街まで案内してあげるんだから。それに、あなたには約束通り一つの願いしかしてないでしょう? もう一つの願いはテトに頼んだんだから」 
「どっちも同じだろう。大体元はといえばここから一番近い、さっきの街を避けて、わざわざもう一つ遠い街まで行かなきゃならなくなったのはお前の願いのせいだろ」
「それを言うなら元はといえばあなたが砂漠で倒れるから悪いんでしょう」
 キッ、と睨まれ、返された言葉にシェラートはただ黙り込むしかなかった。
 
 
“誘拐”を願いとして告げたフィシュアは、しかし、それだけでは荷物を取り返せないことに、はたと気付いたのである。
確かに自分の最も重要な願いは大方叶えられる。しかし、荷物がなければ領主の屋敷を離れた後の生活はなかなか困難なものになるであろうことは明白だった。
そこでフィシュアは次の街へ案内することを条件に荷物を取り返すのも願いの中に入れてくれないか、と提案してみたのである。
 だが、もちろん、シェラートはそれをかたくなに断った。
 なので、今度はテトに向き直りダメもとで頼んでみたらテトは、「いいよ」 と笑ってあっさりと快諾してくれたのである。
 
 結果、自動的にシェラートの仕事量は二倍になってしまったのであった。
 
 フィシュアは屋敷に戻るといったん自分の部屋へ行き、破れた服から着替えた後、急いで荷物をまとめた。
 そして荷物をまとめた袋を後から部屋に取りに来てくれる手はずになっているテトに託す為、わかりやす
いように扉の近くにおいてから、首飾りを取り戻しに領主であるザイールの元へと向かったのだ。
 はっきり言って部屋を出てすぐザイールと会った時、フィシュアはかなり焦った。本当にもう少し遅かっ
たら危なかったと思う。
 テトもフィシュアの部屋を出た後、フィシュアとシェラートに屋敷の外で落ち合う予定になっていたが、
部屋を出て角を曲がろうとしたところで今まさにフィシュアと領主が対峙していたので、出るに出られず、
角で待機しながら二人を眺めていたのだ。
 その様子が空中から見えていたシェラートは全てが終わった後、フィシュアと一緒にテトも連れて、元居
たオアシスへといっきに転移させたことで今現在にいたるのであった。
 
 フィシュアはちぎれた首飾りの紐を結び直すとそれを自身の首に掛けた。
 今はフィシュアの胸元にある、その光を通さないほど濃い藍の石をテトはジッと見つめる。
「その石の色、フィシュアの瞳の色と同じだね。綺麗な色」
 まじまじと石を眺め続けるテトにフィシュアはふと疑問に思ったことを問いかけた。
「私の瞳ってそんなに濃い藍? 自分ではそんなに深い色だとは思わないんだけど、よく言われるのよね」
 テトはそう言ったフィシュアの藍の瞳を見上げて、また、深い藍色の石へと見比べるように視線を戻した後、
頷いて再びフィシュアを見上げた。
「うん、おんなじに見えるよ。ね、シェラートもそう思うでしょ?」 
 テトは首飾りについた藍い石を持ち上げると、見て、と言わんばかりにシェラートの方へと差し出した。
 だが、そんなテトの行動にシェラートは慌てて一歩下がる。
「―――うわっ、お前、テト、それこっちに近づけるな!!」
 テトは、なぜシェラートがこんなに綺麗な石を見て動揺しだしたのか訳が分からず、掲げた手を下すことも忘れ、
きょとんとした顔をする。
 焦り続けるシェラートを見て笑いながらも、フィシュアはテトの手から藍の石をはずしてやると、それを自分の手
の中に握り締めた。
 
 シェラートは、ほっとして余裕が出たのか、フィシュアを翡翠の双眸で睨みつけた。
「お前、それラピスラズリだろう?」
「そうよ。まさか、こんなにジン(魔人)に効果があるとは思ってなかったけど」
  クスクスと笑いながらフィシュアがラピスラズリの入った掌を開くと、シェラートはうっ、と息を詰まらせたような声で呻いて体をこわばらせた。
 訳が分からないままのテトは理由を求め、不思議そうな顔でフィシュアを見上げている。
「ラピスラズリって、この国の守り石じゃなかったっけ? どうしてシェラートは幸福の守り石をそんなに嫌がるの?」
 「そう、その通りよ、テト。このラピスラズリはこの国のまもり石と同じもの」
 よくできました、とフィシュアは目を細めてテトの栗色の髪をなでた。
「けどね、まもり石には実は二つの意味があるの。
 一つ目はテトが考えたのと同じ幸福を呼び、守る、守り石。
 そして、二つ目はあんまり知られてないんだけど、魔から護る、魔護(まもり)石って言う意味を持っているの。
 だから、性質的には魔に属するジーニー(魔神)やジン(魔人)にとっては嫌な代物なわけ」 
「へぇ~、じゃあ、さっき言ってた、この石がジン(魔人)にとって天敵っていうのは本当の話だったんだ」 
「ま、そういうこと」
「へぇ~、大変だねぇ~」
 シェラートはテトからのいささか同情の混じった視線を受けて、なんだか情けなくなった。
 そんな様子を見かねてか、それとも面白がってか、フィシュアもシェラートに慰めの言葉を掛ける。
「ほんっと、大変ねぇ~」
「…………」
 二人の目が心なしか笑っているように見えるのは、多分気のせいじゃない、とシェラートは深い溜息をつき、項垂れた。
 
「まぁまぁ、そんなに落ち込まなくても」
 突然ポンポンと肩を叩かれたシェラートは隣を見て、慌てて後ずさる。
 シェラートから、ものすごくあからさまに逃げられたフィシュアは思わずムッとして、半袖の上着からのぞくシェラートの腕にラピスラズリの石を押しつけた。
「―――っぅわーーー!! っおま、なにするんだ!!」
 思いっきりフィシュアを睨みつけたシェラートは、だが、自分の体に何の変化も起こらなかったことに気付き、深く安堵した。 
「大丈夫だって言おうとしたのに。あなたが逃げるから」
 まだ不機嫌そうな顔をしてフィシュアが説明する。
「ラピスラズリっていっても全ての魔を完全に、はじくわけではないのよ。力を発揮するのは持ち主が魔の力によって危険に陥りそうになった時だけって聞いてるわ。つまり、あなたが私に危害を加えない限りは安全よ」 
「―――それを早く言えよ」
  安心したせいか、シェラートはどっと激しい疲労を感じた。
 その背中にテトが勢いよく飛び乗ってきて、シェラートは思わず前のめりになる。
「テト、危ないだろう!」
 顔のすぐ近くにあるテトの顔を見るとテトが嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「シェラート、よかったねぇ!」
「ああ」
 シェラートはテトの頭を左手でポンポンとなでた。
「で、どう思う? フィシュアの瞳と同じ色だと思わない?」
「あー……
 翡翠の瞳が脅威の去った藍い石を捉え、それからフィシュアの藍い瞳へと移される。
「―――同じなんじゃないか?」
 そのいかにも興味のなさそうな答えに、テトはやっぱり、と嬉しそうに笑ったが、フィシュアは今度はムッとするのを通り越して呆れを感じつつ口を開いた。
「―――なんか、どうでもよさそうね」
 「まぁ、どうでもいいからな」
 
 
「それよりも、俺はその石の形の方が気になる。何の形だ? 手か? でもそれだったら一本指が足りないな」
「本当だ、そういえば変な形だね」
 そう言うとテトは自分の顔を傾げながら様々な角度でラピスラズリの石を見始めた。
 フィシュアも改めて自分の胸元にある石の形をまじまじと眺めてみた。
「確かに。この形が当たり前すぎて今まで疑問に思ったこともなかったわ」
 しばらく藍の石を眺めていたテトが、あっ、と叫び、下から覗き込むような形で頭の角度を止めた。
「こうすると、翼にも見えるかも。ほら、その波みたいになってる方を下に向けると」
 フィシュアはテトが言っている通りに角度を変えてみた。 
「……本当だ。ちょっと翼にも見えるかも」
「でも、本当に翼かなぁ……?」 
 テトはフィシュアがかざしている碧い石をもう一度眺める。
「……さあ?」
 フィシュアも再びその藍い石を覗き込む。
 その向こうにはもうすでに陰り始めようとしている太陽があった。
 しかし、どこまでも深い藍の石はその太陽の光さえも、通さない。
 フィシュアは最後にもう一回だけ、その不思議な石を見つめると、それを掌で包み込んでから、元の位置へと戻した。
 
 
 
「ちょっと、休憩しすぎたみたいね。そろそろ出発しないと、じきに陽が落ちるわ」 
 あぁ、そうだな、と言ってシェラートは立ち上がった。
「ここからだと、どれくらいだ?」
 その問いにフィシュアは少し考えてから答えた。
「そうね、歩いて大体四十分もあれば着くはずよ」
 
「道はちゃんと分ってるんだよな?」
「任しといて」
 フィシュアは自信満々に胸を張る。それだけ確認すると、シェラートは頷いた。
「なら、十分もあれば着くな」
「はい!? なんで、いきなりそうなるの?」
  シェラートのぶっ飛んだ計算に、フィシュアは思わず聞き返す。
「フィシュア、空を飛んで移動するんだよ」
  説明してくれたテトの言葉に、納得しつつも、フィシュアはある疑問点を口にした。
空を飛んで移動できたなら、どうして砂漠なんかで倒れてたの?」
  その言葉にテトとシェラートはお互いに顔を見合わせた。
「まぁ、はじめは飛んで移動してたんだけどな……」
「途中で疲れてきて落ちちゃったんだよねっ?」
  なんともないような顔をして答えたシェラートと、明るく笑ってそう答えたテトを見て、フィシュアは軽い眩暈を覚えた。
  飛んで移動できなくなった時点で、なぜこの二人は危ないと気付かなかったのだろう、と。  
 
 
 
 上空から見降ろした景色はとても美しいものだった。
 テトは慣れたものなのか、さっき水場に居た時のようにはしゃぐということはなく、その代わりフィシュアの方はきょろきょろと珍しそうに周りを見渡していた。
 
「あんまり動くと、落ちるぞ?」
  テトとフィシュアを両手に抱えて移動しているシェラートはそんなフィシュアの様子に呆れて声をかけたが、フィシュアはそれには答えず、ほぅ、と溜息をついて呟いた。
 
「まるで黄金の世界ね。」
 
 果てしなく広がる砂漠も、オアシスの湖面も、今は陰りゆく太陽の光を受けて、どこもかしこもきらきらと輝いている。
 フィシュアは最後に元居た街のひときわ大きく、黄金色に染まっている白い建物を見て、一度だけ微笑んだ。後は、ただひたすら目指す次の街へと藍い瞳をまっすぐに向け向け、その瞳が再び振り返ることはなかった。
 
 
 
「さぁ、ここが砂漠の果ての街、ラルーよ」 
「本当? ここで砂漠終わりなの?」
「もし、テト達がミシュマール地方に戻るなら、この先に砂漠はないわ」
「やった~!! なら、後は僕の村に戻るだけだから本当に砂漠はないんだね!!」
 万歳をして、満面の笑みを浮かべるテトの姿に、どうやら砂漠は相当つらかったらしいとフィシュアは悟って、彼のジン(魔人)を見た。
「そんなに辛かったなら、砂漠じゃなくて山道の方を通ってあげればよかったのに」
「―――テトは初め、俺に会う前は村からその山道を通ってきたらしいんだけどな、砂漠の方が近道だと途中で行商人に聞いた」
「……まぁ、確かに山道の方が少し遠回りになるけど、多く見積もっても三日くらいしか変わらないわよ? 山道の方が村もあるし、普通はそっちを通るわ。何かそんなに急ぎの用でもあるの?」
「まぁな」
 それだけ言うと、シェラートはフィシュアから視線をそらした。 
「そう」
 フィシュアもそれだけ呟くと、それ以上深入りしないことにした。
 どうせ自分はここで、この二人と別れ、別の道を歩むのだ。
 シェラートは遠くを見つめる深く碧い瞳を見て、片眉を上げた。
「行くのか?」
「ええ」 
 フィシュアは力なく微笑む。 
 どこかで、この二人との別れをさみしいと思う自分がいた。
 不思議だ。まだ出会って一日も立っていないのに。
 まぁ、この二人とは出会い方から何まで記憶に残るほどドタバタしてたからな。
 そんなことを思いながらフィシュアは苦笑すると、二人に向きなおる。
「ここでお別れ」
「え!? フィシュア、もう行っちゃうの?」
  領主の屋敷に戻る、と告げた時と全く同じ言葉を繰り返し、全く同じ切なそうな顔をしたテトを見てフィシュアは笑ってしまった。  
 そんなテトの栗色の髪をふわりと最後になでてやると、にっこりと微笑む。
「そんな顔しなくても、いつかまた機会があればどこかで会えるかもよ?」
  フィシュアはもう片方の手でテトの頬を包み込んだ。
 そして、テトの反対側の頬へと顔を近づけようとした時、テトをシェラートに引き離された。 
「―――だから、やめろって言ってるだろう!!」
「別に減るもんじゃないし、いいじゃないって言ってるじゃない!」
 そんな二人の間でまたしてもテトは顔を赤くさせて固まっていたのだ。
 
「まぁ、いいわ。キスは今度会った時までとっときましょう。いろいろ助かったわ、ありがとう」 
 フィシュアは最後に一つ笑みを残すと二人に背を向け歩き出した。
  辺りはもう夕暮れ色に染まっていて、前を行くフィシュアの琥珀に近い茶色の髪が透けて金色に光り輝いている。
 テトがその後ろ姿に向かって「フィシュア」と呼びかけると、フィシュアは思い出したように、「そうだ」と言って腰に手を当てて、振り返った。
 
「もし、今度砂漠を渡ることになったら、水とかなんでもきちんと準備をしてから行くのよ!」
  それだけ言ってしまうと、フィシュアは再び向きなおり、今度こそ夕暮れ時でにぎあう街の市場の中へと消えていった。
 
 
 その方向をずっと見つめ続けるテトの頭をシェラートがポンポンと叩く。
 「俺たちもそろそろ行くぞ。お腹空いただろう? なんか食べに行こう。それに宿も探さないと」
  やることはいっぱいあるぞ? と言うシェラートの翡翠の瞳を見上げ、「うん」と頷くと、テトもシェラート共に歩きだしたのだった。
 
  
 
 

(c)aruhi 2008