ラピスラズリのかけら 2:宵の歌姫 2 旅の理由

 

「なんで、お前がこっちの部屋に入ってくるんだ?」
「だって、テトにお話ししようって誘われたから」
 シェラートの問いにそう返したフィシュアは、テトと向き合いお互いに「ね~」と首を傾げた。
 
 夕食を終えた後、湯浴みをした三人は、つい先ほど二階の部屋へと通され、テトとシェラート、フィシュアの二部屋にそれぞれ分かれて入ったのである。
 部屋の中は入口の正面に窓、その横にベッドが二つ、木の机とランプ、といういたって質素なものだった。しかし、今日一日いろいろなことがあり、思ったよりも疲れを感じていたシェラートにとっては野宿が避けられるだけでも充分だった。
 それなのに、早速ベッドに寝っ転がって一息ついたところへフィシュアがやって来たのである。
 
「まぁ、いいじゃない。テトと話せるのもこの街にいる間だけなんだし」
 そう言うと、フィシュアはシェラートの向かいのベッドへと腰を下ろした。
 フィシュアの横にテトもちょこんと腰を下ろす。
「フィシュアはこれからどこに行くの? もしどこか決まってないんだったら、一緒に僕の村の方へ行かない?」
「んー、残念だけど、私は皇都に用事があるの。テトの村はミシュマール地方なんでしょう? テトと一緒に旅はしたいんだけど、ここからミシュマール地方に行ってたら、ちょっと遠回りになっちゃうから」
「そっか」
 テトは残念そうに俯くと足をぶらぶらさせ始めた。
 そんなテトの栗色の髪をフィシュアは、「ごめんね」と囁きながら、撫でてやった。
「テトは確か急いで村に戻らなくちゃいけないんでしょう?」
 テトは「うん」と頷く。それと同時にさっきまで揺らしていた足をぴたりと止めた。
「それは、テトが旅をしている理由と関係があるの?」
「……んっとね~」
 テトはちょっと困ったような顔になって先を言い淀んだ。
 フィシュアはテトの反応を受け、向かいに居るジン(魔人)を見た。けれど、シェラートは幾分か心配そうな顔をしてテトを見てはいるものの口を開こうとはしない。
 恐らく、これはテト自身の問題なのだろう。
テトは、「ふぅ~」と長く息を吐き出すとフィシュアを見上げ、今度ははっきりとした口調で言った。
「えっとね、僕のお母さん今病気なの」 
「病気? 何の?」
 フィシュアは心のどこかで予想していたその答えについてもっと聞きだそうとテトに質問を重ねた。それは、テトにとっては辛いことかもしれない。だが、今、聞かないと恐らくもう聞く機会は無い気がしたのだ。 
「分からない。何か伝染病みたいなんだけど」
「―――伝染病?」
 フィシュアは微かに表情を険しくした。
「うん。初めは、咳が出るの。だけどそれがだんだん酷くなって、すごく高い熱が出てくるんだ。それがずっと続いて……みんな、死んじゃうの」
 テトは再び俯き、自分の両手を握りしめると、また、ぽつり、ぽつり、と話し始めた。
「……初めはね、みんな風邪だと思って気にしてなかったんだけど、それにしてはなかなか治らないし、どんどん広がっていったの。とうとう不思議に思ってお医者さんを呼んで来たんだけど、お医者さんにも何の病気か分からないんだって。
 けどね、一つだけ分かったことがあったの。初め、風邪だと思われてた時にね、他の村から病気に罹った人の所へお見舞いにやって来た人がいたの。その時、病気に罹ってた人はね、まだ咳しか出てなくて……そのあと熱が出たの。そして、その人の家族もみんな病気に罹っちゃったの。
 だけどね、咳が出てた時に訪ねてきただけの他の村の人はね、病気に罹らなかったの。だから、村のみんなはその病気が熱が出始めて初めて人に移るんだって分かったの。だからね……」
 テトは、「ふぅー」と一度、気持ちを整えるように息を吐き出すと続けた。
「だからね、お母さんは咳が出始めて、とうとう自分も伝染病に罹ったって分かった時、僕に村を出なさいって言ったの。でも、僕は泣いて、泣いて、嫌だって言ったんだけど、お母さんは泣いたってどうにもならないでしょ、て怒ってね、僕に叔母さんあての手紙を持たせて村から追い出したんだ。
 だけどね、やっぱりもう会えないなんて嫌だから、僕が絶対治すから待っててって約束してから別れたんだ。お母さんは自分が泣いても仕方ないって言ってたのに別れる時は、笑いながら泣いてた……」
「……そう。きっとお母様はテトが言ってくれた約束が嬉しかったのね。だけどきっと同じくらいテトと別れるのもつらかったのでしょうね」
 フィシュアはテトの頭を撫でた。その手つきがすごく優しくて、テトは泣き出しそうになるのを我慢しながら、今度は重くなった空気を取り払うように、努めて明るい声を出して言った。
「シェラートと会ったのはね、ミシュマールの村から馬車に乗って山道を十日位行ったところの叔母さんがいる遠い街だったんだ。叔母さんはとっても優しくしてくれたんだけど、僕はやっぱりお母さんとの約束が守りたくて、でも何していいかわからなくて毎日その街のはずれにある野原で泣いてたんだ。
 そしたら、いきなりシェラートが現われてね、どうしたんだ、って聞くから理由を話したら、なら俺が叶えてやるから、お前は俺の契約者になれって言ってきたの。それから、一緒に旅してるんだよねぇ~、シェラート」
 
「……俺に話を振るなよ」
 フィシュアが驚いてテトの話に出てきたジン(魔人)を見ると、シェラートは居心地の悪そうな顔をしていた。 
「え!? ジン(魔人)って普通に街を歩いてたりするものなの?」
「あー、普通に結構いっぱい歩いてるぞ?」
「―――い、いっぱい!?」
 なんともなさげに答えたシェラートにフィシュアはさらに驚きを顕わにする。そんなことはお構いなしに、シェラートはさらに街のジン(魔人)事情について語りだした。
 「じゃなかったら、街にいる若者の間であんな手首にタトゥーをつけるなんてこと流行るわけないだろう」
 「それは、みんな本に載ってるのを真似したんじゃないの?」
 少なくともフィシュアはジン(魔人)に関する本を読み、老師(せんせい)から教わったことでジン(魔人)の手首には黒の紋様があることを知った。
 しかし、シェラートはそんなフィシュアの考えをあっさりと否定する。
「大体、本に載ってるってことはそのことを知ってて書いた人間が居るってことだろう。しかもその本が誰にも否定されず出回ってるってことは、そういうジン(魔人)を見た奴もいっぱい居るってことだろう」
 「…………」
 言われてみれば確かにその通りで、フィシュアは絶句した。
「―――まぁ、そういうわけで、俺はテトの願いを叶える為にテトのジン(魔人)になったんだよ。もう話はこれで終わりだろ? テト、明日も早いんだから早く寝ろ」
「……うん」
 テトはシェラートの言葉に従い、いそいそとベッドに入り寝る準備を始め、シェラートも再びベッドの上に横になる。
 
 一人取り残されたフィシュアはそんな二人に眉を寄せた。
「ちょっと、待って! 明日はちゃんとゆっくりしないと」
「―――分かってるだろう? 俺達は急いでるんだ。できるだけ早く発たないと」
 怒り出したフィシュアにシェラートは頭だけ向けて言った。
「本当はその首飾りが何なのか気になるし、明日の夕方までいたかったんだけどね……」
 テトも申し訳なさそうに布団から顔だけ出してフィシュアを見上げる。
 ―――この人達は!
 フィシュアは怒りで小刻みに震えだしかけた体を必死に抑えた。
 あのオアシスでした説教は何だったのだ。やっぱり、二人には全然通じていなかったらしい。
 こんなことで体力を使うのは本当に体力の無駄遣いなのに、と頭の片隅では冷静な自分が呆れて溜息をついている。だが、実際のフィシュアは気付いた時にはすごい剣幕でまくしたてていた。
「あなた今日倒れたばっかりでしょう? テトだって、ぎりぎりだったんだから明日はゆっくり休んどかなきゃいけないに決まってるでしょう? 休む時は休んどかないと結局、途中で無理がたたって村に着くのは遅くなるわよ? 
 大体どうやって行くつもりよ? まさか街の上を飛んでいくつもり? そんなことしたら珍しがられるか、鳥と間違われて射落されるわね」
「―――いや、さすがに、街の上では飛んでない……」
 フィシュアの剣幕に押されつつも、反論を試みたシェラートはますます怒りに燃える藍い瞳に、黙れ、と一蹴され、呆気にとられつつも口を閉じることにした。
「あなた、どうして自分が倒れることになったのか本当に分かってるの? 荷物を盗られて、旅に必要なものを何も持ってなかったからでしょう? なのに、そのまま出かけるつもり? 普通だったら明日は休養と旅への準備期間でしょう! 何も揃えないでどうやって旅するのよ? 大体飛べないからって、徒歩で行くつもりなの? それこそ時間の無駄よ! 馬で駆けて行った方がよっぽど早いわ」
 フィシュアは一気にまくしたてたせいか、肩で息をしている。
 テトは、そんなフィシュアに向かって、恐る恐るながらも話し掛けた。
「でも、フィシュア……、僕達お金持ってないよ……?」
  テトの言葉が聞こえたのか聞こえてないのか、フィシュアは今はもう完全に夜の帳が落ちた窓の外をしばらくの間、見据えていた。
 しかし、その藍の瞳を閉じて、フィシュアは一度頷くと、呟いた。
「―――たし……、は……う」
「え? 何?」
「私が払う。やっぱり、私も一緒について行く!」
「本当に!?」
 フィシュアの言葉を聞いて、テトは素直に喜んだ。勢いよくベッドから飛び出すと、そのままフィシュアへと抱きつく。
 フィシュアは多少複雑な顔をしながらも、テトを受け止め、その柔らかな栗色の髪を撫でてやった。けれど、フィシュアは訝しげな視線を感じ、テトから目を離して顔を上げ、その視線の主を見た。
「―――何かご不満でも?」
 今は上半身を起こしフィシュアを見ていたシェラートは、その翡翠の双眸がフィシュアのそれとかち合うと、息を吐き出し、かぶりを振った。
「―――いや、正直言うと、助かる。……だけど、お前はいいのか? 王都へ行くには遠回りだろう?」
 その言葉に深く藍い瞳に揺らぎが走った。だが、それは一瞬の出来事で、次にシェラートが見た時には完全に消え去り、後はただ、凪いだ海のような静かさだけが残っていたのだ。
「大丈夫よ。そんなに遠回りじゃないし」
「そうか」
 シェラートはそれ以上何も言わなかった。深く突っ込まれなかったことに安堵しながら、フィシュアも話題をそらすことにした。
 「それに、あなただけにテトを任せるのはすっごく不安。また今日みたいに急に倒れられたら困るわよねぇ~、テト?」
フィシュアに、「ね~」と返しながらテトはクスクス笑う。しかし、急に心配そうな顔になると、テトはフィシュアに尋ねた。
「ねぇ、フィシュア? 僕達の分まで、ちゃんとお金あるの? 無理してない?」
「子供はお金の心配なんてしなくていいの! 三人分くらい余裕よ。
 それに知ってるでしょう? 私といれば、宿と食事はただよ?」
 そう言うとフィシュアはテトに首飾りについたラピスラズリの石を振って見せた。
 テトは不思議そうに、深い色を持つ藍の石へと手を伸ばす。
「この石、本当に何なの……?」
「まぁ、簡単に言うと身分証明書みたいなものかしら?」
「何の?」
 答えになっていないフィシュアの答えにテトは重ねて質問する。けれど、テトの問いには答えず、フィシュアはテトの額へとキスを一つ落とすと、にっこりと笑った。
 「それは、明日のお楽しみだったでしょう?」
  フィシュアはまたもや真っ赤になってしまったテトをそのままにし、そろそろ部屋に戻ろう、とベッドから立ち上がると言った。
 
「……今のは、約束してた再会の、でしょう? あぁ、後は、おやすみの、かな?」 
 シェラートはもう何を言ってもだめらしい、と諦めの溜息をついた。と、その額に柔らかく温かな感触が触れる。
驚いて、顔を上げると、間近に濃い藍の瞳があった。
 見開かれた翡翠の瞳に、「あなただけにあげないのも可哀相だからね」と言ってフィシュアがニヤリと笑う。
「あなたの髪も意外と柔らかいのね」
 呆気にとられたままのシェラートの黒い髪を、わしゃわしゃと掻き撫ぜると、フィシュアはその手を離し、扉へと向かった。
それから、フィシュアは扉の前で一度振り向くと二人に「おやすみ」と微笑み、その扉を閉めた。
  しばらくして、呆然から立ち直ったシェラートはテトに「寝るか」と、だけ声を掛けると手を振ってランプを消した。 
 
 
 だから二人は知らない。部屋を出たフィシュアの藍い瞳が鋭かったということを。
 
 
 
 
  
 
(c)aruhi 2008